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人はどんな体験をしたときに、自分の人生を生きていく覚悟ができるのだろう

人生脚本とキャリアオーナーシップ

米国の精神科医エリック・バーンが提唱した「人生脚本」という概念がある。人は、無意識のうちに、自分の未来の生き方の脚本を書いているという考え方だ。彼の名前は知らなくとも「他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられる。」というフレーズをご存じの方は多いのではないだろうか。
ローカルキャリアを歩む人たちは、自分の軸を持ってキャリアを築いているように見える。おそらく、親や世間から刷り込まれた人生脚本を書き換え、オーナーシップを持って自分の道を歩いているのだろう。どうすれば、世間の軸に惑わされることなく、自分だけの道を歩んでいくことができるようになるのか。どんな言葉を聞き、どんな気持ちになったときに、人の行動は変わるのだろうか。それまで持っていた考え方が変わるとき、そこには、どんな物語があるのだろうか。

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なぜ物語で伝えるのか

ローカルキャリア白書では、これまでもローカルキャリアの体現者たちにそのストーリーを聞き、そこに共通する要素としてローカルキャリア力をまとめてきた。
物語は人類の歴史の初期から登場し、社会的な情報の伝達手段として長く使われてきた(Mar & Oatley, 2008)。また、物語を用いて他者の態度に働きかける試みは、実証的研究の観点からも、その有効性が示されている(「物語はいかにして心を動かすのか」小森めぐみ,2016)。主観的な体験は多様なものだが、思考の変化や感情の変化によって、態度変化が現れることが明らかになっている。特に、感情の変化を介した方が、変化が現れやすいという。
であるならば、ある人を動かした「言葉」が、他の人を動かす言葉になるかもしれない。ある人の心を動かした「物語」が、読者の人生脚本に影響を与えるかもしれない。
そんな想いで、石川県七尾市に関係しながらキャリアを重ねているお二人の、ローカルキャリアを深めた言葉と体験を「物語」で紹介していきたい。

目次
Story1.面白きこともなき世を面白く
 新しい仕事の誘い
 ヨバレの夜に涙したこと
 ローカルガバナンスの底力
Story2.お前は俺が作った船だから沈まない
 新しい土地で気づいた自分のルーツ
 二枚目の名刺
 おもてなしをする側へ
 そして新しい挑戦へ
2つの物語から見えること

Story1.面白きこともなき世を面白く

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新しい仕事の誘い

「Uさんにぴったりの仕事があるよ!」
大阪でのNPOの仕事を辞め、実家のある富山に帰ろうとしているとき、一本のメールが入り金沢で途中下車することになった。メールをくれたのは、まちづくり会社のチーフマネージャー。数年前に、まちづくりの講演会後に紹介され、その後、なにかとやりとりをしている元気な女性である。ぼくが手がけた地域通貨の取組を視察しに来たこともある。本当は、しばらく仕事はしないで実家でゆっくりしたいと思っていたから、あまり乗り気ではなかったが、金沢駅の近くのファミリーレストランで食事をしながら、新しい仕事の要件について聞くことになった。

「じゅくちょう?」
「そう!新しい市長が、市民がまちづくりに主体的に関わるための塾をつくりたいって。その塾長募集なの。でも、実質的にはまちづくり会社のプロパー職員の募集ってこと。こんな大事なポジションの全国募集なのに、市役所の担当者、何したと思う?」
「え、何?」
「全国のハローワークに求人出してんよ!ハローワークで、こんな専門職の人、来てくれるわけないやん?だから、あなたが仕事辞めて実家に帰るって聞いて、ナイスタイミングって思ったの!」

まくしたてる彼女の向かいで、ぼくは迷っていた。そのまちには、一度訪れたことがあった。駅前を降りたとたんに「あ~、やっちまったなぁ」という感じの駅前再開発ビル。御多分に漏れず、寂れた感じの商店街。自分のこれまでのキャリアを見込んで声をかけてくれたことは、まぁ嬉しい。けれど、こんな中途半端な地方都市で思ったような仕事ができるのか。そう感じて、募集締切のゴールデンウィークまで、なんとなくやり過ごすつもりでいた。

ところが。

「担当者に、連休明けまで書類は待ってもらえることになったから!まずは、難しく考えずにうちのお祭りを見に来てよ。うちの社長が、そう言ってる。」
社長というのは、彼女の父のことで、民間のまちづくり会社を創業した人のことだ。前に一度訪れたときに、紹介してもらったことがあった。今度は、その社長のTさんから電話がかかってきた。
「Uくん、迷っているときは高いところに登りなさい。七尾には城山という山があって、その頂上からまちを見てみるんだ。高いところから見ると、迷いなんて小さく見えてくるようになる。自分の心も決まる。祭りには、私の家に来なさい。」

・・・ぐいぐい、くるなぁ。

そんなわけで、ゴールデンウィークに行われるという歴史あるお祭りを見に行くことになった。

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ヨバレの夜に涙したこと

その祭りには、3台の巨大な山車が曳き出されるのだが、祭りの夜は、家々に知人を招いて酒と料理を振る舞う「ヨバレ」と言われる風習があった。宵山が曳き出されるまでの時間、ぼくは促されるままに宴席につき、次から次へとやってくる十数名の方を紹介されながら、お酒をいただいていた。

すると、どこからともなく「まだら、歌え~」という声がかかり、一人が「はぁ~、ゆるりと~ゆるりと」と音頭を取ると、そこにいる人たち全員が、ゆったりとした調子で手拍子と擦り手を始めた。見よう見まねで、音頭に合わせて手拍子の輪に加わり、一人が歌う歌を聞いていると、次の瞬間・・・!

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なんと、そこにいる人ほとんどが、大合唱を始めたのだ。聞いたこともない土着の民謡。老いも若きもが声を合わせるというなんともいえない一体感の中に身を置いて、その土地の音色に包まれていると、いつのまにか、ぼくの目には涙があふれていた。
すると、隣にいたTさんが、こう言った。

「Uくん、『面白きこともなき世を面白く』だよ」

高杉晋作の言葉である。そうか、どんな場所であったとしても、市民が主体となって覚悟をもってそのまちを面白くしていく。それこそ、前職の政策研究所で目指していた世界観じゃないか。うまく言葉にはできないが、地域の人たちが連綿と受け継いできた祝い唄には、「このまちで働いてもいいかもしれない」そう思わせる”何か”があった。

ローカルガバナンスの底力

あの夜に感じた”何か”とは、何だったのだろう。ヨバレの宴席は、地域の人も外の人も、若い人も、子供も年寄りもいた。強いコミュニティを持った人々のつながりの中にいるけれども、完全に閉じてはいない。異国人のぼくにとっては田舎のまちにできた出島みたいな空間だった。

学生時代、阪神淡路大震災の被災地でボランティアコーディネーターとして活動していたことがある。つぶやきを形にして、外部の力も借りながら、自分たちの力で立ち上がっていく。そんな、震災復興の現場で感じた「自治の力」を垣間見たのかもしれない。

きっと長い歴史の中で、時代は変化したとしても、これだけは守っていこうと、先人たちが決めたからこそ残っているものなんだろう。いろんな困難があっても、自分たちで考えて、話し合って、決めて、やっていく。そのローカルガバナンスに大切な要素が、あの祭りには凝縮されているような気がした。自己有効感を持つ市民どうしが、共有しているお互いの関係性や暗黙のルール、ロール、ツールが幾重にも蓄積されている。歌い継がれてきた祝い唄の中に、直感的に、ぼくはそれを感じとったのだ。

あれから20年が経ち、結婚もして3人の子供の父親となった。その後も、いろんな職場でキャリアを積んできたが、ぼくのキャリアを貫いているものがあるとするなら、それは「ローカルガバナンスの可能性」だろう。自治が崩壊した被災地から、力強く人々がまちを取り戻していったように。受け継がれた伝統を未来へつなごうと祭りを楽しむ人たちのように。そして、新しき世をつくらんとする幕末の志士のように。ぼくもローカルを面白くすることに関わっていけるはずだ。

「面白きこともなき世を面白く」
あの夜の言葉が、いまも心に響く。



Story2.お前は俺が作った船だから沈まない

ローカルキャリア白書用 (2)

14歳のときに、父からもらった言葉を、ずっと抱えて生きている。
その言葉があるからこそ、「どんな困難や荒波にあっても沈没することはない」と思えた。

新しい土地で気づいた自分のルーツ

「私もKさんも、名前に“奈”が入っているんですね」
「本当だ、同じですね」

そのひと言をきっかけに、二人はいろいろな話をした。

お互い長女であること、父親が自分のことを全力で応援してくれていること、そして、両親が家業をしていること、そのなかでも「女性だから家を継がなくていい」という世間の目にさらされ続けていること……。
勤めている食品メーカーの留職プログラムで、はじめて訪れた能登半島の小さなまち。新しいものを求めて飛び込んだはずの地域で、可奈子は自分の根本にあるものを共有できた気がしていた。

東京都・築地で生まれ育ち、同級生にも当たり前のように親の事業を継ぐ人がいた。街のために何かをしようという想いは、親の代から天命として感じていて、誇りを持っていたものだった。

「だめだ、このままじゃ組織のなかにいるだけで、何も成長できなくなってしまう」出産を終え、今後のキャリアに希望が見えない出来事もあった私は、社会の仕組みに不自由さを感じていた。ITベンチャーから出産を経て食品メーカーへ転職したのは、子育てを通じて、「誰でも性別年齢にとらわれず、生き方に合わせて働き続けられる社会を作りたい」という思いが強まったからだ。そのためには私たちを支えてくれる「食」にまつわる仕事をしよう、と思った。

育児や介護に関わる人に限らず、生き方にあわせて働ける社会であってほしい。それは都市部であっても、地方であっても変わらないことのはず。

「自分の生き方に合わせて働ける環境を作るということに関心を持ってもらえるように、まずは自分がやらなければ」そう思った私は、社内で募集がかかっていた「留職プログラム」にエントリーし、前のめりで参加していた。プログラムは、4ヶ月ほどの研修のうち、1ヶ月間はローカルに住み込んで社会人インターンとして働くという、ちょっとハードな研修だった。
「迷ったら一歩前へ進もう」といつも思えるのは、逆風のときこそ前のめりになれば倒れないことを、父を通して知っていたからだろう。

二枚目の名刺

生まれながらの都会っ子の私が、地方のプロジェクトにどれだけ貢献できるのか。自分の力が組織以外でどれだけ地域に活かせるのか、試してみたい。

自分を成長させてくれるのは自分でしかないという声もたしかにある。だけれど、ローカルの問題解決をしながら進んでいくほうが自分ごととして、誰のせいにもせずに取り組めるという確信があった。

そして、その予想は見事に当たった。

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旬を大切にする。縁起を担ぐ……。縁もゆかりもなかったまちで過ごすなかで、美味しいものと出会ったり、自分のスキルがまちの人のために活かせたり。居心地の良さも感じていた私は、留職プログラムの最終日、インターン先の社長にこう告げた。

「あの、、、この会社の名刺をいただけませんか?」
例の、名前に「奈」のつく人は、あっけらかんと答えた。
「いいよ~!」

かくして、私はこの地域にプロボノとして関わり続けることを決めた。

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おもてなしをする側へ

「このまちのことを、もっと知りたい」

そんな想いに駆られ、現地へ足を運んだときには、できるだけ多くの人と会うことを心がけている。
どこにどんなお店があるのか、誰が、どんな想いで日々を過ごしているのか。少しずつ、お気に入りの場所やお店、知り合いが増えていった。
それでもまだ遠慮はちょっとだけあって、ようやく心の底から落ち着けるようになったのは、プロボノとしての参加を決めて1年ほど経った頃だった。

きっかけは、ローカルベンチャー協議会の合宿。私は、全国からの参加者を受け入れるスタッフとして働いた。今まで、おもてなしを”される側"だった私が、おもてなしを"する側"にまわった時間だった。

縁もゆかりもなかったまちは、いつの間にか心のふるさとになっていた。

私が初めてこのまちを訪れてから、3年。東京にいる家族を連れて、寿司屋の『河はし』に行ったら、大将のけんちゃんが開口一番
「おかえり」
と言ってくれた。

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「ああ、このまちはホームだなあ」
おしぼりで手を拭きながら、わたしは何とも言えない安心感に浸っていた。東京に拠点を置いているはずなのに。数ヶ月に一回のペースで訪れるだけのまちなのに。
家族や友人など親しい人を連れていきたい、そして、おもてなしをしたい。
そう思える場所が私にとってのホームであり、心のふるさとなのだと思う。そんな場所が、どんどん増えていって、誰かを連れていくときには自然と“もてなす”側の気持ちになっていた。
滞在中は、元インターン先の人の家に泊めてもらうこともある。私はもう「東京から泊まりに来た人」ではない。まるで家族のように感じられていること、家のようにくつろがせてもらえていることが、とても嬉しい。

そして新しい挑戦へ

この夏、私は今の会社を退社して、一般社団法人を設立する。
福祉大学の三年に編入学し、国家資格のための勉強も、進めている。

地域での共食の場づくりをしていきたい
これは、転職をしたときからずっと抱いていた目標だ。

地域のまちづくりに関わる人たちが高齢化している現状を見て、食を通じて世代関係なくまちづくりに関わってもらう人を増やしたいという想いがより強くなった。

「食と職を育成する場づくりをやっていきたいです」

そう伝えると、彼女は「お、いよいよか!」と笑いながらエールをくれた。
私の考え方を「KANAKO WAY」だと認めて、受け入れてくれる彼女は、今では私のことを「可奈子」と、名前で呼んでくれるようになった。

田舎・都会、関係なく、住んでいる人も地域の大切な“資源”と捉え、資源をつなげることで生活にまつわる課題をその環境で解決する仕組みを作りたいという想いは、きっと、彼女にも通ずるはずだ。

大きなシステムをつくる必要はない。社会の“資源”と“ヒト”を結ぶことは、インターン先が掲げていた「まちを育て、みせを育て、ひとを育てる」というコンセプト通りだ。

そう気づく瞬間が、起業準備を進めるなかでぐんと増えた。
おまえは、俺が作った船だから沈まない
父に言われたことを思い出すように、点と点が重なったような気持ちになる。

「おかえり!」
「ただいま!」
このまちにエネルギーをもらいながら、私はこれからも、人生の舵をとっていく。



二つの物語から見えること

人間は無意識のうちに自分の心のカタチに合うように、自分の身に起こったことを物語として積み重ねている。今回、2人のローカルキャリアが深まっていく様子を語り手自身が主人公として紡いでいく物語として紹介した。こういった物語は、「ストーリー」ではなく「ナラティブ」と言われる。

起こった出来事をどのように解釈し、意味づけていくか。それは、その人の持つバックグラウンドによって左右される。そして、その次に起こる出来事や自分の決断を過去の出来事とも紐づけながらナラティブとして語ること。それこそ、ローカルキャリアを紡いでいく力なのではないだろうか。二つの物語を読んだ後に、それぞれの主人公が持つローカルキャリア力診断結果を見てほしい。

白書カバーのコピー (1)

主人公1 Uさんのローカルキャリア力

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Uさんは、このローカルキャリア力診断をしたときに、物語で描かれている移住を決意した頃と現在とでは、その力に違いがあり、答えるときにギャップを感じたという。その都度、その都度の選択が、後から振り返ると決断の起点になっていたりして、まるで導かれているような感覚にもなった。
被災地で感じた「自治の力」と、移住前に訪れたお祭りのヨバレでの体験を結び付けて、そこに共通する意味づけとして「ローカルガバナンス」という自分自身のテーマを見出している。「多様性を肌感覚で理解する力」や「地域や組織のルールを理解する力」が高く、行政と民間のつなぎ役として、高い対話力を身につけ、学び続けていることが分かる。

主人公2 Kさんのローカルキャリア力

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一方、Kさんは「はじめてを怖がらない力」がダントツで高い。それは、14歳の頃に、父からもらった「おまえは、俺が作った船だから沈まない」という言葉に支えられてきたことで、困難な出来事があっても、それを乗り越えていけると信じ、はじめての環境や不確実なものと向き合ってきた自分を何度も見てきたからであろう。実際、彼女は自らの「KANAKO WAY」を持ったことで、IT企業から大手食品メーカーへの転職をし、さらにローカルで企業人としてのキャリアを重ねながらも、独立を決意するという道をたどっている。これまでの経験が、彼女自身の物語を豊かなものにして、はじめてを怖がらずに、しっかりと自分だけの道を歩んでいく勇気を与えてくれているように見える。

私たちは、生きている限り、自分の物語から逃れることはできない。「人はどんな体験をしたときに、自分の人生を生きていく覚悟ができるのだろう」という問いを持って探求を深めてきた。しかし、どうやら「どんな体験をするか」が問題ではなく、自らの体験をどのように意味づけて物語(ナラティブ)として語るかが、重要らしい。
冒頭で紹介した「人生脚本」とは、言い換えれば自分自身の物語を紡ぎ出すことである。
このローカルキャリア白書には、あなたの物語を豊かにするためのヒントが様々な切り口でまとめられている。
ぜひ、次はあなたの物語を聞かせてほしい。

取材にご協力いただいた、お二人、そしてライターとして協力してくれた高城つかささん、本当にありがとうございました。心から感謝いたします。
この記事を書いた人
森山奈美(株式会社御祓川/代表取締役)
石川県七尾市出身。横浜国立大学工学部卒。高校生のときに「七尾のまちづくりに携わりたい」という夢を持ち、念願かなって地元の都市計画コンサルタントに就職したものの、4年生大学を出て七尾に帰ってきたことを近所の人に「もったいない」と言われ、ショックを受ける。入社3年目で民間まちづくり会社(株)御祓川(みそぎがわ)の設立に携わり、平成11年より同社チーフマネージャーを兼務。「能登留学」で地域の課題解決に挑戦する若者を能登に誘致して10年。全国に散らばるOBOGが200名以上となる。能登の魅力を発信する「能登スタイル」ECショップ「能登スタイルストア」と「能登の人事部」で地域の中と外をつなぎ、様々な主体が関わるまちづくりのつなぎ役として、能登の元気を発信し「小さな世界都市・七尾」の実現を目指して日々、挑戦中。

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