風光る:正義について考えたいならコレ
【風光る:渡辺多恵子】
インターネットやSNSが発達することで、今は沢山の人が自分の考えを発信できるようになった。それ自体はいいことだと思う。ただ、なんだか、ちょっと違和感を感じることも増えた。
誰もかれも「正義」を主張して悪を叩く。悪いことはしていない。あくまでも根幹は「正義」。
だから「悪」を叩いてもいい。叩きのめしてもいい。・・・・ホント?
この世に勧善懲悪なんて、あるのかな。「完璧な善」と「完璧な悪」って存在するのかな。
自分が「正義」なんてただの思い込みじゃなかろうか。
ハーバード大学のマイケル・サンデル教授の哲学の問いは「正義のための殺人はあるのか」だった。
ずっと考えた結果、「ない」という答えを出した。「正義とはすべて自己都合」なのではないかと思う。正義とは自己の正当化のための詭弁。
ウルトラマンが正義でバルタン星人が悪だと思い込んでいるけど、自分ち(星)で待つ子供にためにご飯を探しに来たお母さん(バルタン星人)とそれに襲い掛かる敵(ウルトラマン)だと考えると、途端に正義と悪は逆転する。結局自分の立場が正義でそれを邪魔する敵が悪、という思考の枠の中で考えているだけなのだ。
自分の正義を信じて生きる、とは実は思い込みの枠から抜け出させない為の洗脳のような気がする。
さて、風光る。
「正義 対 正義」の物語。
新選組を題材にした物語は数多ある。沖田総司が女の子だっていう話もあった。これは、新選組に入って沖田総司に恋する女の子の話。父と兄を殺されて仇討の為に強くなろうと新選組へ。
時代が時代だけに、今日の正義が明日は悪へと入れ替わることもある。自分の正義を信じ、人の正義に揺れ、泣きながらそれでもその時の自分の正義を自分で選択して生きる。
他の手段はなかったんかい。と思うけど、「武士」というしがらみの中ではなかったのかもなあ。号泣して先が読めない・・・
当たり前のようにどろ団子を新選組に投げてくる子供もいて、この子供たちにしてみたら自分の側が正義で、新選組が悪。どろ団子は今のSNSの批判や誹謗中傷に置き換えられる。
自分は正義だ、自分こそは正義だ、という思い込みをみんなが外せたら、時代は次へ動き出すのかもしれない。
正義とは何か考えたくなったら、コレを。
ラストがなかなか衝撃だった。私はひざを打って納得したけどSNS上では拒否感も多かったように見受けられた。
それも含めてぜひ読んでみてほしい。
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