あなたにはひとはどんな風に見えているのだろうか。
もしかして私とは違う風に見えているのかもしれない。
もしかして誰もみんな違う風に見えているのかもしれない。
私にはひとのフチはおぼろに見えている。
肉体の境い目とはちがうところにボンヤリとおぼろに。いや正確には肉体の境い目もボンヤリしている。
境い目からナニカたちのぼって、周りに溶け込んでいる。
最初に気付いたのは20歳の頃。
祖母が突然倒れて入院して病院に飛んで行った時だ。
祖母のフチが、ボンヤリとして見えた。
あれ。
最初の違和感はそれだった。
見舞い帰りに姉に言った。
「おばあちゃん、もう長くないかもしれないね」
姉は怒った。
「なんでそんなこというん!?」
「え。だってぼやけてるじゃん」
伝わらなかった。
あ、姉には見えないんだ。
その時感じた。
あれ。
ひとのフチがぼやけて見えるのは私だけなのか。
それからひとを見つめるようになった。
なるほど。ひとはエネルギー体なんだな、そんな風に感じた。
もしかしたら多くのひとは「たましい」と呼ぶのかもしれない何かのエネルギーが真ん中らへんにあって、それを中心にエネルギーが集まっているように見える。
それがひと。それが生き物。
エネルギーの集まる力が強いとフチがはっきりしていて、弱いとフチはおぼろに見える。
身体が弱っている時はフチはおぼろに見えるけど、おぼろに見えるものが必ずしも弱っているとは限らない。
周りに溶け込んでいるとフチはおぼろに見える。
すんなり周りに溶け込むひともいる。
周りに溶け込みにくいひともいる。
どっちがいいのか知らない。
溶け込むひとのフチはぼんやりしている。
生命力とは関係がないみたい。
うまくいえないけどたぶん
溶け込むのに自分のフチが溶けるひとと
周りのフチを溶かすひとといると思う。
どっちがいいのか知らない。
たぶんどっちでもいい。
何かのやくそくごとがあって、エネルギーが寄り集まってひとを作っているんだと思う。
やくそくごとをはたしたり
タイミングがずれたり条件が揃わなかったりしてやくそくごとがおわると
エネルギーの真ん中が消える。
そうすると寄り集まったエネルギーは真ん中を失って、はなれ始める。
一気にはなれたり、ゆるやかにはなれたり、速度は色々。
ひとはいくつかの…
もしかしたらたった一つのやくそくごとでできているのかもしれない。
ぜんぶのやくそくごとがなくなると
真ん中が消えて、ひとのフチが霧散する。
一気に霧散するひとも
ゆるやかに霧散するひともいる。
やくそくごとを覚えているひとも忘れているひともいる。
やくそくごとを覚えている方が幸せなのか
忘れている方が幸せなのか
知らない。
ときどき自分のフチをさわってみる。
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