身近な否定との付き合い方
うちの母の会話は基本「否定」で始まります。
「やめときなさい」
「危ない」
「みっともない」
「迷惑」
何かやろうと言うと、大抵のひと言目はそれです。
それでやめた数多(あまた)のことがあります。
ちなみに、わたくし今年50になります。はたから見ると親の言いなりに見えると思います。
まあ実際、半分はそうかもしれません。
残りの半分は、愛情なのでは、と思っています。
母を不安にさせてまでしたいことか。
というブレーキが働くのです。
最近の子育てでは子供の行動を否定しすぎない方がいい、という意見があるように見えます。
お母さんのその言動で子供の成長を阻害する、みたいな記事を読んだこともあります。
そうなのだと思います。
しかし、わが母はすでに80手前です。
今更その言動は間違っている、と言ったところとてどうなるというのでしょう。
彼女には彼女の信念があり、それでその歳まで子供を育て、生きてきたのです。
それは尊敬する部分であり、感謝もしております。
まあそんなわけで彼女の否定を聞くと、決していい気分にならないのではありますが、そうかと受容するようにしております。
否定されて萎えるようなことならやめるし、否定されてもやりたいことならやる。
コッソリやるかもしれないし、強行突破するかもしれない。個人的にはできれば穏やかにぶつからずに行きたいので、だいたいコッソリやることになります。
多少のうしろめたさを抱えながら。
つまり私の心の中には常に後ろめたさがあるわけで、心は100%晴れやかではないのですが、雲の多少ある空もまたよし、と思っております。
ところで。たいていのことは否定する母ですが、長い年月をかけて受け入れることもあります。
その一つがヨーグルトメーカー。
10年前に私が家に持ち込んだ時には激怒したのです。
こんなもの!と。
それから10年間戸棚に仕舞われ、このほど私が再び戸棚から出しました。
「簡単で便利なんやね」
今回はすんなり受け入れました。
自分で使うことはありませんが、それで私が作ったヨーグルトをほくほくと食べています。
10年経って、それほど否定するものではないと気づいたようです。
ヨーグルトメーカー一つ受け入れるのに10年です。
モノゴトを受け入れるために必要な時間は人それぞれです。
うちの母は特別時間がかかるような気もしますが、それもまた個性なのかもしれません。
否定されるたびに私の心は不安に襲われ、傷つき、反撃したくもなりますが、そのまましばらく待つとやがて凪いで行きます。
そっか今は折り合えないんだなと思い、その件を議題に上げるのはやめます。
やる気が削がれてやめるならその程度、と割り切ることにしました。
折り合いをつける、妥協する、という言葉はどちらかと言えば「負け」「譲る」的な否定的なニュアンスを感じますが、今出せる相手への最大限の愛情、だと考えると少し楽になる気がしています。
30代の娘と母の物語書きました。
誰かの心の糧になったらうれしいです。
人生にちょっと疲れたら、こんな本も書いてます。
まあちょっとのんびりしていきませんか。
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