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短編小説:オヂサンの悲哀

河口武夫、57歳。

ワタシはこんな目にあうために57年も生きてきたわけじゃない。
頭はザビエル型にハゲ、ハンプティダンプティの如く卵型に腹が出、シソーノーローにギックリ腰にいぼ痔に加齢臭に無呼吸症候群という避けたい老化をすべて体感し、わが人生コレまでかと思いつつも、老眼で霞む目をこすりつつユンケルを飲みながら深夜に慣れないコンピューターで提案書を作るのは果たして誰の幸せに寄与しているのだろうかと不安になる時もある。

そもそも営業とは足で稼ぐものであった。
暑い日も寒い日も重たい革の鞄を持ち、何足も靴を履き潰し、何度も門前払いをくらい、ようやく応接室に通してもらえ、やっとのことで雑談ができるようになり、聞いたことは全て分厚い革の手帳に書き留め、訪問した全ての会社の社長や担当者の妻や子の誕生日を覚え、訪問のたびの礼状と年に2回のハムやカルピスと、誕生日の度の花や菓子折をかかさず送り続けた。
それらはおそらく顧客の虚栄心をくすぐり、家長としての威厳を保つために使われていたはずだ。ワタシがやっていたことは決してムダなんかじゃなかった。

にもかかわらず、今年本社から来たばかりの若造にワタシの今までのすべての努力を「化石っすか」と笑われ、分厚い手帳をスマートフォンとコンピューターにかえられ、車にドライブレコーダーをつけられ、毎日8時半キッカリに押すのが密かな楽しみだったねずみ色のちょっと錆びたタイムレコーダーはアプリとやらに変えられた。
コレではワタシはまるでコンピューターの奴隷ではないか。

コンピューターごときに、何十年も革靴を履き続けたワタシの水虫の辛さが分かってたまるものか。蒸れるカツラの下のアセモが理解できてたまるものか。
なんとかのひとつ覚えだねと笑われても続けたカルピス中元の悲哀が分かってたまるものか。
ワタシが汗水垂らして何足もの靴を履きつぶして得たかったのはこんな世界ではない。

時間短縮だとか効率化だとかで入れたシステム管理とやらは、いったい誰を幸せにしたのだろうか。
売り上げも労働時間もたいして変わっている様に見えず、かわりにメンタルなにやらという不調が蔓延り、至って簡単に会社を辞めていく若者が増えただけではないか。

老眼鏡でも見えず目をしかめつつスマートフォンで在庫確認をするより、公衆電話で事務の女の子に調べてもらう方がどれほど簡単だったことか。
お礼にちょっと名の知れたシュウクリームやマドレエヌを渡し、そうやって何人ものカップルが誕生していった。かくいうワタシもその一人だ。
今は見る影もないが、当時ワタシの妻は会社のマドンナと言われていた。それを落とした時の周りのやっかみたるや!!!

…話が逸れてしまった。そんな話がしたいわけではない。
コンピューターよりもワタシのカンピューターの方がいかに優れているのか、という話をしようと思っていたのだった。
歳をとったせいか、もの忘れがひどくなったような気がする。昔はいくらでもそらんじられた電話番号が自分の妻のものすら思い出せぬ。
何百人と覚えた誕生日も何色の花が好きかも忘れてしまった。
コンピューターならうっかり忘れたりすることもないのであろう。
しかしコンピューターはカルピスを送り続けることもないだろうし、呆れられながらも続けたカルピスが子供から孫に引き継がれたと聞いた時のなんとも言えない感慨を味わうこともないのであろう。

コンピューターはワタシから多くを取り上げなにを目指しているのだろうか。
カルピスもハムも届かない世界には、面倒臭さの向こうにしかない意味の分からない幸せはあるのだろうか。

#短編小説

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