外向指向と内向指向
コミュニケーションの違い
MBTIへのいざない
外向指向と内向指向におけるコミュニケーションの違い(P.184より)
その人の指向に関係なく、自分の対極の心を指向する人の言動は、つじつまが合わないように見えたり、かみ合わないと感じやすい。もうおわかりだと思うが、誤解に導く原因はたいていの場合は、相手側ではなく、自分の思い違いにあるということ。
この文章を読んで、内向指向(私)から見える、外向指向の人について、思いを馳せてみる。
----自己開示はじまり----
じっくり考え、内側でまとめてから発言する私からすると、表現が豊かでテンポが速く、話ながらまとめ、より多くの人と関わることでエネルギーをチャージする外向指向の友人との付き合いで生じる私の勝手な思い違い。早い話が、友人にとって自分は(友人として)必要ないのでは?と思ってしまうことが、しばしばあった。
逆に、自分がどう見えていただろうか?
想像すると、外向指向の友人からは何かを隠しているように、防衛しているように、よそよそしくも見えたのではないかと思う。現に中学時代、同級生の男子から「秘密主義もいいかげんにしてくれ」と言われたことがあったっけ。
彼とは学校の外の活動で出会い、互いに不登校を経験したこともあり、男女を超えてなんでも言い合える友達になった。時には意見が対立して喧嘩もした。だから、私としては隠しているつもりはまったくなかったのだけど、彼からすれば、時に何かを隠している秘密主義に見えていたのかもしれない。
大学生になってからは、よく友人に嫉妬した記憶がある。環境が交友範囲を広げられるようになっても、私のそれはほとんど変わらなかった。多くの人と多くの対話をし、とにかく多くの人と関わる(ように見える)タイプの友人をもつと、自分(私)に向けられるエネルギーはもう残っていないのではないかと勘違い(投影かな・・)して、つきあいを自ら減らすこともあった。もう40半ばなのだけど、その傾向は今でも続いている。(お恥ずかしい限り。)
内向指向の私から、外向を指向する人がどのように見えていたのかを正直にいうと、それも誤解だらけだった。たとえば、周囲の人についての話題になると、私から見ればまるで批判しているかのように聞こえることがある。そして「○○さんってね・・・」の話を聞かされたあと、その○○さんととても仲良くしている姿を見て、信じられない、なんで?・・と思う。話を聞かされてると思っていた時点で、心の中で批判してきたのは私の方だったし、本人は決して批判しているわけでは無かったのだろう。それも今だから思えること。
そして、自分が他者に対してとても批判的になることがあることにも気付いている。MBTIを学んだことで、意識のエネルギーの低下から劣等機能が勃発しているときに起こりやすいことだ、と知ることもできた。
そう。誤解も、自分のクセも、やっと知ることができた。
タイプ論がすべてではないし、このことを知らなくても私は私なりに、幸せに生きていたのだと思う。理解してくれる夫が横にいて、無条件に愛情を表現してくれる我が子が膝の上にいて、仕事があって、少ないなりに友人もいて幸せに生きている。
でも、たどり着いてしまった学び。きっと今からでも遅くない。これからの、人生の後半に活かしてみたい。勘違いだらけだったコミュニケーションの誤解も解きたい。心の成熟を目指したい。そして、もしもMBTIを知りたいと思う人がいたならば、一緒に学んでいきたいとも思う。
私の誠実さと、他者の誠実さの違い。
そうだな。誰かを不誠実に見てしまうときには、自分の心の状態をのぞいてみよう。そして、手元にあるこの本を、開くとしよう。
つづく。