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身体動く限りアーチェリーとともに

MIGRANT 代表取締役 寺田和彦さん

アーチェリーというスポーツをご存じだろうか。

所定の距離に置かれた的に向かって矢を射る競技でオリンピックにも採用され、世界各地にプレーヤーがいるスポーツだ。
的の中心に近いところを射抜くほど高得点となるこのスポーツでは、所定の本数を射ち、的に刺さった矢の点数を合計し、得点を競う。

アーチェリーをする人のことをアーチャーと呼ばれる。
アーチャーは繰り返し的の中心を射抜けるよう道具の設定やフォームの改良に試行錯誤し、競技に挑んでいる。

今回紹介するMIGRANT代表取締役 寺田和彦さんもアーチャーの一人だ。

「おじいさんになっても続ける」
 
これは、寺田さんが高校時代に言っていたアーチェリーに対する想いだ。
 
現在、寺田さんは長野県安曇野において設計事務所、民泊、シェアハウス、自然農、コワーキングスペースなど様々な事業をやりながらアーチェリーに励んでいる。
これまでの、そしてこれからのアーチェリーライフについて寺田さんにお話を伺った。

「かっこいい」から始まったアーチェリー

射場にたたずむ寺田さん愛用の弓とスコープ

寺田さんは奈良県立奈良高校への進学と同時に奈良高校アーチェリー部へ入部した。先輩たちが的に向かって矢を射つ様子を見て「かっこいい」と思い体験入部をする。
「体験入部で、試し射ちみたいなのがあって。それですっかりハマっちゃって。とにかく楽しかったんです。矢を飛ばすのが楽しかったですね」。

伸び悩んだ高校アーチェリー

アーチェリーはインドア競技とアウトドア競技があり、インドア競技では18m、アウトドア競技では30m以上の距離(オリンピックなどの主要大会では70m)を射つ。奈良高校アーチェリー部はインターハイで優勝したこともある強豪校であり、寺田さんは楽しみながらも懸命に練習に励んだ。しかし、思うように成果を出すことができなかった。

「高校時代はあまり点数が出せず伸び悩みました。3つ上の代がインターハイ優勝した代だったんですよ。だから強豪校じゃないですか。自分もインターハイに出るんだと思って真面目に練習してたんですけど。自分もチームも思うように点数が出なくて。結局、インターハイ行けなかったんですよ。目標にしてたけど行けなくて。すごい悔しい思いはしましたね」。

 目標としていたインターハイ出場を果たせなかった。しかし、自分のアーチェリー人生においてこの3年間はすごく良かったと語る。

「点数は出なかったけど、高校生の時にアーチェリーの基礎を全部教えてもらった気がします。今でも「射型きれいだね」って言われますし。それは高校生の時に元オリンピック選手の西さん(※)が定期的に学校に来てくれてちゃんとしたものを教えてくれたからです」。

※西孝収さん:1976年モントリオール五輪にて個人8位入賞。射ち方・道具の扱い方の指導並びに道具のメンテナンス・販売など、奈良高校アーチェリー部を多方面からサポートされた方

大学時代の活躍を支えた練習量

70m先の的に向かって矢を放つ寺田さん

寺田さんは大学でもアーチェリーを続けた。2003年4月の入学式、弓具を持って京都大学アーチェリー部の門を叩いた。入部後は建築学科の授業、設計演習をこなしながら、部活動に汗を流す。
大学入学から1年後の2004年春以降、リーグ戦ではチームをけん引する活躍を見せ、その他各種大会でも安定した点数を残すようになった。この背景にあったのは練習量だ。

「大学時代は、毎日練習。一番レンジ(※)にいました。1個上の人と仲が良くて。1個上のすごく練習好きな人と、しょっちゅう、ずっと練習してて。その人とどっちがずっといるか、どっちが(日に焼けて)黒いかみたいな対決をしていました。アーチェリーってずっと外にいるからめちゃめちゃ焼けるのでどっちが黒いかみたいな。そうやってたくさん練習したことで高校からやってきたことがハマってきたんじゃないかなと思います」。

さらに、ある意識の変化も高パフォーマンスに影響した。

「大学の先輩たちは結構、点数出してたんですよ。高校からやってる人と比べるとフォームが粗削りで。でも結構点数出してて。それを見てて、なんかできるなって思いました。それに、ずっと練習してきて点数に対しての変な気負いみたいなのが無くなったのもあります」。

※レンジ:アーチェリー場

1日400本の練習を課した3回生の冬

安定して成果を出してきたが、寺田さんはさらに高みを目指すため大学3回生の冬に、ある練習を自分に課した。それが「1日400本射つ」ということだった。

「点数出てるっていってもインカレ(※)は出れるけど全日(※)は出れないというレベルだったんで。もっと上に行きたくて。そんなときに雑誌「ARCHERY」(※)で特集されていた方が「1日400本射て」と言っている記事を見たんですよ。「1日400本かあ」と思って。それから1日400本射ったんですよ。毎日」。

取り組み始めるもすぐに400本射つことは困難であった。

「やっぱり、読んですぐは射てなくて、限界が来るんですよ。200とか300とかで。それを段々伸ばして、1日400本射てるまで伸ばしていって、週6日くらい1日400本射った時期が1か月くらいあって。そしたらめちゃくちゃ点数伸びた」。

※インカレ:全日本学生アーチェリー個人選手権
※全日:全日本ターゲット選手権、全日本室内アーチェリー選手権
※雑誌「ARCHERY」:アーチェリーの専門誌。トップ選手のインタビューや技術面・メンタルのアドバイス、各種大会の記録等が載っている。

念願かなった全日出場

1日400本射ちを実行していた頃、目指していた舞台への出場を果たす。全日本室内選手権で全国の実力者と戦うことができた。緊張はしたが普段どおりのパフォーマンスが出せたと言う。

「練習していたので、緊張はしても別に点数はそんなに変わりませんでした。もうちょっと点数出したかったけど、緊張でボロボロになるとかはなくて。全日は楽しかったです。また出たい」。

遠のいた射場 安曇野への移住をきっかけに本格再開

北アルプスと弓とスコープ

大学卒業後、大学院進学と東京での就職を経て、弓を触る機会が減っていった。就職した手塚建築研究所では多忙を極め、いつしか射場に何度か行ったことがあるという程度にまでアーチェリーと疎遠になっていた。

転機は手塚建築研究所から独立し、長野県安曇野に移住したことであった。
「『そういえば、もしかしてアーチェリー場とかないかな』と思って調べたらあったんで。それで本格的に再開しました。車もあるし。(弓持って移動するのも)車があったら楽だし」。

10年ぶりの試合。ド緊張の再デビュー

本格的にアーチェリーを再開し安曇野に来て2年目には10年ぶりに試合に出場した。

「とりあえずやってみて段々週1の練習でもペースつかめてきたから、ちょっと出てみようっかなみたいな。10年ぶりに試合出てみよっかなみたいな感じで出場しましたが、めっちゃ緊張しました。なんかルール変わってたらどうしようとか。全然作法が変わってたらどうしようって。しかも地域も違うし。長野県、違うルールだったらどうしようとか思いながらおそるおそるやってました」。

再開し自己ベスト更新も。安曇野で抱く全国大会出場の想い

的に刺さった矢の様子。的の中心部分が10点。中心から離れるにつれ
9,8,7,6,5,4,3,2,1、0(M)となり獲得できる点数が少なくなる。

安曇野に来て4年、練習のペースをつかみ、試合に出ることにも慣れた今、全国大会への思いを膨らませている。

「週1、週2くらいしかできないんですけど、意外となんか、そのサイクルに慣れてきました。僕、再開してから70mの距離の点数で自己新記録を出したんですよ。なんか『いけんじゃん』と思って。だから、国体は出たいです。あとは、全日も出たい。出るぐらいが限界だと思いますけど、出たいです。
でも、長野県も上手な人いっぱいいるので、国体も層が厚いんですけど」。(※)

※国体(国民体育大会)、全日(全日本ターゲットアーチェリー選手権)ともに70mで点数を競う。また全日本室内アーチェリー選手権では18mで点数を競う。

身体動く限りアーチェリーを

70m先の的まで歩き、矢を抜く様子

冒頭の「おじいさんになるまでアーチェリーを続けたい」という思いは今も持ち続けているのだろうか。

「身体が動く限りはやるかな。コンパウンド(※)もあるし。今所属している安曇野のアーチェリークラブはみんな70代とかですよ。僕が一番最若手。38歳で。2番目の若手の方で50代ですもん。全然まだまだいけるなって感じ」。

寺田さんは、再び全国の舞台に立つことそして末永くアーチェリーを楽しむことに思いを馳せつつ、これからも的に向かう。

※コンパウンド:弓の種類のひとつ。コンパウンドボウという。上下についた滑車によって矢を飛ばす。リカーブボウ(※)と比べると身体への負荷が軽いとされる。
※リカーブボウ:弓の種類のひとつ。リカーブボウという。上下のリムと呼ばれるパーツをしならせて矢を飛ばす。寺田さんはこの種類の弓でアーチェリーをしている。

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