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世界の全てを恨む人生から、普通の幸せを噛みしめる人生へ〜 その①
挫折日記第3回目の登場はこのブログの主、チャッキーです・・・
更新のリクエストはあるのですが、取材させてくれる人がおらず・・・そこで私が登場することになりました(笑)
実は私、根暗で世界が崩壊すれば良いと周りを妬み、恨みながら生きてました(笑)
そんな私のおかしな人生の記録です。
今回は私が登場しちゃいますが、いつでも取材にご協力頂く方を募集しています(笑)
■青春って楽しいの?
出身は北国の某所。
大学進学まで過ごしたそれまでのことは、今でも悪い思い出のほうがフラッシュバックしてしまうときがあります。あんまり良い青春時代ではありませんでした。
私の住んでいる地域はやはり村社会が強い地域。
お互い見栄の張り合い、近所や親戚の悪口、噂話。
特に祖母や母はその傾向が強く、日々そんな話ばかり聞いていて正直子供ながら嫌な毎日を過ごしていました。
世間体を異常に気にする母は、テストも100点じゃなければ許さず、100点を取っても褒められず、ヒステリックで門限に1分でも遅れると、ものさしで何回も叩かれた記憶があります。学校で熱を出したため、友達のお母さんが家まで送ってくれたときも、後でお礼を言うのが面倒だから何でわざわざ送ってもらったんだ!と怒鳴られたり・・・
父とも仲が悪く別居しており、たまに帰ってくる父に生活費をもらってくることが私の役目でした。
私はそれがすごく嫌でした。お金が少ないと、父の悪口を延々と聞かされる、そんな日々を過ごしていました。
今で言う、「機能不全家族」ってやつかもしれません(笑)
そんな中で生活していたためか、私も異常に他人の評価を気にする性格になり、母にも逆らえず、必要以上に努力し、100点をキープし、図工やお習字でも何か賞を取らなければならないなど強迫観念に囚われて過ごしていました。
正直、ぜんっぜん楽しくなかったです(笑)
青春時代は楽しいと人は言うけれど、私にとっては暗黒期。
友人ともだんだん上手くコミュニケーションが取れなくなり、必要以上に周りを気にして会話する自分自身に一番疲れを感じていました。
■承認欲求おばけの完成
そんな中、大学受験をすることに。
もちろん家族は地元の大学進学を希望するように言ったのですが、私はそこで無理やり首都圏の大学進学を決めました。
学校もうまくいっていなかったし、知り合いにこれ以上会いたくなかったから。
なんかここまで書いていて、すっごい暗い性格だなって再認識(笑)
運良く大学受験も成功し、家を出ることになりました。これで心機一転、人生をやり直せるんじゃないかってそのときは思ったのです。
・・・が、それまで生きてきた私の根本は変わるわけでもなく。
大きく変わったように見えて、やっぱり家族の呪縛は大きく私の中に息づいていました。
他人の評価を気にする性格が見事に形成されていた私は、すっかり承認欲求おばけになっていました。
周りに認められたいがために、極端なダイエットを行い、おしゃれを気にし、自分が強く見えそうなファッションへチェンジ。
何をするにも周りから羨ましがられるものや職業を選ぶように。
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自分より良い成績の人は許せない、妬ましい。
そのくせ失敗をすることが怖くて、仕事でもわからないことを人に聞くことができず、
結局は失敗し、更に悪循環に陥るようになりました。
その頃の私は、生きることが楽しくなく、心の中は完全に疲弊しきっていました。
妬みたくないのに、妬ましい感情がどうしても止まらない、周りから孤立してしまう不安、いろんなどす黒い感情にとらわれていました。