新型コロナ 後遺症とその回復について、など。
退院後、二週間が経ちました。日常に復帰するのが精一杯でしたので、発信する時間も取れずにおりました。現在も軽い後遺症は感じており、体には気をつかうようになりました。退院後、お酒は一滴も飲んでいません。
またコロナレポートを発信して以来、いくつかのカミングアウトも頂き、「復帰仲間」ができました。特に中等症以上で苦しんだ同年代にはシンパシーを感じています。
復帰仲間の属性は概ね、「ワクチン接種が間に合わずにデルタ罹患、40代前後のビジネスパーソン」です。さらに、その他の復帰体験談をネットで探してみて、ある共通点を見出しました。
それは「精神的ダメージ」です。肉体的な後遺症は治っても、精神的に復帰できていない人がいるようです。
よく、理解できます。
私は運良くコロナをポジティブに捉えなおし、心を復活させることができました。しかし、一時は精神的にヤバイ状態でした。今日はその頃何を思っていたかと、どうやってそれを乗り越えたのかを書き綴ってみたいと思います。
コロナによる精神的な後遺症を海外では、「Long COVID」と呼び、恐れられているようです。原因は明らかになっていないようですが、私が読んだ海外のサイトでは脳や神経にダメージを受けた結果だともありました。
実際後遺症として、肉体的には「倦怠感、味覚・聴覚障害、脱毛、呼吸苦、咳、肺の違和感」などが多いようですが、精神的ダメージも計り知れません。そのことを今日は詳細にシェアしたいと思います。
感染初期、最も大きなストレスだったのは、コロナに感染してしまったという事実を、家族、職場関係や取引先に伝えることでした。
リモートワークがほとんどだったので、最初は「感染事実を伝えなくても、メールなどで対応しよう」と考えていたのですが、症状が激化してはお手上げです。ビジネス関係には、陽性が判明して入院した後にご報告したのですが、送信ボタンを押す前に非常に悩んだのを覚えています。
前回のレポートにも書きましたが、発熱&頭痛&呼吸困難マックスの頃は意識も朦朧として、悪夢を何度も見ました。その中にはあまり思い出したくない記憶も現れ、強烈な精神的ダメージを受けていました。
さらに入院時はずっと寝ているだけなので、普段意識をしない事を、何度も何度も考えました。入院後の投薬で熱や咳が止まっても、鬱状態というか、実際に不安やせん妄、不眠の状態が続きました。
肺の奥は痛むし、声も枯れた声、このまま社会復帰できるのだろうか?という悩みにかぶせるように、体温が変動するのです。投薬のおかげで39-40度台からは下がりました。しかし平熱に戻ったかと思うと、また38.0近くまで上がる。その変動が続きました。
進めなければならない仕事があるのに、退院できない事にも多大なストレスを感じていました。しかしこのご時世、入院できただけでも有難いし、後遺症のリスクもあるから完治するまでは耐えるしかない、、、そう諦め、朦朧とする頭で療養に集中しました。
ところで、私は某SNSを2010年からスタートしてからほぼ毎日、記事を更新してきましたが、上記のような状態では全く発信する気が湧きませんでした。
しかしある夜、過去を振り返ってみることにしました。そこで見たのはまさに、「私の履歴書」でした。懐かしい写真に、懐かしい顔がいっぱい。
個人事業をしていた2010年頃。IT系のタマリ場に通い詰めていました。今は地域を代表するベンチャー企業で活躍中の人々が、そこには大勢いました。懐かしすぎる。。。
そして社会人大学に入学して、経済界の皆様と繋がった2012年頃。現在の事業にも繋がる基本的なことを学んだ二年間。厳しくも楽しい学びの時でした。
その後、法人を設立し、大企業や外国企業との提携、新規事業の構築まで怒涛の日々を過ごしたわけですが、どの瞬間にも志を共にしながら頑張った仲間やライバルたちが存在しました。
まさに、走馬灯のように走り抜けた10年を一気読みし、そこからさらに自分が生まれてから今に至るまでをも、回想しました。本当にたくさんの人たちのお世話になったこと、改めて実感します。なのに自分は、皆様にどれほどのお返しや貢献ができたのだろう。
いや、できていないな。。。
自分が駆け抜けることが精一杯で、周囲に対する感謝や気配りができていなかったのではないだろうか。正直、思い当たる節がかなりありました。
経営者たるもの、自分のビジョンに集中して無我夢中で突っ走る!その姿を見せていけば、人や結果がついてくる!そう信じていました。しかし本当に必要なことは、もっと繊細な対話だったり、感謝の気持ちだったのではと思います。
そんな自分が急に情けなくなって、慟哭にも似た感情と涙が溢れてきました。その瞬間に、体に巣食っていたコロナウィルスの一粒一粒に感謝の念が湧いてきました。君らはこの体験を与えてくれるために、、、ありがとう。
肺の中の黒ずんだイメージだったコロナウィルスが、オセロのように全て白に変わっていく、激しく輝く光の発作のような、感動的な戦慄が全身を駆け巡りました。多分、叫んでいたと思います。
世界に感謝して生きよう。
オープンに生きよう。
そして、自分も許そう。
そんなメッセージが、頭に降りてきました。
反応があまりに激しかったので、心拍数が急上昇。ナースステーションから看護師さんが駆けつけてくれたほどでした(笑) しかし、その夜から私の不眠はぴったり止み、翌日から病状が劇的に回復しました。
今回、幸いチームや取引先にサポート頂いたおかげで、ビジネス上で大きな問題はありませんでした。感謝しても、し足りません。そしてこれからの将来も、また同じように仲間の力が必要です。
肉体的には死にも瀕し、入院中は異常な精神状態だったのですが、過去を振り返り、世界に感謝し、自分を許し、もっと世界に対してオープンに生きていこうと決断した後、体は回復し、心は平穏を取り戻したのです。
この話は、私個人の奇妙な体験なので、人様のお役に立てるかどうかは分かりません。しかし後遺症や病中の過ごし方を調べている方々にとって、少しでも参考にでもなればと、書き残すことにしました。
コロナ後遺症で苦しんでいる皆様、もちろん後遺症はウィルスが原因ですが、もしかしたら心の原因も複雑に絡み合っているのかもしれません。過去を振り返ることがそのヒントになるかもしれないので、誠にお恥ずかしい話ではありますが、告白させて頂きました。
どうぞ、ご自愛くださいませ。