【ケアマネ日記】母について思うこと
今週、叔母が2人亡くなりました。一日違いでした。
昨日は、一人の叔母の葬儀があり、私の生まれ故郷の近くまで行ってきました。
私、親戚に会うのが本当に久しぶりで、中には30年ぶりくらいに会う従兄弟もいて、
「どちら様ですか?」なんて冗談混じりで挨拶したりして、でも会えて本当に嬉しかった。
亡くなってしまった叔母さんにもお世話になりました。
私は3人兄弟の長女。下に弟、妹がいます。
実は二人に会うのも10年ぶりくらいでした。
私、幼い頃からある程度の年齢になるまで、母や母方の親戚と揉めてばかりいました。お金を必要以上に私にかけるのに、愛情が感じられなくて苦しいと思っていました。
よく、子供を産むと、親の気持ちが分かるって言うでしょ?でも、私はますます分からなくなりました。
どうして私の思いを聞いてくれなかったんだろう?
私の望んでることは、母が私に望むものとは違うものだった。
高級で綺麗な服を着る事や、いいマンションに住まわせてもらうことじゃなかった。お金持ちと結婚することでも専業主婦になることでもなかったのに…
私は、母に私の思いを共感してもらいたかったんですよね。
一人の人として扱って欲しかったのだと思います。
今思い出しても反対されてばかりだった。長女である私ばかり。息が詰まりました。
母は「彼女の考える世間体」をすごく気にする人だったから。
常に私に「自慢の娘像」を押し付けていたんだと思います。
私が、何か「こうしたい!」って話すと、母や親戚から「ダメに決まってるでしょ!」「でもねー、みーしゃ!」とまず反対から入る。私の人格を無視して介入してくる。そのくせ家族内で内緒の話があるとなぜか私にだけ教えてくれない。
だから、いつも母に話しかけるのが怖かった。
物心ついてから私はその言葉に反抗してばかりでした。負けるもんか!って思っていました。「もうあなたたちの言いなりにはならない!自分のことは自分で決める!」と。
結婚を機に、(あ、もう離婚したけどね、笑)両親と疎遠になりました。それと同時に弟や妹とも距離を置くようになってしまった。
全く会わないわけではないけど、最低限にしていました。
会うと辛くなるから…
でもね、年月が経つって面白いですね。
私とは考えの違うこと、その考えで思いっきり私の心に踏み込んでくることを、客観的に見ることができるようになったように思います。
心がザワっとすることももちろんあるんですよ。でも、それでも落ち着いていられるようになりました。
私が、母の理想の娘になることはもうないからかな?
私が私のことを誰にも左右されず自分で決めているからかな?
母の、母なりの愛情も感じられます。そして、母の育った環境、経験、時代背景…それらを考えると、母の母としての限界もあるんだと思います。
一人の人として、母なりに懸命に生きてきたことに共感することもできます。
口うるさかった、親戚たちのことも然り…
久しぶりに会った、弟、妹。
疎遠になってたけどかけがえのないきょうだいと思えます。
両親が、介護を必要になった時どうするか妹と話しました。みんなで協力しよう!って。
両親が穏やかな老後を二人らしく過ごしてほしい。
頼りないお姉ちゃんでごめんよー。一緒にやっていこうね!
年月を経てようやく母の気持ちが分かるかも。
それは、母親っていつまでも不完全なものだと言うこと。
私も自分の娘と自分を重ね合わせて考えると分かります。
帰り際、母は「みーしゃ、体だけは気をつけて」と。
今回亡くなった叔母も長女だった。みんなのために世話を焼く人だった。
最後まで、みんながまとまるように世話を焼いてくれたんだね。
ほんとにほんとに、ありがとう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?