2度目の在宅決定に向けて準備中
仕方なく施設に預けるしかない皆さま、どうかお気を悪くしないでくださいね。その選択しかできないことが多いことも、重々理解しています。
私にとっても、1番の希望は、現在の施設のようなところで母を見てもらい、私が面会をし、職員さんが助かるとおっしゃってくださるママの介助をしながら、ママと時間を過ごすことです。
しかし、数日前、「今までと変わらない話だが、娘さんが安心すると思うので医師と看護婦から直接の話しを聞ける機会を設けた」と呼び出されました。
しかし、実際には、施設では食事に1時間かけることが難しくなり、尿の間隔も空いてきてしまっているため、療養型病院に移る手はずをしたので退所してほしいと告げられる内容のミーティングでした。施設入所時から、食べられなくなったら胃瘻を希望すると伝えていたのに、胃瘻のお話も一切ありませんでした。
その前日まで、母の状態については聞いていたのですが、それでも、「母には熱もないし、スタッフさんが頑張ってるので大丈夫だ」と聞いていたので、急に出て行くことになり、正直、騙されて上手に出て行くように仕向けられた思いでいっぱいになりました。
2年お世話になったこの施設は、その前の施設と比べても断然良い施設で、いつも感謝の気持ちでいっぱいでしたので、残念な思いになりました。
私は、以前に施設探しで大変だったときの思いがよみがえってきたりして、どうしていいのか混乱したまま、早速いろいろな場所に連絡をし、何ができるのか模索をしました。
調べれば、なぜまず普通の病院にいかせないのかなどの意見もあったり、療養型病院の先生に伺えば、療養型病院と言うところは、いろいろなパターンがあるものの、最終的な人が来るところであり、高栄養輸液の点滴して寝かされたままであることなどを告げられました。
家族に、少しでも長く生きてもらいたい気持ちがあったり、以前から望んでいた胃瘻ですが、その希望があったりする場合は、療養型病院は行き先が違うかもしれないと、その病院の、親身になってくださる誠実でとても親切な先生は教えてくださいました。
その翌日に、たまたま施設のズームの予約が入っていたので、母の様子をズーム越しで見ることができましたが、確かに痩せ細っており、笑顔も作りにくくなっていましたが、しばらくしたら私だと認識できたようで、少しだけ笑顔を見せてくれたのです。さらには体を起こして私に手を伸ばそうとしてくれたのです。
私は涙が止まりませんでした。そして、たまたま長期で休みだった、私が頼りにしていた相談員さんが翌日に出社され、その方の前で、以前に在宅介護をしていた時以来の大泣きをしました。
「絶対に母をそのようなところに、寝たきりで閉じ込めることはできない」とはっきりと思い、私はその直後に仕事があったので、「絶対無理だと向かってるけど、それでも在宅を私は選びたいと言い残し、とりあえず施設を後にしました。
特に宗教的な祈りのポーズをとるわけでもなく、しかし、とてもインティマシーな祈りに導かれ、その2〜3日の間で、魂の深いところに確かに語られた言葉があったように思いました。
私はママを見捨てられない。最期は、住み慣れた家で見送りたい。それに尽きたのです。
すると翌日、相談員さんが、外部からケアマネさんを用意してくださり、とりあえず話をしましょうとミーティングの場を設けてくれました。
血液検査もしてくださり、母の様子から、在宅が可能だと判断した相談員さんと、前にもお会いしたことのあるそのケアマネさんから、1人じゃないから、絶対できるからと励まされ、在宅を決定しました。年齢が近い私たち3人で、最後は笑って、3〜4時間ほどのミーティングを終えることができました。
これから何年続くか分かりません。私のスーパーでの買い物中に、ママの息が途絶えるようなことがあるかもしれません。
しかし、それは施設でもどこでも同じく抱えるリスクです。どんなに手厚く介護をしていても、特に高齢者は、家に容体が変化することも、急死することもあり得ることは、契約時に承諾して施設に入れております。
ですから、私の親族たちにも、その事は初めからきちんと説明をして、万一の時に、決して私を責めないようにお願いをしておくつもりです。また、私自身も自分を責めたりすることがない心構えを保っておく必要があります。
正直、私はこの3年で、日々ママを思いながら、私の生活のスタイルを確立させてきました。そもそも、コロナ禍ということもあり、コロナ禍でなくても、ずっと母と一緒でしたので、さほどお遊びなどで出かけることのない私ですが、趣味で始めたスポーツも、今までのように行うことができなくなるでしょう。それでも、何かに導かれるように私は進んでいます。
ママにはっきりとした認知症診断が出る前も、在宅介護をしていたと言っても過言ではない状態がありましたが、認知症診断が出てからでさえも、6年以上在宅介護をしたことになります。
常に喜ぶことを選んで、天からの力を得ながら進んでいましたし、ママと一緒にいることが幸せでしたし、もう絶対私が守るという意気込みがありましたし、まだ50代でしたし、表面的には元気に見えていましたが、今振り返っても、長期間にわたるワンオペ介護の苦労から介護うつを患っていて、ついには、自分では大丈夫だと思っていても、身体の髄まで影響し、それまでになったことのない病床が現れるようになりました。
おいおいお話ししていきますが、私はママのためならどんなことも犠牲になっても構わないと思っていましたし、ママの介護自体が嫌ではなかったし、ママも私と一緒にいることが幸せでした。
しかし、決して1人では抱えていけないことを私は抱えてきたことが、1番辛いことだったのです。日頃の介護は私がしても、1番支えてもらいたい人から優しい言葉をかけてもらったり、私が倒れた時に代わってもらったりしたら、そこまで追い詰められる事はなかったと思います。
1人で抱えるなと言われても、どれだけ行政に頼っても、できる限りの福祉サービスを利用しても、できるだけ自分の時間を作るようにしても、生活がギリギリの中でやらなければいけない事はやらなければなりませんでしたので、私が常に求めていたのは、「1人で抱えないこと」「ゆだねなさい」という言葉ではなく、実際に家の中に入り込んでの実質的なヘルプでした。
そうならざるを得ない状況を作っていたのは、ママの認知症疾患でもママの介護自体ではなく、本来であれば家の中まで入り込んで助けていただける立場の人たちに、どれだけ説明してSOSを出しても、助けを得るところが、不理解な説教や批判、人によっては暴力的な言葉が返ってくるだけであったことと、そして、長年ママと暮らし日々ママの介護をしている私の存在を完全に無視し、私のいないところでママについての実に身勝手な決断をされてしまって、とんでもない事件となったことでした。
過去を振り返るわけではなく、誰かを恨みに思うと言う事でもなく、二度と同じことが繰り返されないために、戦争と同じく、平和の将来のために忘れてはいけないこととして、今なおそのような言動があらためられていない限り、そのような周囲の不理解や愛のない言動が、私、つまり私なしでは生きられないママと私をひどくおとしめていた事実については、語らなければなりません。
そのような事実を認めて、歩み寄る、協力し合う姿勢を見せてくれれば、何も問題は無いのです。そのことも10年以上継続してお話ししてきました。
以前に在宅介護をしていた時は、そのように、話を聞いてもらうだけではなく、一緒に協力して母を支えることも、また母のことで相談することさえ許されない中、日々1人ですべてを抱えなければならない状況下で、私は火事場の馬鹿力を常に発揮していた状態でしたので、どんなに健康な人間でも、疲弊して病んでしまって当たり前だったと、今だから客観してみることができています。
ママは、この秋まで通算すると、3年間施設に入所していました。私は、その間にずいぶん癒されました。特に今夏くらいから本当に元気を取り戻していました。
しかし、デイサービスに加えてショートステイが入ったころは、私と離れるのが不安で怖くて顔をしかめて泣いていたママはというと、この3年間で払った犠牲は大きかったです。
お世話になった施設の職員さんたちには本当に感謝しています。ただ、職員さん不足の中で、母が放置されることも致し方なく、施設にはいろいろな人たちがで入りをしており、いろいろな人たちが母に触れますので、現実は、少なくとも私が経験したどこの施設さんも、テレビのコマーシャルなどで見る良い印象からはかけ離れています。
また、私たち家族には知らされない実に残酷なことが明らかになったことも多々ありました。ママが家にいたら絶対にそのようなことにはならなかったと明言できる事を何度も体験してきたのは事実です。認知症のご家族が利用する施設を体験された方々は皆さんよくわかっていただけますよね。
しかし、家族がみられないから預けるわけです。預かっていただいている上、何があっても口答えはできません。
幸い今の施設は、「皆さん人質にとられているようだとおっしゃいますが、そのように思わず、どんなことも気づいたことがあれば言ってください」とおっしゃってくださる相談員の方がおられる施設でしたので、その意味で、私の気持ち的には、助かっておりました。しかし、施設は施設です。実の娘がケアをするような事はしていただけませんし、話し合って約束していただいたことでも、実行していただけないことが多いですし、それぞれの施設でいろいろな制限があるのも事実です。
その結果、もちろん衰弱はしていく病気ですが、これは気をつけていてくれればならなかっただろう事は多々あります。
しかし、過去を振り返っても仕方がないので、在宅で少しでも取り戻せるものがある信じ、母と暮らしていかれる日々を、光だけを信じて期待しています。
先はどうなるか分からないし、愛する人をなくす恐れもナクラならないと思うけれども、それでも最高の愛でママと「今」を生きて、この世での楽しい思い出をたくさん作ってあげたいと思います。