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マロナの幻想的な物語を観た

ものすごく個人的な映画の感想。
ネタバレありなので
観ていない方は映画をみてからお越しください。




これはアニメーション映画。だけど他のアニメーションとは作画がまったく違う。
話の内容は”動物の尊厳”についてである。暗い話だから観たくないなぁ、と思ったけど、アニメーションが面白かったこと、それからのんさんのナレーションがとても良かったので最後まで観ることにした。
この”暗い話”は今まさに人間が動物に対してやっている行為なのだから、ちゃんと向き合わなくてはならない問題でもあると思った。

最初に、車に轢かれた犬が出てくる。犬はもうすぐ死ぬ。その犬は「人間がするように、私の人生を巻き戻して」と言って、
映画はその犬の出生から順にその生い立ちを語っていく。

犬は女の子で、名前はナインという。ナインはお母さんと兄妹が大好きだったのだが、小さいうちから引き離されてしまう。それからナインはいろんな人間と人生を過ごす。映画のタイトルにある「マロナ」とはナインのことだ。
ナインは飼い主が変わるたび、名前も変わっていった。


ぼくは観ていて辛かった。はじめに交通事故を見せられてから、この犬に救いがないんだろうことはわかっていた。

ぼくが飼っていた猫も過去、ナインと同じ終わりを迎えた。

ナインと同じ死なれ方をした飼い主にとっては傷口を抉られるような悲しい映画だと思う。
お前の愛情が足りないから死んだんだ!と責められているような気持ちになった。
そしてそれは本当にその通りだと思う。

映画を観ていて、この飼い主と同じくらい自分はひどいことをしているのではないか?と思った人は多いと思う。
ぼくははじめ、飼い主を傷つける酷い映画だと思った。

ナインが“マロナ”の名前をもらった家のおじいさんが死にかけたとき、孫娘はおじいさんに対して少し優しくなった。
人間は不思議なもので、普通に生きているうちは、その人が生きていることを当たり前だと思っていて“死”があることなんか忘れてしまう。
孫娘はおじいさんには少しだけ優しくなったけど、マロナへの態度は変わらなかった。孫娘はマロナにも必ず“死”が訪れることに気づかなかった。

この孫娘と自分が重なってしまって本当につらい。猫が亡くなってから何年も経つけど、ずっと罪悪感がある。ぼくが死ぬまで消えないと思う。

マロナはなぜ死ななくてはならなかったんだろう。
マロナは孫娘が乗ったバスを追いかけた。追いかけなければ死ななかったかもしれない。
「犬はいつも待たされる」
とマロナは言っていた。

待たずに孫娘を追いかけた結果が死なのか。
主人の言いつけを破った結果が死だというのか。

あまりにも救いがなさすぎる。

救いがない、というのは違うな。全面的に人間が悪いんだ。人間が動物を“救いがない”状況に追いやってしまっている。

たぶんマロナはいつ死んでもおかしくなかった。
ナインの名前のとき、
サラの名前のとき、
いつだってマロナには死がつきまとっていた。

ただ“アナ”の名前のとき、マロナは”最高に幸せ”と言っていたなぁ。

「私の人生を巻き戻して」

マロナの人生を振り返ってみると嫌なことばかり思い出してしまうけど、
マロナにも幸せな時間はちゃんとあった。
マロナは人間に捨てられ、暴力を振るわれ、保健所につれていかれそうになった、
だけど幸せな時間を与えてくれたのも、また人間だ。

「わたしの人生を巻き戻して」

自分のせいでペットが死んだと悲しんでいる人(ぼくも含む)は罪悪感から“してあげられなかったこと”ばかり思い出してしまうと思う。
だけど幸せな時間は確かにあったし、むしろ幸せな時間を思い出してあげるべきなのかもしれない。
ぼくはこの映画は飼い主の傷口を抉る酷い映画だと思っていたけど、

幸せかどうかはマロナが決めることなんだろうな、と思ったし、
そういうメッセージが込められているんだと思い込むことにした。
じゃなきゃ本当にマロナに救いが全くないから。






















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