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主人公だぞっ!竈門炭治郎①累にトドメを刺したのは義勇だった件

こんにちは。

満を持して(?)ついに炭治郎についてです。

みなさんもちろんご存じだと思うんですけど、竈門炭治郎は『鬼滅の刃』の主人公です。

竈門炭治郎は主人公なんですよ。(大事なことなので一応2回言いました)

主人公について語るのは緊張しますね、気を引き締めていきたいと思います。

以下ネタバレ含みます。ご注意下さい。


目次
はじめに
1、炭治郎と累
2、“繰り返すことで円環を成す”鬼滅の刃
3、“相討ち”と“絆”
4、生殺与奪の権
おわり



はじめに

ぼくが鬼滅の刃を知ったのはアニメが最初でした。

今めちゃくちゃ人気な漫画があるらしい、漫画の作者が女性と明かされて話題になっていた、というのはニュースで知っていたんですけど、内容は全く知りませんでした。

地元のTV放送局のCMで「鬼滅の刃一挙放送!!!」とかなり激推しの様子だったので観てみたら完全にはまってしまいました。

那田蜘蛛山編での炭治郎のヒノカミ神楽のアニメーションは「これは映画なのか」と思うほど熱量がすごかったですし、まだ原作を知らないぼくは「これで最終回なんだな」と思ってました。
ここのシーンは本当に凄かった、めちゃくちゃ感動しました。
誰がなんと言おうと“神回”です。

炭治郎が格上の下弦の鬼を倒した…と思いきや…

(アニメ20話)

なんと、累、まだ生きてました。

…えーと…ちょっと待ってくれ。

あんだけ凄いアニメーションで盛り上げたのに?倒せなかったってどういうこと…???

累が自分で斬ったってなんなんだよ。

っていうか炭治郎が頸を斬ったってことで良くないか???

って思いませんでしたかみなさん???

主人公らしい素晴らしい見せ場だったはずなのに…。

しかも救世主のように義勇が颯爽と現れ、

格好良いところ全部かっさらっていきましたね。

主人公は炭治郎なのになんて酷い扱いなんだ(個人的な感想です)


ヒノカミ神楽覚醒のシーン、原作の方ではアニメほど尺をとってないので、もしぼくが原作を先に読んでいたらこんな疑問は生まれなかったのかもしれませんが、

今回は「なぜ炭治郎は累の頸を斬れなかったのか」についてです。
よろしくお願いします。

以下物語の構造についても掘り下げていますので苦手な方はご注意下さい。



1、炭治郎と累

炭治郎と累の闘いは言い換えれば「竈門家の絆vs蜘蛛家族の絆」であると言えます。(アニメでは“兄妹の絆”とタイトルされているが)

竈門家が代々守ってきたヒノカミ神楽を炭治郎が受け継いでいたこと、そしてお母さんが禰豆子を起こし、禰豆子が一緒に闘ってくれたからこそ累を追い詰めることが出来ました。
竈門家全員で闘った結果、炭治郎は生き残りました。

逆にもしも累が姉蜘蛛と共闘していたら、炭治郎たちは負けていたと思います。義勇が駆けつける前に勝負はついていたでしょう。

那田蜘蛛山編でも「絆」は重要なテーマです。この「絆」をテーマとした“闘い”は無惨との最終戦まで持ち越されています。これについては別の機会に書きます。

那田蜘蛛山編でのもうひとつのテーマは「命を懸けること」が問われているとぼくは思っています。

累は「家族の役割」に固執し、「家族のために命を懸ける」ことこそ「本物の家族の絆」であると考えています。

実は炭治郎も「長男という役割」に固執し、「家族のために命を懸ける」という点は累と全く同じ考えなのです。

炭治郎と累は「同じ」であり、闘う前から「引き分け」だったのです。


2、“繰り返すことで円環を成す”鬼滅の刃

実は鬼滅の刃の物語は何度も何度も円を描くようにループしています。

(22巻192話より)

ざっくり言うと「1話→修行(休息)→闘い→1話→修行(休息)→闘い→1話」という感じでしょうか。

今までのnoteでは「オマージュ」と書かせていただきましたが、つまり、鬼滅の刃では1話のオマージュ(円環の始まり)が何度も起こっているんです。

那田蜘蛛山編でも1話のオマージュが存在します。

1話と累との闘いを比べてみます。
1話で炭治郎は義勇に禰豆子を奪われています。

そして那田蜘蛛山編では累に禰豆子を奪われます。(5巻39話)

1話で炭治郎は義勇を倒せなかったので、炭治郎が累を倒せなかったのは「オマージュだから」とも言えます。


3、“相討ち”と“絆”

さらに1話のオマージュについて掘り下げます。
1話で炭治郎は自分を犠牲にしてでも禰豆子を助けようとしました。

(1巻1話より。義勇イケメンだなぁ…)

そして累との闘いでも炭治郎は禰豆子を守るために捨て身で立ち向かっています。

炭治郎は1話と同じく、自分が死んでも累を倒そうとします。

しかし結果、累を倒せませんでした。

ここで問われるのは「相討ちの是非」です。(この問いも無惨との最終戦に持ち越されている)

炭治郎が死ねば、禰豆子との絆の断ち切れと同時に、父との約束である「ヒノカミ神楽の継承」という竈門家の絆を断ち切る事になります。
炭治郎がヒノカミ神楽を継承していくのは「長男としての役割」でもあります。(この「長男としての役割」の是非も無惨との最終戦に持ち越されていると思う)

(死を覚悟した炭治郎は“約束”を守れなかったことに「ごめん」と言っている。この「ごめん」のシーンはアニメでは描かれなかった)


ひいてはヒノカミ神楽の継承が途絶えることは、今まで竈門家が代々守ってきた(これは後に明かされることですが)命の恩人である縁壱との絆をも断ち切る行為です。

累との闘いは「絆」もモチーフとしているので、“絆を守り抜いた方”が勝ちになります。

もし炭治郎が自分を犠牲にしてしまったら、それは炭治郎が「自ら絆を断ち切る行為」となり、「負け」になります。

これについては禰豆子だけ残して自分は死のうとしていた1話の炭治郎も同じなのですが、

「相討ちでは鬼に勝てない」という暗喩だと個人的には思っています。

一方累は信頼ではなく「恐怖による服従」によって家族の絆を繋いでいます。
この恐怖の絆は母蜘蛛にとっては「焦り」となり敗北の原因になりました。それに蜘蛛家族は協力して闘いません。恐怖の絆では「協力」が生まれないのは当たり前です。

炭治郎は自ら絆を断ち切ろうとしましたし、累はそもそも絆すら繋げていなかったので
炭治郎VS累の結果は「引き分け」であり、炭治郎が累の頸を斬れなかったのは当然と言えます。


4、生殺与奪の権

1話のオマージュはまだまだありますが最後にひとつだけ、生殺与奪の権も絡んでいます。
炭治郎が累の頸を斬れなかったのは炭治郎が「主導権を握れない弱者」だからです。

(1巻1話)

(5巻39話)
炭治郎は累の前では「死ぬしかない」「勝てない」という役割を与えられた“弱者”です。

しかし義勇の登場により、累の立場は逆転し、累は“弱者”となります。
義勇は自分だけの型を編み出せるほどの圧倒的“強者”で、あっという間に累の頸を落としました。

ここで弱者である炭治郎と、弱者である累は同じ立場になります。(ここでも「引き分け」の匂いがする)
そして炭治郎は弱者に寄り添います。

このシーンは個人的に、1話で「生殺与奪の権」について炭治郎が説かれたことに対する義勇へのアンサーだと思っています。
(5巻43話↑助けてもらったのにこの態度。炭治郎のこういう所が推せる…。義勇が口を尖らせる心理状態も1話と同じだ↓)



おわり

炭治郎が背負うテーマは重いので、気づいたことがあったら加筆修正するかもしれません。

今回炭治郎について考えましたが、やっぱり義勇は格好良いなぁと思ってしまいますね。圧倒的強者…。

鬼滅は全話凄いんですけど、1話の凄さは半端ないです。
これからも鬼滅に関するnoteで1話は何回も登場すると思います。



今回は以上です。読んでいただきありがとうございました。

(画像がぼやけてしまうのはご容赦ください)

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