三内丸山遺跡に行くべし
人生でそんなこと2回しかないんだが、友達と服を買いに行った。5年ぐらい前だ。あれは極めて楽しいな。俺はフードの付いた上着やパーカーが大好きなので、友達がパーカーを着ている姿を想像した。いいね、ものすごく似合っている。
「パーカー買いなよ。似合いそう」
「パーカー嫌い」
「えぇ!?」
そんな奴いるのか? 俺はその瞬間まで、全人類がパーカーを大好きだと思っていた。街でどういうわけかパーカーを着てない人は、何かやむにやまれぬ理由でそうじゃない服を着ているに違いないとそこそこ本気で思っていた。
「なんで?」と聞いた。
「なんか子供っぽいじゃん」
そうか? そんな考え方が存在したのか……。言われてみるとそんな気もする。パーカー良いのにな。みんなパーカー着ればいいのに。似合わない人はいません!
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大学の頃、また別の友達とトンカツを食っていた。楽しく喋っていたんだが、突然なぜか不機嫌になって無口になった。明らかにイライラしている。なにか気にさわることでも言ってしまったか?
「もしかして俺なんか悪いこと言った?」
彼はおもむろに、俺のうしろのテレビを指差した。テレビでは「サザエさん」が流れている。
「サザエさん嫌いや」
サザエさんに嫌いも好きもあるか? 感情が無いだろ。サザエさんについてひとつも意見が無い。無(む)すぎる。「サザエさんどう思う?」 無(む)。無(む)だよね。
「なんで?」と聞いた。
「つまらないから」
サザエさんに面白いもつまらないも無いだろ。空(くう)だよ。仏教で言う「空(くう)」ってなに? って聞かれたら「サザエさんのことだよ」って答えるぐらいには空(くう)だろ。大体つまんないからって怒らなくてもいいじゃんね。それから彼はしばらく不機嫌だった。トンカツ屋を出ると機嫌が直った。
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俺が中高生の頃に憧れて今でも大好きな、みうらじゅんさんや山田五郎さんといった「サブカルの砦」の中央に鎮座しているヒーローたちから教わった最も重要なことは、「つまらない」だけは言わないということだった。彼らはいかにもつまらなそうなテーマをどこからか持ってきて、さも「世界で一番おもしろいものを発見した」みたいに語り、そして実際に話が面白かった。
それまで誰も注目していなかった「行政が考案する着ぐるみのキャラクター」をたくさん見つけてきて、「ゆるキャラ」と名付けておもしろがり始めたのはみうらじゅんさんだ。行政の考える着ぐるみキャラですらおもしろがれるんだから、おもしろがろうとさえ思えば世の中はおもしろがれるもので溢れていると知った。
たぶんサメ映画や、「プラン9フロムアウタースペース」(伝説のB級映画)なんかも、そういった精神によって発見されてきたものだと思う。「つまらない」というのは自然な反応だと思うし大抵はごもっともなんだが、もしかするとそこに誰も発見していないおもしろがり方があるかもしれない。せっかくなら「地球で最初にこれをおもしろがったのは自分だ」と言えるものを見つけたいじゃん。そうやって世界を見たい。
だからサザエさんも! そういう意味では! なんというか、その、サザエさんだってそりゃ、なんかしら、ね。それは。なんかしらさ。それは、ね。その、おもし……う〜ん。そう、ね。おもしろ……う〜ん。そう。ね! きっと、それはね。そうなんだよ。
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ところで俺の体重がついに90kgを切った。すげえ。2月にダイエットを始めた頃は117kgぐらいだったから、27kgほど落としたことになる。それでもまだ太ってるというのがびっくりだ。人によっては死にますよ27kg落としたら。
夏から続けているウォーキングが今でも継続している。あの頃は報告すると彼女が褒めてくれるので頑張っていたのだが、今はもう、あぁぁぁあああぁぁぁあああぁあぁ!!!!! ぁぁああぁぁあ!!!!
ウォーキングは継続している。
ウォーキング中、暇だからよく「予備知識ゼロの状態」を想像する。予備知識ゼロの状態、初めて見るという気持ちで車とかを見る。たいそうびっくりする、という遊びだ。これはおもしろい。
おい「つまんなそう」とか思ったろ。つまんなくないから! つまんなくない!
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昔から「虹」が怖い。このあいだも東京で巨大な虹がかかっていて、怖いから目を背けた。風力発電所の風車が怖い感覚と似ている。あの風車、近くで見たことありますか? 俺はなんかいつも「殺されそう」と思う。無機質な、なにか本当に恐ろしいものが何の感情もなく俺を瞬殺する様子が頭をよぎる。なんらかの恐怖症だろう。
国によっては虹は不吉の象徴らしい。俺みたいな人がいたんだろうな。大昔、予備知識がまったく無い状態で虹を見たら「綺麗だなあ」と思えるだろうか。「なんだあれは!」「なんだあの虹色のやつは!」ってなるに決まってる。「虹色」は知ってるのか。
「夜になる」とか、「木が生えて葉っぱが繁る」とか、「人が生まれたり亡くなったりする」とか、完全に予備知識が無かったらどう思ったんだろうな、と想像するときがある。「雷」とかめちゃくちゃ怖かったんじゃないだろうか。突然あたりがピカッと昼間みたいに一瞬明るくなって、その数秒後に地鳴りのようにドォ〜〜〜ンという音がする。
現代の我々は雷のことを「ポセイドンの怒り」によるものだと既に知っているから、「また怒ってるなぁ」と思うだけだ。誰か謝り行けよ〜。数Bのポセイドンが職員室に帰っちゃったから、授業が終わるギリギリ前に委員長が謝りに行けば終わりだが、昔の人は本当に怖かったことだろう。
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「遺跡」がとても好きだ。一人旅なら必ずなんらかの遺跡を訪ねる。原始時代の遺跡というのはこうした自然現象に対して、人間がどういう態度で接したかを少し垣間見せてくれるときがある。あるいは何を怖れ、何に悲しみ、何に喜んでいたかを伝えてくれる。本当ならタイムスリップして見てみたい。いろんなことを聞いてみたい。
青森市にある「三内丸山遺跡」は、たぶん日本で一番有名な遺跡だが、俺の最もおすすめの遺跡でもある。ぜひ一度行ってみてほしい。素晴らしい遺跡だ。
三内丸山遺跡について少し説明すると、縄文時代の遺跡で、大規模な集住が行われていたことと、それがものすごく長期間に渡っていることが特徴である。縄文時代というのは弥生時代の前で、日本では弥生時代に稲作が浸透し、富の蓄積と身分の格差が生まれ、戦争が始まる。縄文時代とはそうなる前のまさしく牧歌的な時代だと見られている。遺跡の中央に見つかったおそらく「3階建ての建物」が有名で、この建物が何に使っていたのかわからないのがロマンだ。
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三内丸山遺跡に行ったのは4年前の夏で、noteに最初に投稿した「新潟の風俗に行った」話のあと、東北を回っているときだった。まずびっくりしたのはそのアクセスの良さで、本気出せば新青森駅から歩いて行けるぐらいの場所にある。普通、遺跡なんて「そもそもどうやって行くんだ」みたいな場所にあるのが当たり前なのだ。
マンションとか周りにいっぱい建っていて、車もビュンビュン通る。そこに真新しいコンクリの建物があって、それが三内丸山遺跡の博物館だった。さすが日本で一番有名な遺跡だけあって、博物館も超でかい。
中にはガイドさんとかもいて、展示もめちゃくちゃ充実している。縄文時代は1万年以上続いたので草創期〜晩期まで6つの時代に区分されているのだが、それぞれの時代ごとに部屋があって、その時代の特徴的な縄文土器が並び、生活の様子が再現されたりジオラマになったりしている。
縄文グッズ満載の売店や、「勾玉を作る」なんていう体験コーナーもあってもう最高に楽しいんだが、俺が度肝を抜かれたのは地下だった。地下には「再現室」という縄文土器の破片を完全な状態に再現する巨大な部屋があるんだが、そこの廊下側に完全体となった縄文土器が数百個並んでいて、それでも破片が余ってるのか、大きな壁一面に縄文土器の破片が貼られてモニュメントみたいになっていた。どんだけあるんだ。
普通、完全な状態の縄文土器が何個か発掘されればもう小さな博物館だったら建つぐらいのことなんだが、余るほど発掘されてるんだろう。長らくこの集落が続いていた証拠である。
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もう原始時代ファンからすると大満足でぶっ倒れるほどなんだが、最後のメインイベントがこの後に待っている。さっきまで見てきたこの縄文時代の様子を、外に再現してありますというのだ。竪穴住居、そしてさっき触れた謎の「3階建ての建物」、なんかの盛土、などなど。おいおい、死んじゃうぜ? 楽しみすぎる。
順路を歩いていくと、外に出る前の最後の通路が20mぐらいの薄暗いトンネルになっていた。トンネルをくぐると外が見える。自動ドアが開く。一歩外に出る。
目の前は森になっていて、マンションや電線とかは見えない。
さっきまで博物館の中でしていた色んな音、案内の音声や、ガイドさんの声、観光客の話し声もしなかった。
都会らしい音、車の音や街の喧騒も聞こえない。
シュワシュワシュワシュワ。ジージージージー。セミの声がする。
ピー、チヨチヨチヨ。鳥。
それだけしか聞こえない。
シュワシュワシュワシュワ、シュワシュワシュワシュワ。
ジージージー。ジージージー。
チヨチヨチヨ。
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え……? と思った。
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マジなんだが、「タイムスリップした」と思った。はっとして横を見ると、かつて博物館だったらしき建物があって、ああびっくりした、現代だ、と思い直す。
一瞬本当に「どうやって帰ろう」と思った。タイムスリップしてみたいとは思っていたが、実際にしてみると帰りの心配が勝った。ただ、それぐらいには本気で一瞬そんな気になった。
狙ってそうしてるのか、たまたまそうなってるのかわからないけど、三内丸山遺跡のいちばんのおすすめポイントはここだ。「マジで一瞬タイムスリップした気になる」。そんな場所はここ以外に知らない。できれば1人で、この記事のことを忘れてから、ぜひ行ってみてほしい。原始時代ファンじゃなくても楽しめるだろう。
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縄文時代の遺跡はだいたい地域を問わず、子供の葬り方に特徴があるそうだ。大人の場合は集合墓みたいなところにみんな一緒に葬られているのだが、子供が亡くなると、いつも使っている土器に遺体を入れ、家の周辺か出入り口の近くに葬られた。
三内丸山遺跡ではそうした土器の中から共通して「丸い石」が見つかるらしい。子供の副葬品が特徴的なのは時代を問わない。平安時代以降は竹とんぼやコマなどのおもちゃが副葬品として出てくる。「丸い石」にどんな意味が込められていたのかは、今となってはわからない。
「死後の世界」というものが何らか想定されていたのか、あるいは別の呪術的な意味なのか、わからないが、この丸い石を探しに出る、子を亡くした親の気持ちは今とそう変わらないだろうと思う。そういう背中を想像すると、心から祈りたくなる。
1万年前も今も、冬は寒いし夜は怖い。地球にはまた年末が訪れる。来年は良い年であるように。現代の我々も、神様に祈るしかない。