おしっこを漏らした

 今日もハードな1日だった。
 外は騒がしい。この街は眠らない。さっき降った雨はすっかり上がって、昼の熱気を溜めこんだアスファルトが上昇気流を作り、年中切れかけの街灯は夜霧をうっすら照らしていた。
 俺は今、街の外れの小さなバーで、マティーニに沈めたサクランボを舌で転がしながらこの文を書いている。丸テーブルの隅には、すっかり冷めたクロックムッシュが俺に咀嚼される瞬間を今か今かと待っている。ここのマスターはクロックムッシュしか出さない……。

 まあ嘘だけども。どこにあるんだそんなバー。クロックムッシュ以外も出せ。
 大体なんだマティーニって。飲んだことある奴いるのか?
 よくハードボイルド小説とかに出てくるイメージがあるが、みんな勘で書いてるんだと思う。俺がよく行く隠れ家的バー(鳥貴族)では見かけたこともないな。

 マティーニ出してる店も勘で適当に作ってるかもしれない。

 「マティーニですね、かしこまりました」

 (なんかサクランボ入れ……? 入れるよね? 入れる……?)
 (なんだっけウォッカだっけ? え、焼酎? 焼酎なわけねえだろ黙ってろお前)
 (オレンジジュース? あ、ありそうありそう。入れとこう)

 「お待たせいたしました。マティーニです。今夜の貴女にピッタリだ」

 飲んでる方もよくわかってないから、

 (あぁ、マティーニ? ってこんな感じだっけ。そうそう、オレンジジュース? 入ってて。うん、これこれ)

 「おいしいわマスター。飲まなきゃやってられない気分なの」


 昔のネットは「無職」とか「童貞」とかいうのが入場券みたいなものだった。
 目も当てられないような失敗談を面白おかしく語るニートのダメ人間が、中学生だった俺にはたまらなくカッコよく見えた。最近のネットにはああいうダメ人間の居場所は無いようだ。どこに行ってしまったんだろう。とても寂しい。
 ちなみに俺の年収は5800億だ。

 今ではタワーマンションの最上階を専用のサラダバーにしている俺(筋肉ムキムキ)にも、人並みに失敗した話はある。あれは2016年の、ちょうど今頃の季節だった。

 アルバイト先のメンバーで飲みに行こうという話になった。メンバーはいつもの5.6人で、大学生から40代までバラエティ豊かだ。俺はその頃バイト歴4年目ぐらいになっていたが、飲み会には参加したことなかった。なんかめんどくさかったからだ。

 誘われなかったわけではない。ほんとだよ。ほんとほんと。めんどくせぇ〜って思って、ほら飲み会ってダルいじゃん? マジめんどくせぇっすわ、って断ってたの。だりぃ〜、みたいな。全然誘われたけど。あんま酒とか好きじゃないし。全然別に。別に別に。普通に。

 それでそのときも誘われた。マジめんどくせぇ〜、って話。誘わなくていいっすよ俺、ダルいっすわぁって思ったけど、一回ぐらい行っておくことにした。断りすぎて実際に誘われなくなってきたからだ。誘われないとなると話は別で、それは違うじゃん。

 飲み会は楽しかった。みんな結構、俺を寡黙なタイプだと思ってたらしい。たしかにバイト先では「シュールな感じ」を演出しようとしてあんまり喋ったりしてこなかった。だが初めての飲み会で喋りに喋った。ビールがじゃんじゃん注がれ、水のように飲む。喋っては飲み、飲んでは喋る。気づくと瓶ビールを8本ほど空けていた。

 帰り道、ちょっとトイレに行きたい気がする。単純計算で4リットルはビールを飲んだはずだから、腹の中はチャプンチャプンだ。だが店から家まで歩いて10分もないので、家のトイレで用を足すことにした。尿意は80%ぐらいだ。まだまだ余裕がある。

 アパートの敷地内に着いた。今日は飲みすぎたから水を買って行こう。深夜1時ぐらいだ。駐輪場の横に、煌々と自販機が光っている。お金を入れた。

 「ビュッ!」 
 おっ、と。おしっこがちょっとだけ漏れた。小指の先ぐらいの量だろうか。まあまあ、全然

 バーーーーーンッッッッッ!!!! ドババババババ!!!!!

 おしっこが漏れた。うおっ、うおっ、

 ジョババババババ!!!!! ギュインギュインババババババ!!!!!! ドーーーーン!!!!

 うお、止まらねえ。とんでもない勢いで漏れていく。

 ドババババババ!!!! ドドドドドドドドジョバババ!! ジョババババババ!!

 もうだめだ。ここで止めても全く意味がない。運命を受け入れよう。なんてことだ。

 ズボンの両サイドの裾から、くるぶしを通って地面がどんどん濡れていく。ちゃんと裾から流れるということはズボンの防水性って結構あるんだな、と感心した。ジョババババババ!!!!

 全く漏れやむ気配がしないおしっこをひたすら見届ける。さっきからずっと漏れてる。いつ終わるんだ。ダダダダダダ!!! ドババババ!!!

 もう漏れてしまった以上、無かったことには出来ない。途中から俺は「この話を友人にどうやってしよう」と考えてニヤニヤしていた。

 深夜1時ぐらいの静かな住宅街での出来事だったから、幸いにも目撃者はいなかった。もしいたらコトだっただろう。
 真夜中に汗だくのデブが、自販機の前でニタニタ笑いながら凄まじい勢いでおしっこを漏らしているのだ。
 よくわからないが多分「刑事事件」だ。気持ち悪すぎる。

 考えてみると俺は夏にろくな思い出が無い。
 この前の年の夏は女の子にフラれたショックで緑色のゲロを吐いた(どこから?)。野菜食ってないのに。
 この翌年の夏は何故か金玉がカサカサになってクリームを塗っていた記憶しかない。

 他の年もだいたい似たようなものだ。「浴衣を着た美女と花火大会に行く」なんて、マティーニ飲んでる奴と同じぐらい非現実的だ。前世で俺は一体何をしたんだ?

 今年もやたら暑い日が続いている。そんなんでも夏はなんとなく特別だ。青い空と大きな雲だけでお釣りが来るぐらい。
 冷房の効いた部屋でコーラを飲んで下らない文章を書いてる。思い出は尽きない。

 皆さんにおかれては、良い夏であるように。

いいなと思ったら応援しよう!