『ニセコイ』の小野寺さんを理解してる奴がいた

 『ニセコイ』という漫画があった。週刊少年ジャンプに載っていたラブコメ漫画だ。

 連載が始まった頃、ちょうどジャンプを毎週買っていたのだが、当時のジャンプというと新連載が始まってはそんなに当たらないのを繰り返していて、もう何がヒットして何がヒットしないのかわかんなくなっちゃったんじゃないかと思うんだが、突如ラブコメが3つ連続で始まった。

 『ニセコイ』『パジャマな彼女』『恋染紅葉』だ。

 同じジャンルの漫画が同時に連載されることは普通はあまりない。たとえば野球漫画が3本も載ってたらそれはもう「野球漫画雑誌」だろ?

 当時のジャンプは確実に迷走していたと思う。ラブコメ3本同時に載せて、一番人気のやつを残そうという策に出たのだろう。

 それで残ったのが『ニセコイ』だった。

 『ニセコイ』は人気があった。俺の周りも大抵は読んでいて、どのヒロインがいちばん可愛いか語り合うのが雑談のテーマのひとつだった。

 厳密には5人ぐらいいた気がするが、細かい点を無視すると要は2人のヒロインがいた。
 「小野寺さん」と「桐崎千棘」だ。

 主人公の「一条楽」は地元ヤクザの跡取り息子として将来を嘱望されている人材だが、ヤクザになんかなりたくないと公務員を目指している高校生だ。

 そこへどうしたいわれか、アメリカからマフィア組織がやってくる。マフィアだから地元ヤクザと折り合いが悪い。マフィアの娘が「桐崎千棘」で、周りの大人達は「楽」と「千棘」が結婚すれば丸く収まるということで政略的に2人をくっつけようとする。

 2人ともその気は無いのだが、変に刺激してもあれだから空気を読んで「偽りのカップル」を演じる。2人の「ニセの恋」は本物の恋に変わるのだろうか……!?

 という話だ。

 で、「小野寺さん」はなんなのかという話なんだが、主人公の一条楽が前々から片思いしてる女の子で、誰に対しても優しいし可愛いし、だけどちょっぴりドジなところもあるのが最高にキュートな本作のもう一人のヒロインだ。そしてあとでわかるのだが、小野寺さんは主人公に惚れている。
 まさに「夢」みたいな女の子だ。俺ももちろん好きだった。

 ダブルヒロインのラブコメで、こういうタイプのキャラの勝率がどれほどかよくわからないが、少なくとも小野寺さんからは「負けヒロイン」感が最初から最後まであった。そもそもタイトルが「ニセコイ」なんだから、小野寺さんが楽とくっついたらあのタイトルはなんだったんだよという話になる。

 俺も含む全国の小野寺さんフリークにとって、重要なポイントはこうだ。

 小野寺さんは、たぶん負ける。
 しかし小野寺さんは、楽とくっつかなければ幸せにならないだろう。(それぐらい楽に惚れている)
 だとすると、小野寺さんはこれからの人生をどうやって過ごす?

 正直、見えなかった。小野寺さんが今後幸せに生きていくビジョンが。そんなことがあっていいのか?

 小野寺さんは最初、クラスの「高嶺の花」のようなキャラクターとして登場する。みんな小野寺さんのことが好きで、一条楽も片思いしている。

 「高嶺の花」でありながら、色々と世話を焼いてくれるところもある。怪我をした主人公に絆創膏を貼ってくれるシーンが初登場だ。


 俺がハートをぶっ刺されたのはたしか4話ぐらいだったか、楽と千棘が偽りのデートをする話の最後、千棘がトイレに行っている間のシーンだ。
 楽は公園のベンチでうなだれながら、己の心中を口に出してしまう。

 「今日のデートの相手が小野寺だったらなあ」


 そこに、たまたま小野寺さんが通りがかる。クラスメイトの楽が公園のベンチでうなだれているから声をかけようとしたところに、突然自分の名前が呼ばれたのだ。

 「今、私の名前呼んだ?」「なに、考えてたの……?」と楽に尋ねる。

 このときの小野寺さん余裕たっぷりの表情。
 好きだ!

好きだ!

◽️

 小野寺さんはいつの頃からか、キャラが変わってしまった。
 俺は初期の「余裕たっぷり」なキャラが特に好きだったのだが、どういうわけか途中から楽が近くにいるだけで真っ赤になってわたふたしてしまうキャラになってしまったのだ。

 それはそれでもちろん可愛いのだが、あの表情とセリフに胸を貫かれた俺としては、もう一度あの小野寺さんが見たいという気持ちだった。

 だが、「ジャンプ」というのは人気が全ての漫画雑誌だから、今の「すぐに真っ赤になってしまう小野寺さん」が人気とあればそれを元に戻すことはしないだろう。俺の怒りはもっぱら、ジャンプ編集部に向いていた。

◽️

 あるとき、同じく『ニセコイ』ファンで、俺に匹敵するほどの「小野寺さんフリーク」の友人がサークルの部屋でジャンプを読んでいた。

 俺はそいつに小野寺さんのキャラが最近変わってしまったこと、俺は小野寺さんの「余裕たっぷり」の表情が好きだったこと、最近の小野寺さんもさあ、当然好きだよということ、でも昔の小野寺さんがやっぱりさあ、好きだったんだよな、ということ、などを語った。友人は聞いてるのか聞いてないのか、ジャンプのページをめくり続けている。

 「どうなんだ、なあ、なんで最近は楽が近くにいるだけで真っ赤になってわたふたしちゃうんだよ! 俺は昔の小野寺さんがさあ〜」

 友人のメガネがキラッと光った。
 ペラ、っとページをめくり、つぶやくように言った。


「頑張るって、決めたからじゃん?」

 小野寺さんは1巻の途中で自らの楽への好意を認め、自分から告白をすると心に決める。
 それ以来、告白しようと何度も挑戦するのだが、逡巡したり空回ってしまったり邪魔が入ったりして上手く行かない。

 だが、そういった苦難を乗り越えても自分の好意を伝えるのだ、と決めたから、頑張ると決めたから、だからこそ空回りしてしまうのだ。余裕たっぷりではとてもいられない。それぐらい楽が好きなのだ。

 そしてそれこそが小野寺さんの魅力なのだ! と、そういう意味がこもった一言だった。そう、全ては「頑張るって、決めたから」なのだ。

 なんという解像度。なんという小野寺さんへの理解度だろうか。俺は恥じた。浅はかにジャンプ編集部を呪い、何もわかってねえ奴らだと思っていた俺は全然違った。俺こそが小野寺さんを理解できていなかったのだ。ファン失格だった、と思った。

 全国の小野寺さんフリークの懸念は、こいつがニセコイに登場人物として出現することで解決するはずだった。

 小野寺さんはたしかに楽とは結ばれることはなかったが、異常に小野寺さんを理解してるこいつが出てくれば万事丸く収まるだろう。

 古見直志先生に彼を紹介できなかったのが一生の悔恨である。あのあと、小野寺さんは楽のことを忘れて次の一歩を踏み出せたのだろうか。そうであってほしい。
 小野寺さんに幸あれ。

 今となっては良い思い出である。

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