梨をはじめて食った/ (付録)竹中平蔵を見た
秋が深まってフルーツの季節だ。
初めて「梨」を食った時のことは今でも覚えている。今日はその話からだ。
俺は5歳ぐらいだった。
ある日、兄貴(7歳・独身)と2人でテレビを見ていると、台所で母親がリンゴを切っている。ははん、今日のおやつはリンゴか。
あんまりテンション上がらんな、毎日スイカを食わせろ、と思いながらテレビを見続けていると、母親はリンゴが載った皿を2つ出してきた。
片方の皿にはリンゴが10切れほど載っている。
もう片方の皿にはリンゴが3切れ。
「どっちがいい?」
?? どう考えても10切れの方だろ。意味がわからん。
俺は10切れの方を指さし、「こっちがいい」と言った。
兄貴も10切れの方がいいだろうな、まあここはジャンケン……。
「俺はこっちでいいよ」
兄貴は3切れの方を指さした。あ、兄貴……。兄貴すぎる。これは兄貴すぎやしないか? 弟に10切れの方を譲るって、大したものだ!
俺は兄貴が2人いるのだが、片方はのちに東大に行くぐらい小さな頃から頭がキレる一方で性格が悪い。もう片方はこれといって特徴は無いが性格は良い。
今回出てくる兄貴は良い奴の方だ。そんな兄貴(良)だから10切れの方を俺に譲っても違和感は無かった。
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もしゃもしゃとリンゴを食っていると、流石に3切れしかない兄貴がひもじく思えてきた。
「ちょっと食べる?」
まあ、10対3を8対5にするぐらいには俺にも誠意がある。俺の優位が揺るがない範囲で最大限に良心を満足させたいという典型的な偽善を、俺は5歳にして会得していた。
「いや、いい」
兄貴はそんな俺の偽善的精神を見抜いたのか、無用な施しは拒絶する構えだ。まあそれならそれでいい。助かりたい気持ちのある者にしか、俺は手を差し伸べないぜ。まったく素直に受け取っておけばよいものを。
俺はすっかり「百円札を燃やして足元を照らしてる成金」のような気持ちだった。
そんなこんなで2人して静かにリンゴを頬張っていると、どうも兄貴のリンゴの様子がおかしいことに気づいた。
まず色が真っ白だ。質感もなんか粒立ってるようなザラザラ感がある。咀嚼音も「シャク、シャク」と、ちょっとリンゴと違う。どうも変だ。これは本当にリンゴか?
「それリンゴだよね?」
Is it an apple ? という教科書みたいな例文が違和感なく発されるのはこういうシチュエーションを置いて他に無いだろう。
「リンゴじゃないよ」
じゃあなんだよ。リンゴっぽく見えるリンゴじゃない果物ってなんだよ。
「これは『なし』だよ」
「なし」? とんちか? 有るのに「なし」、これ如何に。うるせえ!
なんだよ「なし」って。よくよく聞くと、どうやらそういう未知の果物があるらしいことがわかった。なんだなんだそれ。食ってみたいぞ。
「ちょっと頂戴よ」
「ダメだよ、3切れしかないもん」
おいおい兄貴。弟だぞ? おれ弟なんだが? くれったらくれよ。
ここで立場逆転だ。交渉に交渉を重ね、リンゴ1切れとナシほんのちょっとを交換することになった。不平等条約感がすごいが、未知の果物には代えられん。かろうじてもらったナシほんのちょっとを口に含む。
シャク。おお。なんだこの食感は。新しい、新しいぞ!
そしてみずみずしさ! 果汁が口いっぱいに広がる。
なによりおいしい! こんなおいしい果物があるのか!
このうますぎる果物をもっと食いたい。兄貴よ! 俺の残りのリンゴ全部と、ナシ1切れを交換しよう! 文句ないだろ? 残り全部だぞ?
「だめ」
おいおいおい、本当に兄貴か? 兄貴たるものさあ、わかるだろ?
おれ弟。きみ兄貴。ほらSay ? セ〜イ?
兄貴はナシを交換してくれた。弟でよかった。いいよな弟。兄じゃなくてよかった。
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最近リンゴにハマって、スーパーでリンゴを色々買ってトーナメントしている。
品種によってかなり味違うんだな。今のところ「シナノスイート」が圧倒的に好きだ。超甘くて全然酸っぱくない。
そうだ今日はリンゴじゃなくてナシ食おう。そう思ってスーパーに買いに行ったんだが、値段にビックリした。1個500円するのな! 500円!? 500円あったら一生遊んで暮らせるぞ。明治時代ですか?
仕方ないから500円で買って食べたんだが、最初のあの衝撃はもう全く無いことに寂しくなる。Perfumeの「Time Warp」みたいな気分だ。
『2周目のあのゲームみたいにほら、結局は難しくなるだけさ』
そこじゃねえだろ。
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なんかの前置きにしようと思ってこの話を始めたんだが、前置きにしては思ったより長くなった上にここで筆を置くのもどうかな、という中途半端な文字数になってしまったので、ちょっと全然関係ない小話でも書いておこうと思う。
何の話にしようかな。
竹中平蔵さんの話しようか。全然関係ないけど。
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竹中平蔵さんをご存知だろうか。
小泉総理の時代に政権にいた、なんか政治と経済に関する人だ。詳しくはよく知らんが「諸悪の根源」みたいに扱われることもある。とにかく有名人だ。
この人はもともと学者で、慶応大学の先生らしい。今も現役かは知らないけど、俺がちょうど大学受験するときは慶応のSFC(湘南藤沢キャンパス)の教授だった。
慶応のSFCというのは「総合政策学部」と「環境情報学部」という2つの学部からなる。
何を学ぶのかさっぱり見えないネーミングだが、ざっくり文系は「総合政策」、理系は「環境情報」に行く。
「1科目入試」で有名なのもこの2つの学部で、俺の頃は「英語と小論文」とか、「数学と小論文」で受験できた。小論文というのは単なる長めの作文のことなので、要は英語か数学のどちらかを勉強すればいいのだ。
ちなみにその代わり、英語や数学の問題は鬼難しかった。
俺も浪人生の頃に、入試直前になって「国際教養」とか「総合政策」みたいなテイストの学部名がやたらカッコよく思えてきてそういう学部を中心に受けた。
そして慶応の総合政策学部を受けたときの試験監督が竹中平蔵その人だったのだ。
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竹中平蔵さんが試験会場に入ってきたときのことは今でも覚えている。
付き人みたいな学生たちを何人も従えて、竹中平蔵が手ぶらでやって来た。
(た、竹中平蔵じゃねえか!)
俺と同世代の人はよく覚えてると思うが、いつも小泉総理とともにテレビに映っていた人だ。普通に有名人が目の前に現れて俺は大興奮だった。
試験中も黒板の方を見ると竹中平蔵がいる。おいおいおい、竹中平蔵じゃねえか。
試験が終わって解答用紙を集めるときも、竹中平蔵がいる。竹中平蔵まだいるじゃねえか。
ちょっと待って、ひょっとして竹中平蔵じゃないかも。もう一度じっくり見る。
竹中平蔵だ。あれは竹中平蔵だ。
いやいやいや、こんなところに竹中平蔵がいるはずがないって。見間違いじゃない?
竹中平蔵の顔をよくよく見る。竹中平蔵だ。
竹村八蔵? いやいや、竹中平蔵。
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やっぱり慶応ともなると有名人が教授やってんだなあ、と思いすっかり感心していたんだが、俺が忘れられないのは竹中平蔵さんの態度だった。
まず表情というと「超めんどい」を絵に描いたような顔だった。「なんでこんなのやんなきゃいけないんだよ」とでも言いたげだ。
そして助手に付いてる学生たちを「アゴで使う」を絵に描いたような扱い方をしていた。それまでもその後も、あんなに偉そうにしてる人を俺は見たことがない。めちゃくちゃ偉そうだった。偉いんだろうけどさ。
「王」みたいな態度だった。本物の王でもそんな王みたいにしないぞ。
そして試験が終わると、とんでもない早さでいなくなった。全くやる気ないバイトみたいなスピード感だった。本人的にも「試験監督」なんて全くやる気ないバイトみたいな業務だったんだろう。
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政治的な意味で竹中平蔵さんに思うところはマジで特に無いが、テレビやYoutubeで竹中平蔵さんを見かけるたびに、あの日の光景が頭に蘇ってくる。ちなみに慶応は落ちた。
どっかで書いておきたかった話だが、ついでに語るのにちょうどいい長さになった。竹中平蔵さんありがとう。
今となっては良い思い出である。