誰かを救えない無力感について
こんにちは。炭素です。
お久しぶりです。
皆さんいかがお過ごしでしょうか。
私は変わらずに世界を生きています。
病み垢をやっていると必然的に同じように病んでいる人と繋がります。
これを読んでいる皆さんも
病んでいる人とのつながりが多いと思います。
しかしながら、一口に病んでいるといっても
その背景は多種多様です。
私は昔に比べれば随分と気分が良くなりました。
昔と言ってもまだ二十歳にもなっていないんですけどね(笑)
そんな中病み垢を見ると
”この人を助けたい”
みたいな気持ちになるんですよ。
そのつらさが痛いほどに分かってしまうせいで。
きっとこの界隈にいる人のうちの何割か、いや、多くがそう思っていると思います。
精神を病むのって優しい人多いですし。
けど私が沢山の人と関わってきて思ったことがあります。
人は人を救うことはできない。と。
どれほどその苦しみに理解を示しても
どれほど似た状況を経験していたとしても
基本的に他人が人を救えるはずありません。
ましてやネット上です。
実際病んでる時のことを考えれば
"誰も救ってくれない"
と一度は思うでしょう。
まあ、ネット上で出会った人が心の拠り所となる場合もあります。
けどそれは救いなのかどうかわかりません。
私は、誰かを支えるためには自分が救われていなければいけないと考えます。
共に病んでいる人間同士というのは確かに心地よいです。
しかしそれは共に奈落へと落ちているとも言えます。
もし今現在病んでいる人がこれを聞いたのなら、きっとそれでもいいと答えるでしょう。
実際、私はそう答えたでしょう。
本当に愛され信頼される人がいて、世界に希望がないのならその人と共に全部終わらせたいと。
しかしながらそれは病んでいるからこそ起こる思考だと言えます。
本来、愛されて幸せで満たされて苦しみがない人生ならば人は世界を生きたいと思うものです。
ちなみにこれに疑念を持つ人がいるのなら、それは病んでいるからだと思います。
もちろん、一定数そうでない人もいるでしょう。
けれどそれは病んでいないときにそう思う人に
限るのではないでしょうか。
話が脱線しました。
基本的に人は人を救うことはできないと私は考えています。
せいぜい一時的に気を紛らわせることができる程度です。
じゃあ結局私はなにを伝えたいのかという話ですが、、
あなたが目の前の人を救えなくても、
それはあなたが悪いわけじゃないという事です。
誰かを助けたいと思う人は人より優しいと同時に、責任感を感じやすいように思えます。
故に誰かを救えなかった時や、無力感を感じたとき辛くなることが多くあります。
そんなあなたは何も悪くありません。
本来、人は人を救う事なんてできません。
できるという幻想があるだけです。
だから人を救えなかったとしても自分を責めなくていいんです。
たった一瞬でも相手がほんの少しだけでも楽になれたのなら
たった一瞬でも誰かを笑顔にできたのなら
あなたが存在したことがちゃんと報われます。
大事なのは結果的に人を救えたかどうかではないと思います。
その人を救えるのは、その人自身だけです。
だからもし、今この文章を読んでいるあなたが
誰かを救えない
救えなかった
などと無力感を感じて苦しんでいるのなら
悩む必要なんてありません。
もちろん、そういわれて苦しみが魔法のように消えるとも思っていません。
しかしながら私はあなたは十分人の役に立っている素晴らしい人間だと思います。
ただそれだけです。
誰かを支えたいと思ったのならば
救うというふうに"上" から人を見るのはやめ、
自分にできることを"その人の隣" で精一杯やれば
それでいいんじゃないでしょうか。
" 救いの押し付け"
っていうのは害悪なのでやめましょう
それではまたいつか。