文章を書く筋力について考える。
文章を書くのも色々と向き不向きがあるらしい。
noteに考えたことを書きたいと思ったのは、今使っているSNSがいずれも文字数が満足にないことからだ。Twitterは140文字までだし、はてなブックマーク(これをSNSと呼ぶべきかは別として)は100文字だ。
はてなブックマークでブクマに対する意見をどうにか100文字に収めようと、文章の表現を変えてみたり省略してみたりするのは、それはそれで面白さがあるのだが、自身の思考を表現しようと思うと100文字はおろか、140文字でも全然たりないのが実際だ。
で、ここ何回かnoteに好き放題思ったことを書き連ねてみて思ったこととして、自分の文章を書く筋力は短距離走型なのだな。ということだ。
このnoteのアプリ版は文章を書くことに特化しながら、右側で文字数だけはカウントしてくれている。これを見ながら今の文章量をリアルタイムで把握できるわけだが、だいたい1000文字を超えたあたりから、息切れを感じるのだ。
息切れというのは、言いたかったことを言い尽くしてしまい特に書くことがなかったり、ばらばらと文章を重ねたはよいが、落とし所が見つからなくなり、おろおろとするような感覚だ。
そんな体験を踏まえて、他の人のnoteを見ると、もっと文字数を重ねていて、これに深く尊敬の念を覚えるとともに、やはり小さな俺が嫉妬を感じるのだ。
長いのに読ませる、そして結論がきれいにまとまった文章。これはなんというか、ペース配分をしっかりと考えたフルマラソンや、何なら別の話題を盛り込んだトライアスロンのように思われて、実に持久力や計画性がある文章の筋力をもっていないと実現できないな、と思うのである。
一方私の書き方は、思ったことが走り始める初動は軽快に進むのだが、中盤もすぎると失速してしまう。どこまでの近距離と呼ぶかは定義が難しいが、私の感覚としてはまったく近距離よりの筋力しかないな。と思うのだ。
長距離を走れる筋力へのあこがれはある。だがそれを目指すべきなのか?というのも難しい。短距離には短距離の楽しさと良さがあると思う。
ただいずれにしても共通しているのは、繰り返しによって鍛えて感覚を取り戻すことでしか、良いものは産めないということだ。
日記にせよ、思考の雑文にせよ、やはり読み返して『俺やっぱり最高だな』と思えるものを書きたいと思うが、それには日々繰り返しの上に感覚を掴むしかない。
と、ここで1000文字を超えた。やはり息切れしている感じがする。今日言いたかった話は文章を書くには筋力が必要で、それには人それぞれの向き不向きがある。というようなことだったはずなのだが、なんだろうか、やはり着地がおぼつかない。
着地がきれいである必要がどれだけあるのか。というところでもあるけれど、とりあえず練習を重ねて行こうと思う。今日はこんなところである。
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