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SFを書くことへの憧れ

今も昔も、運動ができる子供はサッカー選手や野球選手にあこがれ、そうでない子どもたちは漫画家や絵描き(現代だとYoutuberでしょうか)に憧れる。というのは、現代のような情報過多の時代においても変わらない現象であり、文化的な社会に生きる人間が辿る、ごくごく一般的な人生の過程だろう。
そういった憧れは、歳を重ねるごとに社会の現実であったり、興味の移り変わりなどで、将来の夢という憧れの第一線から退いていく。なんなら将来の夢という枠自体が消えていくことも、別に珍しいことではない。俺の場合も同様だ。

だがしかし、人間の社会性は、あくまで社会に属することで形成されているに過ぎない。
俺とっての根源的な幸福感や満足感は、幼い頃の憧れと今も地続きになっており、どんなに社会の鎧を身に着けて、地位や物の豊かさを手に入れたとしても、中身は中学2年生の心のままで、いつか憧れの姿になることを夢見ている、心の種火がいつまでも燻り続けている。

そして本題だ。SFを書くということに憧れている。
特にここ数年、Ingressとかいう拡張現実のクソゲー(褒め言葉)に端を発して、よりより身近になっていくミックスドリアリティな技術と、三体やプロジェクトヘイルメアリーのようなベストセラーSFに触れた事で、よりふつふつと沸いているのだ。

ここからはあくまで持論と主観に基づいた、SFに憧れる気持ちを文字に起こしておこうと思う。

とりあえず憧れるのは、荒唐無稽な設定。だ。
今年の頭、衝撃的な価格設定で一部の世間を騒がせた、『週間ウォーハンマー40k』というものがあった。
これ自体は、組み立てフィギュアを使ったボードゲームなのだが、こいつの名前のあとについている40kという数字がいい。40kのkはキロであり、つまり1000倍という事であり、これが意味するのは4万という数字であるが、4万という数字に続く単位は年である。

つまり、ウォーハンマー40kは西暦4万年を舞台にしたSF世界なのである。
メソポタミア文明が生まれたのが6千年前。現代の技術水準の世界になってわずか100年ばかりというこの現代から3万8千年後の世界を描くなんていう荒唐無稽さに、想像力が掻き立てられる。
そしてその想像力を遥かに超える、カオスでケレンの効いた宇宙規模の設定が盛り込まれているウォーハンマーの世界は俺の心を強く刺激する。

俺は未来を舞台にしているSFが好きだ。
しかも、その未来が今と地続きになっていて、それが話の主題で無いのに、物語の中で過程を想像させるようなのが好物だ。

例えば、三体の2巻以降。
これは本当に自分の中でスマッシュヒットで、本当に数年後、想像の範囲で収まる未来のSFと、数百年の時間を経た世界を、納得させられる背景を立てて地続きに描いていて、人間の想像力はこんなものまで生み出せるのかと、人類の可能性に感動すらする内容だった。

現実には時間は巻き戻せないし、未来を予測することもかなわないが、物語は未来から逆算して歴史を書き、時間を操る事ができる。すばらしいことだ。

また、俺の好きな作品にトップをねらえシリーズがあるが、この世界の設定にある、宇宙はエーテルに満たされているという理論。こういうのも良い。
エーテルとは古くは実際に唱えられた物質だけど、今では完全に否定されている。でも、物語の中ではこれが本当にあったらば?という仮定に考察と架空の論拠を交えることで、物語の根底にすることができる。
無いものがあったとしたら、世界はどうなるか?人々はそれをどう活用し、どう向き合うか?一歩足を踏み外せばただのバカな話に過ぎない、架空の存在をらしく見せるための、設定。こういうのが好きなのだ。(あとエーテルという言葉がEthernetの語源になっているとか、そういうのも好きだ。)

荒唐無稽な設定に、考察を凝らし、あるときは現実から地続きにある予言のように未来を描き、あるときは存在しない物体を存在させるための理論を作り出す。
SF。すごく憧れる。

こういったベースになる世界観のアイデアはとめどなく出てくるので、時々Keepなどに書き留めているものの、その上で紡ぐストーリーを描くのがまた難しい。(この好物のストーリーもこんどまとめてみよう。)
せっかくこんな感じで思ったことを書く場所を作れたので、自分が見たいもの、好きなものを時々書き出して、何か作れればいいなと思っているのだ。

憧れの種火、いつか燃やせるといいな。

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