ダーウィン空爆から80年。式典に参加してきました
こんにちは!
ダーウィンの板金屋です。
ダーウィンには多数の戦争遺跡が残されているのですが、
オーストラリアに引っ越してくるまで知らなかった事のひとつに
ダーウィン空爆 があります。
今回ダーウィン市内にて、空爆から80年の式典が行われると聞き
私達も参加してきましたので、
今回はそのレポートを綴ってみたいと思います。
※2022年2月の記事となります。
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ダーウィン空爆は、今から80年前の1942年2月19日
旧日本軍によって行われました。
オーストラリアにとってこれは他国による最初にして最大の攻撃で、
私達はこの歴史自体、オーストラリアに来て初めて知りました。。
シドニーに居るときは、2月19日がそういった日だと知りませんでしたが
ダーウィンの人々にとってこの日はとても重要な日だという事がわかりました。
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到着した頃にはすでに式典は始まっていましたが、
スコット・モリソン首相、ピーター・ダットン国防相、NT州のマイケル・ガナー州首席大臣など
政府要人たちがスピーチを行っており
一般の参加者も4000人以上と、
ダーウィン市民のこの日に対する意識の高さを感じました。
式典に参加していた方の中で
当時実際に空襲を経験された
101歳の元軍人の方が参列されており、
その方が献花をされる際に
会場の全員が立ち上がり、
とてつもない歓声と拍手が沸き起こり
彼を讃えていました。
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私は日本ではこういった戦没者慰霊の式典など
参加したことがありませんでした。
しかし、こちらでは若い人や家族連れを含め
多くの一般市民が当たり前のように
過去の戦争で戦った英雄を敬い、讃えます。
そして二度と戦争を繰り返してはいけない、と各々胸に思うではないでしょうか。
少なくとも私は強く思いました。
式典後、私達はもう一つ別の場所に向かいました。
伊124潜水艦慰霊碑へ訪問
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こちらはダーウィン空爆の1ヶ月ほど前である
1942年1月20日
ダーウィン沖で戦没した旧日本軍の潜水艦
伊号第124潜水艦の慰霊碑です。
式典会場であるダーウィン市内から車で15分ほどの
casuarinaというエリアにあります。
今回新たに、乗組員80名の氏名を記した石碑が建てられたということでした。
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この沈没した潜水艦はいまでもそのままダーウィン沖に沈んでおり、
乗組員の引き上げも一切されていないということです。
ダーウィンにはこのような悲しい歴史の跡がたくさん残されていることを
ダーウィンに来て初めて知りました。
私達がたまたまダーウィンに引っ越してきたのも
ひょっとしたら何か意味があるのかもしれない、と感じます。
ダーウィン軍事博物館
かねてから行きたいと考えていた博物館にも訪れました。
ダーウィン軍事博物館です。
ここには戦時中の資料や展示が日本軍のものも含め、多数ありました。
この軍事博物館の周辺一帯に戦争遺跡が当時のまま残されています。
その傍らでかわいい自然のワラビーが見れたりする場所です。