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天色ストーリー⑤❨空はまだ見えない❩【連載小説】
頬にあたる風が、少し柔らかくなったと感じる陽気の頃。
合格者一覧の掲示板に、自分の受験番号は無かった。美彌子は、志望大学に落ちたのだ。
高3になった美彌子は、心を決めて進学の希望を真剣に両親に伝え、幾度かの話し合いを重ねた。予想通り母は猛烈に反対し、父は「まあ、お金なら何とかなるんじゃないか」と、相変わらずゆるくも優しかった。
その果てに、どうしても受けると言うならと両親から出された条件は、自宅から通学できる国立大学1校のみ、且つチャンスは現役受験の1度きり。
そうしてやっと手に入れた大切な宝物は、儚くも美彌子の手からこぼれ落ちてしまったのだ。
そもそも一次試験の数学で、普段の模試より点数を落としたのが致命的だった。模試ではほぼA判定だったが、それでも不合格となる例は少なくない。美彌子自身、危うさを感じていたからこそ、居ても立っても居られずに、こうして直接大学まで発表を見に来たのだった。
あーあ、だめだったか。
だけど受けさせてはもらったんだから、これは自分の責任。しょうがない。
夕方帰宅した母に、不合格だったことと、発表を見た帰りにその足で飲食店のアルバイトを決めてきたこと、その仕事が来週から始まることを告げた。
「あら、仕事ならもう少しゆっくり考えてもいいんじゃないの」
母の返事が、微妙に引っかかる。いつもの母なら「ダメだった?じゃあすぐ仕事見つけないとね」と言いそうなのに。
夜にかかってきた高校の担任教師からの電話で、その理由が明らかになる。
「お母さんから、もしもの時には就職も考えてると聞いていたから。普通ならこの時期には有り得ないようなきちんとした会社から、運良く求人が来てるんだ」
就職?そうか。
私はもう就職すべきなんだ。
大学へ行くという選択肢はもう無いんだ。
確かに、両親のくれた1度きりのチャンスを逃し、これ以降あらゆる意味で両親に頼れないとは思っていた。だからここからは自分でアルバイトをしながらお金を貯めて、勉強も続けて、来春もまた受験するつもりでいた。
でもそんなことは、この家では許されないんだね。
「しっかりした一部上場企業だけど、札幌営業所は10人位のアットホームな職場らしいよ。決して悪い話ではないと思う」電話口で優しく語りかける教師の声をどこか遠くに感じながら、美彌子の心はずっしりと重い失望感に覆われていた。
既に3月も半ばで、普通なら進学なり就職なり、春以降の身の振り方はそれぞれ決まっている季節。そのせいか、その会社を受けるのは、美彌子も含めてたったの3名となり、採用は1名だから、3分の1の確率だった。
筆記試験でわざと間違うことも、面接でわざと印象悪くすることも出来たのかもしれない。だが美彌子は、それは少し違うと思った。本当に拒否したいのなら、誰がなんと言おうと断ればいい。それが出来ない以上、正々堂々きちんと受ける以外に道はなかった。
そしてその結果、美彌子に採用通知が届く。母は大喜びし、当の本人は爪の先ほども喜べないまま入社式を迎えた。
そのようにして始まった美彌子の社会人デビューではあったが、予想外の救いもあった。
就職への心構えも、社会人としての自覚やマナーも持たないまま入ってきた美彌子に対して、その職場はどこまでも寛容で温かかった。
その環境の中では美彌子も、とにかく一生懸命に仕事を覚え、その仕事をいかにミスなく、また時間も極力オーバーせずこなせるかに、全精力を傾ける以外なかった。つい少し前までは想像もできなかった日中を過ごし、家へ帰れば心身共に疲れきって夕食後はベッドに倒れ込むような毎日。そんな日々が半年ほど続いた。
少しずつ仕事にも慣れ、時には自分なりに手際よくこなせた思う日も増えてきた。
まるで3月までの記憶を失ったかのようにここまで過ごしてきた美彌子だが、余裕が出来れば、どうしたって思い出してしまう。
私は、大学へ行きたかった。
いや、今だって行きたいのだ。
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