天色ストーリー②❨ヒミツの放課後❩【連載小説】
ミヤコは、悩んでいるらしい。
お母さんが定時制高校を勧めてきたとかで。
でもきっとそのうち、何とかなるんじゃないかなと思う。頭が良くて、先生達からも気に入られているミヤコ。そのうちどこかから救いの手が差し伸べられて、最後には良い方向へ収まるはず。私はミヤコほど成績は良くないけれど、そういう世の中の流れはわかる。多分、ミヤコよりわかっている気がする。
斉藤朋美の両親は、朋美がまだ幼い頃から、ずっと共働きだった。それも美彌子の母のように数時間のパート勤務ではなく、父母共に多忙な正社員。時には揃って帰宅が21時を過ぎる日もあるから、1人っ子の朋美は、小学校へ上がる前から1人きりの時間が長かった。そのせいなのか、年齢を言うと大体は「大人っぽいね」と驚かれる。そのことを、誰より朋美自身が気に入っていた。
「ミヤコさ、ところでどうなったの?」
「え?」
「例の、ジンとのこと」
「ああ、うん。とりあえず付き合うことになった」
「えー!何それ。て言うか、なんで先にそれ言わない?普通まずそっち言うでしょ」
「ごめん。なんか高校のこと気になって」
「だからそれは何とかなるから。多分、まあ何となくだけど」
「何となくって。説得力なくない?」
朋美と美彌子は、2人して声をあげて笑った。
中学2年という年齢よりずっと大人びた朋美と、どちらかと言えば子供っぽい美彌子。タイプの違う2人だが、一緒にいると何故か居心地良く、互いに自然体でいられる2人だった。
「じゃあね。また明日」
学校を出て、朋美は真っ直ぐ帰宅せず、ある場所へ向かう。楽しみで楽しみで仕方のないあの場所へ。
元々は、放課後の音楽室から聞こえてきたピアノの音が始まりだった。
ピアノを弾いていたのは、3年生のヒサシ先輩。学校祭でバンド演奏をやったり、生徒会長をやったり、1学年下の朋美達の間でも、知らない生徒はいない存在。そのヒサシ先輩が部長を務める軽音部に、正式な部員ではないにも関わらず、気まぐれな出入りが許された朋美。音楽室へ行くと、朋美はいつもピアノを弾くヒサシ先輩の横を陣取った。周りの女子の目とか、別に気にしなかった。
ある日、ヒサシ先輩と、同じく軽音部のアキ先輩から「朋美、次の日曜日空いてる?」と聞かれた。そして次の日曜日、朋美は初めて彼と出会うことになる。
ヒサシ先輩が「俺とアキの通ってたピアノ教室の先輩」と紹介したのは、S高校の2年生だという須合一樹。
「一樹さん、この子がこの前話した朋美。ほら、ピアノ習いたいって言ってた」
「ああ」第一声は、少しぶっきらぼう。
朋美はドキドキする。
「習いたいって言われても、俺もそんなにきちんと教えられるわけじゃないけど」
「大丈夫です」即座に朋美が応える。「本当に基本だけ、2〜3回でも…1回でもいいので。それと、お金はそんなに沢山は払えなくて」
「お金とか、もらえるわけないでしょ。俺、ただの高校生だし」今度は一樹が、即座に応える。
「それじゃあ、これで決まりだね」ヒサシ先輩が軽やかな笑顔で言い放ち、その日から朋美は一樹の生徒になった。
週に1度、朋美が生徒として一樹の部屋を訪れるようになったのがちょうど1か月前で、2人きりで会うのは今日が5回目。もっとも、生徒と言っても実際にピアノを教えてもらったのは最初の2回くらい。あとは殆どお喋りをしているだけだったが、今の朋美にとってはそのひとときが、最高に幸せな時間だった。
「こんにちは」笑顔で言う朋美に、「うん」と、ドアを開ける時の一樹は大抵そっけない。
一樹の住む家は、2階建ての家が横に6軒くっついたような長屋風の市営住宅。お世辞にも広いとは言えない1階のリビングに、不釣り合いにもピアノがある。「昔ピアノ続けたかったのに出来なかった母親のリベンジ」だと、一樹からはそんな風に聞いた。
母子家庭で、一樹と弟の智樹の3人家族。智樹のことはよく知らないが、朋美と同じ中学の同じ2年生らしかった。
「お母さん、今日も遅いの?」
「うん」
朋美が一樹の母に会ったことは、まだ1度もない。
とりあえずピアノの前の椅子に腰掛けた朋美は、ジンと付き合い始めたミヤコのことなど、他愛ないお喋りを始めた。
「同級生と付き合うとか、私にはちょっと考えられなくて。中2の男子って、お子ちゃまだから」そう言いかけた時、ふわっと、いきなり身体が軽くなった。
「えっ!ちょっと、何?」
「いや、軽そうだから。どれ位かなと思って」
何の前触れもなく、突然一樹にお姫様抱っこをされた朋美は、ゆっくりとまたピアノの椅子へと戻された。
何?
え、今の、何?
ドキドキが、全然止まらない。
ドキドキを、全然止められなかった。