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天色ストーリー③❨トビラの向こう❩【連載小説】
この頃はすっかり日が短くなって、美彌子が夕刊配達から帰る頃は、もうほとんど真っ暗だ。ひたすら寒くて雪に覆われる冬へまっしぐらのこの季節。いつもなら気分も沈みがちな時期だけど、無事に普通の高校受験が叶うことが決まって、美彌子の心は晴れやかだった。
「それで、一樹さんとは、その後どんな感じ?」
「うーん…何ていうか」
「あれ?目がハート形になっちゃう〜って言ってたじゃん、先週」
「そうだったんだけどね。実は、もう会うのやめたの」
「えー!なんで?」
「カノジョさん、いたんだよ」
「うそ!」
サイトウは、ちょっと惚れっぽい。それが大人っぽさとか、サイトウの魅力に繋がっているとは思うけれど、結局それでサイトウ自身が傷ついている。
一樹さんの前の数か月間はヒサシ先輩に熱をあげていたし、その前は2組でサッカー部のモトサカ君。その前は…誰だったっけ。
「それで、大丈夫なの?」
「うん。週末中泣いたから、もういいやって。バカバカしいもんね、次いかないと」
どこまで本心かはわからないけれど、でもサイトウならきっと大丈夫。
「いるといいね、サイトウのお眼鏡に適う人」
「いるかしら。私ったら理想が高いから」
自分で言っておきながら、きゃははっと笑う。この笑い方だけやけに子供っぽいところが、美彌子はとても好きだった。
やがて冬の訪れを迎え、年を越したと思えばあっと言う間に3学期が始まった。
始業式から間もない日曜日、美彌子と朋美は家庭科で使う布地を買うため、2人で街なかへ出かけた。
必要な買い物を終えた後、朋美が美彌子に「お茶して帰ろう」と誘った。
大通公園に面した通りまで歩き、西2丁目に着くと、朋美は古いビルの階段を下りていく。下りきった場所にある扉を押し開けると、美彌子の目の前には、一気に別世界が広がった。
珈琲の芳ばしい香りと、わずかに混ざる煙草の匂い。
控えめな音量ながらゆったりと落ち着いた音楽の流れる中で、テーブル毎に繰り広げられる囁きや談笑。
朋美と向かい合って、ゆったりとしたソファの席に座る。
「モカジャバが美味しいよ」朋美に勧められ、そもそも珈琲のことなど殆どわからない美彌子は「じゃあそれで」とオーダーした。
「扉を開けるまで、まさかこんなに広いとは思わなかった」
「ああ、うん。そうだよね。意外と広いよね」
「今までにも何度も来てるの?」
「何度もってほどじゃないけど、3回目かな。ヒサシ先輩達に連れてきてもらって」
「ああ、それで」
運ばれてきたモカジャバは、こっくり濃厚で、とろけるように甘くて熱く、本当にとても美味しい。
「わあ、やばい。私そうとう喫茶店好きかも」
「ハマった?」朋美が、そうなると思ったとでも言いたげな、余裕の笑顔を見せる。何となく上から目線な気がしてちょっと癪だけど、とりあえずこの場所に連れて来てくれたことには、圧倒的な感謝しかない。
「また来ようね、絶対」
帰り道、地下鉄駅の乗り場へ向かいながら美彌子が言うと、「店にいる時から、それ聞くのもう3回目」と、少し呆れたような顔で朋美が笑った。
雪どけの頃になれば、美彌子の新しい家の工事が始まる。
新しい住まいになる筈の場所は、同じ札幌市内とはいえ、今住んでいる地下鉄南北線終点の今の住所からは、遥か遠い東区の北東の端っこ。大好きな友達と、それからジンもいるこの中学から転校なんて考えられないが、通うとなれば、バスと地下鉄の乗り継ぎで片道1時間以上。そもそも、そんなに遠い地域からの越境通学が認められるのかという課題もある。
「あーあ、一難去ってまた一難」
「何のこと?もしかして、さっき言ってた転校がどうとかこうとか?」
「それ」
「大丈夫だよ、きっと。ミヤコもってるから」
「またあ。説得力ないやつ」
美彌子と朋美は、2人同時に声をあげて笑った。
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