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暑い夏の日に知った父の職業

まだ幼稚園児だった頃のこと。
もう50年ほど前のことだから、そう何でも覚えているわけではないけれど、あの日の光景なら今も鮮明に思い出せる。

じりじりと照りつける日差しの暑い、とある参観日のことだった。
クラス全員で円を描くように丸くなって座り、それぞれのすぐ後ろには各々の母親や父親が座っていた。いくつかのゲームやレクリエーションの後、先生は言った。
「それじゃあ次は、みんなのお父さんのお仕事を順番に発表しましょう」
今の時代なら考えられない事だが、個人情報などという考え方も言葉も一般的ではない時代。まもなく指名された子から、実際に発表が始まった。

すぐ後ろの母を振り返り、私は訊いた。
「なんのおしごとなの?」その時まで私は、父の職業を知らなかった。
一瞬の間の後、母はごく小さな声で答える。
「その人がどういう人なのかとか、その会社がどういう会社なのかとかを、調べるお仕事」
「えっ?」
「だから、その人がどういう人なのかとか、その会社がどういう会社なのかとかを、調べるお仕事」
「えっ?」
「だから、その通り言えばいいの」

幼稚園児の私は固まった。
そこまでの発表では、「ぼくのお父さんのおしごとは、くすり屋さんです」とか「家をつくるおしごとです」とか、皆そんな風に、何となくわかりやすく何となく聞いたことのあるようなおしごとを言っている。なのに、母の言う父のおしごとは、あまりに長く、そもそも意味がよくわからない。じりじりと暑く、それに加えて困った状況に追い込まれた私は、遂に回ってきた順番で、じっとりと汗ばみながらこう言った。
「わたしのお父さんのおしごとは、でんき屋さんです」
半ばやけっぱちで虚偽申告をして、何とかその場を切り抜けた私がそっと後ろを振り返ると、怒るでもなく悲しげでもなく「やれやれ」みたいな顔をした母がそこにいた。

父は、興信所に勤める会社員だった。
興信所と言っても、よく2時間ドラマに出てくるような浮気調査のためにホテル前で張り込むみたいな楽しげな(?)仕事はそう多くはないらしく、例えば内定前の学生の人物調査とか、新規取引予定の会社の信用調査とか、ある程度決まった顧客からの定期的な依頼が多いらしかった。

朝4時や5時から自宅で2〜3時間レポートを書き、朝食の後すぐ出社すると、帰宅はまちまちで深夜なることも度々。休日の日曜日も時々は仕事になり、どう考えても過酷な職場だった。
そんな中で、父は辛くても家族を養うために、やむなく奮闘していたのだろうか。それとも、ささやかでも日々それなりには、仕事にやり甲斐を見出せていたのだろうか。

父が病に倒れて突然この世を去ってから20年。
答えを聞けない質問を、今更ながら持て余している。
出来るなら後者であってほしいと、今はただ願うことくらいしか出来ない。


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以上、riraさんの「夏の想い出」企画に参加させて頂きました。

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律子
もしもサポートして頂けたなら、いつもより少し上質な粉を買い、いつもより少し上質で美味しいお菓子を焼いて、ここでご披露したいです🍰