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苑子 後記

終わりの、まとめの文章を書くつもりだったのに
台本を横に置いて読み始めたら、反省思い出戯言止まらず、いっそのこと自分のための備忘録にしておこうというつもりです

舞台の上だけを信じる方は読まなくても大丈夫

※たまに加筆修正される気がします
※全文無料で読めます


かるがも団地 第9回本公演『三ノ輪の三姉妹』
2024年8月31日〜9月8日
三鷹市芸術文化センター 星のホール

次女・箕輪苑子


私がどうして、オール巨人師匠の日本一早いけど聞き取れる挨拶をやり始めたのか覚えている人がいたら教えてください
宮野さんのこんばんみは台本に書いてあるんですけど、マチネの日が寂しいのでこんにちはver.も探しています

baton toucher↔️baton touchee (2)

5分前に舞台袖に行ってビートルズから初恋の嵐に変わるのを聴くんですけど、ここから30ページ分ほぼはけないので覚悟を決めてギリギリで水飲む
ちなみに1幕でみなさんの前から消えられるのは、オープニングのタイトルが映し出されるところと、軽トラに吹っ飛ばされた一瞬です

唯一、全員が舞台上にいるシーンが冒頭でくるのアツいっすよね
ここまでで宮野さんがすでに2早替えしてることで成立しているしつるさんももう早替えしている 惜しまない集団技

ミザンスだけつけて、さてどこから焼き鳥が?となった時に、上から、、、?となるところもそれをまじでやってくださる小玉さんも こういう細かいところも含めて、みんなでかるがも団地の演劇を作ろうとしている
秋林さんの精巧さと手作り感の塩梅がすばらしい小道具の数々も、小道具で笑いが取れるのが彼女のすごいところ/くるくる回ってしまう焼き鳥のお盆を、頑張って正面に向けようとしたのは私からの愛です

初見のセリフをどのように読むかは、自分の引き出しの中から探してくるしかない これだけ豊かな俳優がいるとそれが見られるのが大変贅沢な時間で、まっすぐな人芸達者な人ひねくれた人みんな私からは出てこないもので
笑いながらそれを踏まえてシーンが作られていくうれしさ
みんなで一つの調に則って演技をしていくことも一つの作品のつくり方だけど、そうしないことも大きな特徴だし、ただよう幸福感かもしれない

1章はとにかく私が喋ったり動いたりすることでシーンを呼び込むみたいな感じだなと思ったので、社長を見送って頭を上げる一動作やただ数歩歩いて家に上がる一瞬で、その間にあるはずの道中を自分の中で消化しようという試み/大きく何か動作をするわけではなくただ頭でちゃんと思い浮かべられるかだけなんだけど、初めはスピード感に追いつけなくて間延びしたり流してしゃべり始めてしまったりしていたなと思う
それでも、たとえばお客様へ話しかける私と登場人物と喋る私、現在の私と子どもの頃の私なんかを、竹を割ったようにパキッと変えることはしたくないというかしなくてもいいんじゃないかと思っていて、脚本の台詞に身を委ねていれば転がっていけるんじゃあないでしょうかという説
そして音響照明美術道具の力を大いにお借りしましたありがとうございます

別の作品の時に、稽古場だとなんとなくぼんやりした感じで大丈夫かなと思ってたんだけど小屋入ってぐっとはっきりしてびっくりしましたと言われたことがあって、それはほんま自分稽古場でもっと頑張れよと思うんですけど
私は視覚情報の影響を受けやすい人間で、実際の劇場でその場所の風景を頭に設定できたとき、演技している時の実感が全然違う
ちゃんと自分のいる空間を受け入れて立っていられるということだとポジティブに思ってもおきたい

オープニングをこの曲でやりたいとフラメンコギターの曲を初めて稽古場で聞いた時、これまでのかるがも団地もよく「映像的」と言われてきたけど、より一層テレビドラマ・ホームドラマを思わせてくるじゃんと思ったワクワクする/お客さんの見方もそうだし、こちらの人力・カット割のスタンスも

バチバチにぶつかり合うようなシーン以上に実は稽古量がものを言うのがお笑い的な掛け合いのシーンで、それもただ繰り返せば受けるようになるってもんじゃないのがむずかしい。たとえば美容室のシーン、「私が知ってるお笑いの間」とよく自分では言うのだが、どうなった時自分が笑うのかを分析しておくといいなと思う。今回はそれをさらに三人でやるにあたって、どうやって説明するかも大事だなと思った もはや一旦リズムゲームみたいになってくる/無論こんなのは正解は複数通りあるし、本気出せばその日の客席の空気感で温度感を変えたりとかはあるので、できるだけ手札を蓄えておきたいと思った次第

苑子には余命幾許もない母がいて、彼女の終活の伴走をするのだけれど、私は自分の母のことよりも、母と祖母の最期のことをよく思った/最近といっても過言ではない頃の出来事 まだ多少動ける祖母が母に身の回りの引き継ぎをしている様を隣で聞いていたあの日の光景/両親が自分の親を見送る姿を何度か目にしてきて、二人とも強くてすごいなあと思っていたのだけれど、実際その胸中を聞いたことはない
母は今回これをどう見たのだろう、まだ直接会っていないのでどきどきする

はぎわらさんとは初めてご一緒して、稽古場での彼女しかまだ知らないのだけれどエネルギーとアイデアが溢れ出ちゃってる人だと思っている
稽古場をこんなに開かれた空気にしてくれたのははぎさんおぺちゃんさくらちゃんのおかげだと思っているし、良くも悪くもこの母にしてこの子ありの空気を幹江さんの芝居に引っ張ってもらったと思う 姉妹だけじゃなくて家庭の中で板挟みの苑子/「いつも自由で、軽やかで、自分の好きなものを大事にしていて」と言うセリフに実感が持てた/声の強さは、人の母だなと思わせてくれている

つるさんとはずっと面識はありつつやっと一緒にお芝居することができた
つるさんと私も、全然違う武術の使い手だと思う つるさんは空手の演武
セキユさんはカンフー

団地って憧れがある、という台詞のあざとさ

弟(私の舞台初観劇)からの感想が「不動産屋の人と看護師の人の声が良かった」なの、我が弟わかってんじゃ〜んの気持ち(おもしろかったようなのでそれが何より)

うちは父母弟の4人家族で、兄弟喧嘩も夫婦喧嘩も反抗期も特に家庭が揺らぐようなものはなかったはずで、子らが独立した今家族ラインには両親の旅行写真が頻繁に送られてきていて、作中でいうと徳永家に近い/それでも父と母が今に比べるとまだ若かった頃、休日の昼頃に二人が喧嘩をして拗ねた感じで父が家を出ようとして本気で引き留めに行った光景が結構私の中で根強く残っている/ 顔を合わせる2シーンの藤田さんの顔を毎回毎回ちゃんと意識して覚えておこうと思っていた。苑子にとっても葉月にとっても幹江にとっても、一対一の時の父が父だったんだと思う。
でもこの時の破顔のキッズフェイスをあんまり自分では見たくないな

私は、おもしろの得点を取りたい、ウケへの読解力を高めたい欲はあります
・動かないでの畳みかけ
・小菅マシンガントークへの巻き込まれ方
・ばっこしぶおんのリズム感
・KAT-TUNの話してます?
・美術館キレ芸
・え、これ借家?〜吉本新喜劇陣形
・メロントーク1,2
・一日床で寝たら腰が痛い、というど説明台詞
・ちょっと、なんか、思いついちゃったから、
・空へ放つツッコミ
これからも精進していく所存です

祖父母にすら会ったことないって、学校とかでも違和感あったんだろうなと思う。苑子はその辺うまいことぼかしてやっていけてそうだけど、葉月のあの孤独感とかはそういうことにも起因していそう

まさか自分がキレ芸をやることになるとは思ってもみなかったし、いまだに考えるほど奥深いもんだなあと思います
おもろく怒りたいっすね

まじあの満を辞した初登場ぶりを発揮できるのは岡本セキユだけです

今回アイデア奇想天外大勝利だろと思ってるとこ
・秀明 茜の代役
・秀明妻 声のみの出演
・宮野さんの役 全ての上司

タバコ吸える女性、問答無用で大人だなかっこいいなと思っちゃうのですが、それをさらりと演じられるさくら氏、私より大人っぽいです
2章で茜と喋る時の構図は私が妹の後ろ姿を見ていることが多くて、さくさく前に進む茜像を体感で捉えられたし、それによって見逃した過去と背中で気づかされるものもあった/ 病室で母に見つけてもらった時の素直じゃない顔は見逃しちゃいけないと思ったし、後ろからだってちゃんと見ていることはちゃんと伝えたほうがいい、家族だからって

各章の冒頭、苑子のモノローグで始まる
大豆田とわ子と伊藤沙莉を一人で賄っている状態

よくできましたの通信簿、本当はいの一番に見せたかったのにね

3章でもやっぱり、苑子にだって見えてなかった姉妹の姿はあるんだよなと自覚させられるのは、苑子を完全な正義・悲劇のヒロインにしないことだと思うし、社会というのは当然多面的なので、、、

どんな学生時代を過ごしたか、本編ではほとんど描かれないけれど
苑子にとってタエ子が幼馴染だったことは結構拠り所だったんじゃないかなと勝手に思っている。いい意味で他者のあれこれには興味なさそうな感じ変な勘繰りとか気遣いもしなさそうな感じ。性格も趣味も違いそうだし、一緒だったのは中学までだと思うけど、二人で黙って漫画を読むだけで過ごせる感じの安心感。3章の喧嘩の後、コインランドリーの裏で二人でずっとこっそり喋りながら気持ちを落ち着ける時間を過ごしていたこと、タエちゃんに髪を梳かしてもらう時間はかなり必要だったなと思う。あそこで「じゃあ誰が私をケアしてくれるんだ!」という気持ちを救ってもらっていた

毎日何が起きてもどんな流れになっても、あのシーンを成立させられると信じていられたのは、このメンバーだからです

モノローグのさまざまなパターンに気がつけたのは今回の成果です
きかせる独り言、というパターン

生と死の対構造 美しい
死を死そのもので描かない 美しい

これは本当に偶然らしいんですけど
舞台上でコーヒーを本当に淹れるために必要な経験値を私は持っていた
感想で、コーヒーの香りがしたと書いてくださる方がちらほらいらして、本当か?と思わなくもないがそのリアリティ、私の演劇の理想域ではある
私がここまでコーヒー人間になったのは、確実に母の習慣の影響だと思っていてその点もまた


結局自分が何文字のセリフを覚えたかとか、何人の人の印象に残ったかとか、どれだけの感想や評価をもらうことができたのかとか、これを経て私の俳優人生はどうなっていくのかとか 考えたら足がすくむだけだと思って、全て平常心当然のこととして受け入れて終演まで乗り切ってきました
こんなこと言うもんじゃないですけど、
ちゃんと悔しい まだやりたい
素晴らしい人たちと面白い作品を作ったからこその悔しいかもしれない
初めて呼んでもらった22の時から、団地の成長速度になんとかくらいついていかんとしてきたところはあるなと思っている、そうして大事な三鷹に主人公として据えてもらったことの緊張感

死ぬほどうれしいのは大前提として

またすぐ団地に呼ばれたいし、
共に歳をとっていきたい


冨岡英香などという俳優は吹いたら飛ぶような小さい存在でございますが、どうか団地はますますの賑わいとあたたかさを


や、もっと俳優冨岡のこともよろしくお願いします、

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