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5月8日(土)透過率〜見えないものへの想像力

障子を貼り替えたんやけど、どうも普通に失敗してるっぽい。不器用なんは仕方ないとして、もう少し一挙手一投足を丁寧にするべきかも知れない。

障子は大好きなんですが、光を透過するコンクリートという一種天邪鬼なマテリアルがあって、ブロックの形をとったプロダクトなどもあった。自分がそれを知ったのは20年かもう少し前のことで、光の透過率については、少なくとも当時は紙素材には遠く及ばなかったと記憶するが、今はどうだろう。機会があればぜひ、あれを駆使して、窓をブロック塀で塞ぎながら爽やかに明かりを採り入れるなどしてみたい。四方をブロック塀で囲まれた明るい茶室なんかも良いね。

ともかくそんな感じで、自分のイメージは、良くも悪くも「空間」と「光」からできているんやないかと思うことがある。「時間」さえ「空間」のアナロジーでイメージするなど。まあ、昨今「見えないものへの想像力」が問題になっていることから考えても、このあたり自分に限った話でもないのかも知れず。

この性癖について「良くも悪くも」などと書いたが、やっぱり、何というか、ある種の制約になっているような気がするのでサクッと超えてしまいたいんですが……まあ、希望はある。以下、「/」でカットしつつ引用。

 アインシュタインが、非ユークリッド幾何学を提出した時、いろんな反対意見が現れた。その一つ、「非ユークリッド幾何学は、想像することが出来ないから採用すべきでない」つまり、どんな種類の非ユークリッド的空間も視覚化出来ないというのである。ライヘンバッハは、「それは心理的問題だ」という。「何故なら、われわれの直観がユークリッド的に、前もって造られているという証拠はない/ヘルムホルツは/この種の/自ら/結論は、子供のうちは、あるいは大人でも、非ユークリッド的構造における物体の振舞に十分に馴染んだならば、非ユークリッド的構造を容易に視覚化することができる」(稲垣足穂『カフェの開く途端に月が昇った』)


光を透過し、空間の理屈を少しだけ変える努力を。




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