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7月4日(土)持続化休符

とは何ぞ? そいつの長さ、わしにも示して見せい。(臨終録より)


 何か若干不思議なトリミングなってんな。日々果てしなくやってる毎度のタイプミスながら何となく消すのもったいない味があったので、アドリブでテキトーなインチキ公案でっちあげてみました。

 振り返りのついでに、今日は、ウソ/ホント/頓知などを巡って考えていました。

 まず、自分の職業的倫理観を、改めて簡単に述べます(※法律うんぬんの話ではありません)。

 一、「日本酒」を「般若湯」と言い換え坊主に飲酒の自由を与える技はクリエイティブ!

 二、「オヒョウ」を「ヒラメ」と言って売るのは只のウソ(本当にヒラメだと思って食べてる人いるよ。私は違うけど)。

 ポリコレのいきづまり、フェイクニュース対策、エスカレートと言うよりタガが外れた政治家のウソ、コンプライアンスてぶっちゃけ何なん? などなど社会的トピックもありつつ。

 同業者や、飲食店関連の中小企業経営者または個人事業主から聞くところでは、給付や借入の申請に対する電話面談(Zoomじゃないんだ!てか、それ面談?)で慎重にチェックされるのは、被害額の大小でも、事業計画の良し悪しでも、将来性のあるなしでもなく、まずは「嘘をついてないか」に尽きるようで。間違っているとは思わない。コロナ禍に乗じて不労所得を得ようとする連中がいることは事実だし、そんなところへ決して潤沢とは言えない国家予算が流れてしまったおかげで、必要としている人間の所へ行き渡らない。なんてのは困ったことなんで、そこの見極めは(ストレス多そうな仕事だけど)しっかりやっていただきたいと思う。のですが、更に一周回って真偽と方便について。

 明らかに「それ駄目でしょう」という嘘は、どんどん法的に裁かれていく(筈だよね?)流れがある。

「善意の方便」はどうか? 「善かれ」と思ってやったことが結局のところ相手にとって余計なお世話どころではない実害をもたらす、みたいな例は枚挙にいとまがなく、それ故自分は粗野で田舎で暴力的な「善かれ性」を信じない。信じないんだが、もう駄目な人に向かって「ダイジョーブ!ダイジョーブ!」と言うのはどうか? これについては、たとえ「駄目なら駄目って、あの時ハッキリ言ってくれれば良かったのに…」的な結果になろうと、自分は、ウソで励ました人を威勢よく断罪することができない。

 昨今、「嘘を嘘のまま嘘として楽しむ風習が失われつつある」ことを危惧する人たちも一定数いるようですが、この角度から入ると問題が文学的になり過ぎる気がするので、自分は自分の「職業倫理」の文脈に沿って。

 

 



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