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4月25日(日)汝の意志することを?

サタデーナイトの振り返りをサンデーモーニングに記す。

好き嫌いというか好みとか趣味趣向と呼ばれるものは誰にでもあり、好きなまたはたぶん好きだろうと思われる音楽だけを聴き、そんな感じの映画だけ観て、小説、その他コンテンツも同様に消費していく。当たり前っちゃ当たり前だけど、職業的にこんなことで良いのだろうか、と時々考えるんですが、この1週間は久々にそのサイクルがやって来た感じであり。

これは、何と言うか、例えば音源に関して、ネットで探す時代になってからはピンポイントでそういうものが見つけやすい為、偶然の出会いたらの機会が失われ……みたいな話とも違うもので。

コピーライターをしていると「誰某ふうのトーンで」みたいなオーダーが、まあ、たまにもあったりするので職務上その誰某作品を読むことになる。流行っているものや、これは読んでおくべきだと先輩に勧められたものは好き嫌いに関係なく読んでみる、などということはしてきたつもりだが、日本語教師の仕事をするようになってから、またちょっと気になりだした。古典までいかずとも、近現代の日本文学史をなぞるぐらいのことは、もう少し自主的にやっても良いんじゃないか。

で、やりだしたのは、取り敢えず「ちくま日本文学全集」を全巻読んでみよう、という結構安易な作戦なんですが、これがなかなか良い感じ。ルビが振ってあるので読みやすいし、文庫本の割にフォントサイズが大きめなので老眼の方にもお勧めであります。


ちくま日本文学全集「森鷗外」の巻に『妄想』という小編があったので、少しだけその話を。

ああ、隠居老人が主人公の短編ね。と思って読み始めたところ、自身のドイツ留学時代のさまざまな記憶、国費留学生としての使命感は当然強いものだったろうし、もう少し広い意味での自分のミッションや意志について問う姿勢、哲学へ向かう心境、文学や創作への思いなどなどが、味わい深い文体で結構ストレートに綴られており、おおこれは拾い物と何や得した気分になった。同時に、今の時代の問題とたいして変わってへんやん、と。

『終始何物かに/駆られているように学問/齷齪(あくせく)し/ある働きが出来るように自分を為上げるのだと/しかし/ある役を勤めているに過ぎないように/役の背後に、別の何物かが存在/が覚醒する暇がないように感ぜられる』


稲垣足穂作品やなんかとまた違う意味で、時間軸が微妙に歪むような感覚。

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