4月11日(日)新月前夜のADJUSTMENT
土曜の夜の振り返りを日曜に記す。
最近チョットそんな感じが続いてまして。言い訳的に記すと、4月の8~10日は、前世紀の魔術師アレイスター・クロウリーが1904年にLiber AL vel LEGIS=The Book of the Law=法の書を記した祝祭の3日間だったりしたもんで、自分は件の書の第1章から3章までを、フニャフニャの英語と日本語https://www.otojapan.org/archive/L220_Japanese.pdfの両方で、各章を1日ずつ朗読などしておりました。
字面だけなぞってみると結構とんでもなかったりもするんですが、今年改めて強く思ったのは、多文化共生社会たらの実現には、偏狭で狂信的な正義JUSTICEが、大らかで実務的な調整ADJUSTMENTにさっさと置き換わらないと駄目でしょうということ。
関連して。これは、たぶん、ガサツな話ではなく割と繊細な話なんですが、言葉の受け取り方あるいは言葉が相手に及ぼす効果の話。
韜晦でもペダントリーでも国会でよくやってるゴニョゴニョでもなく。
例えば、「月がきれいだね」で傷つく人も、おそらくはいらっしゃるであろうと。そこを織り込んだ上でどうしようか、ということです。
Dr.ハインリッヒのお二人が、「誰も傷つけない笑い」についてディアロークで話されていたことなど思い出したので、下記にリンク貼っておきます。
狂信的なJUSTICEではなく、実務的なADJUSTMENTを!
46:50あたりから「誰も傷つけない笑い」についての話題です。