6月13日(日)夢は大きく、目標は小さく。
Saturday Nite Sober土曜の夜の振り返りを日曜の朝にUP。
久々に茨木市を歩いた。四角く切り取りたい印象的な光景がいくつかあったが、写真は撮ってない。こういう時って、なぜか得てして撮らないんですよね。ほんとフォトグラファーの道を選ばなくて良かったと思う。そもそもなれないけど。
対人関係で悩んでいる。嘘やけど。対人関係でしばしば問題になる「距離」について考えていた。会社で、学校で、あるいは地域の付き合いetc.で、そのへんで悩んだ経験_深刻なのからチョットしたことまで_がおありの方は多いと思う。振る舞いがクールだと、あの人はなかなか「打ち解けてくれない」「心を開いてくれない」などと言われ、フレンドリーに振る舞うよう心掛けると逆に「馴れ馴れしい」「距離感がおかしい(☆1)」などと言われる。あの「距離感」を文化たらの一要素、「正しい距離感」をコモンセンスとして考えてみるテストですね。
異文化間とか言うといきなりアレですが。異なるレイヤーたらクラスターたらに属する者同士のコミュニケーション…アカン余計持って回った言い方なってもた。地域に限らず、年齢、性別、趣味嗜好、収入、信仰……違う人同士のコミュニケーションにおいて大切なことは? 無暗に自己肯定感を上げさえすれば解決する問題でもなく。日頃から心掛けるべきことは? など、過度に合目的的というかチップス列挙みたいなことをやっていると脳みそがどんどんビジネス書化するというか金融工学化するというか、科学の付録の蟻の巣観察キット内に棲まうハタラキアリのように(☆2)、そこに穴があるから掘るんだ状態に陥っていくようで悲しくなり、表題のスローガン的フレーズを改めて。
夢は大きく、目標は小さく。
このようにして人間は、ぴえんと泣いてる子泣き爺のように妖怪化することもなく、メンタルの健康を保ちながら大人になる(☆3)ことが可能なんだと思う。
夏なのでひまわりにしてみました。
☆1)距離感がおかしい:
某サークル的集団活動の中で、助けを求められたというか相談を受けたことがある。その時の相談主が他のメンバーを名指しで批判したフレーズが、まさにコレ。しかし、相談主とは異なる文化圏で育ったメンバーに対して、
「あなたの距離感は少しおかしいので、仲間と交流する際はくれぐれも正しい距離感でお願いします」
などという嘆願が果たして可能だろうか? そもそも「正しい距離感」て? 自分は、すっかり困ってしまった。
コミュニケーションにおける物理的な距離を研究する「近接空間学」という分野があるそうだが、多くのアメリカ人は、相手との距離が50cm以下になると親密を超えて脅威を覚えるが、ラテンアメリカでは逆に50cm以上の距離では親密さを感じない場合が多いとか。
結局、「距離感のおかしい」彼は、「偉い人」の判断によって一方的に断罪され、追い出されてしまった。それなりに尊敬する人物の判断だっただけに、残念で悲しかった。でもまあ、彼にとっての「多様性」なんて、所詮その程度のものだったということだろう。
ちなみに、「距離感のおかしさ」に恐怖を感じていた彼女は、当時専門学校を中退したばかりだったが、その原因は執拗なストーキング被害を受けたことだった。そのあたりの事情も、更に問題をややこしくした。無論、彼女は悪くないのだが。
自分は、この種のトラブルを解決する際には、プロセスの透明化が欠かせないと考えている。東亜的または日本的排他性早い話「イケズ」を通奏低音とする腹芸は絶対に避けるべきだ。
☆2)蟻の巣観察キット内に棲まうハタラキアリ:
女王蟻がいないと蟻の巣は蟻の巣たり得ず、捕獲されそこに放たれたハタラキアリたちは、ただただ闇雲に掘り進むだけ。このような状態から抜け出す為には? SMクラブで癒されてみることも一つの方策かも知れない。
☆3)大人になる:
自分の場合、突然「大人になった」という自覚を持てたのは、得意先の担当者含む複数名で焼き肉屋へ行った時のこと。
クライアント様は、あろうことか、いきなりチシャを焼き始めた。
ああ何ということを……焼かずに生のまま肉を巻いて喰いてーなぁーと思いつつ、何やってんですか? と喉まで出かかった言葉を飲み込み、自分はクライアント様と同じようにチシャを焼いて食べた。ああ俺も大人になったもんだなあと心の中で自画自賛したものである。
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