最高品質の人造イクラを求めて
すべてのここにあるものとないもののために
世界はもろもろの事実によって規定されている。さらにそれらが事実のすべてであることによって規定されている。-L.ヴィトゲンシュタイン(※1_勝手に一部太字_)
震える脚で歩道の縁石の上をよろよろと進みながら、考えていました。よろけているのは脚の震えのせいではなく、恐怖からくる緊張のせいでした。縁石から落下したが最後、自分は濁流の中に棲むワニに食べられてしまう……。そんな設定が、僕の想像を遥かに超えて成果をもたらしたという訳です。
考えていたのは、人喰いワニについてではなく、もっと宗教的かつグルメなテーマについてでした。
神の冒涜って、やはり美食家の特権なんだろうか?
気がつくと、歩道の縁石は、びっしり積み重ねられた土嚢の連なりに変わっていました。まずい。そう思った時、そこは既に別世界だったのです。
雨が降っている。濁流の中、目だけ水面から出してワニが泳いでいる。暗くてよく見えない水は土砂を溶かして、たぶん黄色く濁っている。泥水の底、ワニの腹の下には横断歩道がある。まだまだ水は引かず、タクシーは来ない。
歩道は機能している。ぎちぎちに敷き詰めたビールケースの上に置かれた、正方形の薄いベニヤ板は、通行人が踏みつける度に大きくたわんでどこかがめくれ上がる。濁流、すなわち車道との境界には、びっしりと土嚢が積まれている。二つの足音をポリリズムにもつれさせながらパラタツタツン、傘の下ひとかたまりになったシルエットが近づいてくる。足もと気いつけや。緋色の浴衣の袖から伸びるきゃしゃな腕が、ふらつく連れの背中を支える。反対の手が差しているビニール傘から、雫が男の肩口に落ちかかる。歩を進めるにつれ、浴衣の裾から時折ピンヒールが覗く。二人は、そのままよろよろ蛇行しながらタクシー乗り場へ。
どうせ当分来えへんやろ。初老の男が、シャツの胸ポケットから取り出した煙草をくわえると、女は素早くしかしダルそうにライターの火を差し出し、一秒後、反対の手が傘を放したかと思う間に背中をドン、と突き飛ばす。どぼん! さようなら。
浴衣の女は、裾から細いヒールを覗かせながらゆっくりと腰をかがめ、歩道に転がったビニール傘を拾い上げる。車道を挟んで向こう側の歩道にもちらほらと浴衣が見えるが、差しているのはビニール傘ではない。ビールケースの上に載せられたベニヤ板を踏みつける下駄は、こちら側のピンヒールほど耳障りな音は立てもせず。浴衣の列は、突き落とされた男が流れて行った濁流とは逆向きに、神社の方へゆるゆる流れている。あんたら祭りで浴衣、ウチら浴衣祭り……。
「おい!」と、サックス吹きのハナザカリくんに背中をどやしつけられ、僕は、びくっと我に返りました。
「ウットリ聴き入ってるとこ申し訳ないけど、急ごか。浴衣のおねいさんに突き落とされんうちに」
祭りやってる神社まで、真っ直ぐ歩くん?
「はあ?何言うとんねん、盆踊りや盆踊り」
飲み込めないまま横断歩道を渡り(水は、すっかり引いていました)、僕たちは濁流(が流れていた筈なのですが)と反対方向に進みました。車道の向こう側にいた筈の、浴衣のおねいさんの姿は、もう見えません。きっと、この世のものではなかったのでしょう。神社(広場ですぅ、とハナザカリくんが訂正)の方からゲラゲラポーとたのしげな音楽が聴こえてきます。しかし、
「アカンわ、遅刻や」
突然、ハナザカリくんが天を仰いで言いました。何がアカンのか、何が遅刻なのか、質問しようとする僕を手で制して、彼は続けます。
「時間の急流滑っとったから、もうこんな時間や。残念やけど盆踊りは明日やな。夜店の焼きそばも、ヨーヨー釣りも……」
何が悲しいてンな幼稚なこと……
「あほう、釣ったヨーヨーはカンビールと交換してくれるんや。そんなことより、自分のミッションや。思い出したか? 大自然の驚異、もしくは神の御業そのものとも言えるイクラを、人間が造り出そうという。最高の人造イクラは何からできるか? 純度の高い処女の涙からや。けど、残念ながら原料提供者がほんまに処女かどうか、これだけは確かめようがない……」
先に着いていた女の子たちが、一斉に「遅い」という視線を投げてよこしたので、僕たちは早速実技指導に入る。と言ってもハナザカリくんは横でガンガン飲んでるだけ。ナマチュウお代わり? いい気なもんだね。しかしながら既に十二時をまわっているのだから、いちいち文句言ってる暇はない。閉店までに一通り説明を終えることを念頭に、実質的に僕一人でレクチャーを進めた。
テーブルを挟んで僕らと向かい合わせになっている三人の女の子たちは、揃って同じ角度に俯いて息を殺し、目に涙を溜めている。店員が、怪訝な顔つきで見ている。何となく居心地悪そうにしていた隣りのテーブル席のカップルは、飲みさしのカシスオレンジ(たぶん)とハイボールを残して帰ってしまった、だが、ここでメゲるわけにはいかない。
言葉で説明すると、身も蓋もないほど簡単に済んでしまうのだが、つぶれないように涙をこぼすのは、実は、とても難しい。瞬きをせずにいると、目に涙が溜まる。いっぱいになったら、自然とこぼれるままにまかせる。手順を説明するとそれだけの話なのだが、実際には、既に涙は目からあふれ出そうとしているのに、表面張力のせいでなかなか落下してくれない。無理にしぼり出すと、涙は簡単につぶれ、頬を伝って流れてしまう。だから、そう、ゆっくり、そーっと瞬きをすればいい。ゆっくり…そーっと…静か―に…って、どの程度? だから、涙がつぶれない程度に。喧嘩売ってるつもりはなく、本当にそこはそうとしか言えないのだ。まったく、痒いところを他人に掻いてもらうのとおなじぐらいもどかしい。講師の能力の問題と言われればそれまでかも知れないが、こればかりは、実践を通じて各自コツをつかんでもらうより仕方がない。またオンナ泣かしよったんか、とハナザカリくんが茶々を入れる。
勘のいい子がすぐに容量をつかんでしまうケースも、まあ、ないではないが、その場合にしたって、いきなり正確に目標の容器の中に涙をこぼせるかというと、これはもう、ほとんど奇跡に近い。現に、今夜の仲よし三人組も目の前で悪戦苦闘している。
照明が少しだけ明るくなり、それにつれてBGMの音量も少しだけ上がる。曲が変わり、ブルースハープのくぐもった音色が、もの悲しい(と感じてお察しください、そろそろ閉店ですよ……と言わんばかりの)風情で店内に響く。
菊地成孔+大谷能生『東京大」のアルバート・アイラー~東大ジャズ講義録・キーワード編』(※2)に『ダンス』の章があり、世界のダンスは、『足がガチンガチンにステップを踏んでいって、手の形は決められていないヨーロッパ型』、『手のニュアンスでリズムを繊細に分節していき、下半身はシンプルかつフレキシブルでいいアジア型』、『首から腰にかけての体幹を使ってリズムをとるアフリカ型』、と大きく三つのスタイルに分類されている。なるほど、これだけでとりあえず世界じゅうのダンスがおおよそイメージできる。日本を含むアジアのダンスについて『下半身はシンプルかつフレキシブルでいい』とあるが、これはかなり寄りで観察した場合の話で。盆踊りのように円を描く、阿波踊り(これも盆踊りと言えばそうなのだが)のように行進していくなど、それぞれの踊りが指向する大きな軌道は、ダンサーの身体性の埒外に見出せる。近年まで、フロアで踊る習慣、ボウルルームないしクラブカルチャーというものが育たなかった日本らしい特徴とも言えるが、これらの軌道は何によって方向づけられているのだろうか。
それはそれとして、何より驚いたのは、ヨーロッパ型の、十七世紀後半から十八世紀半ばにかけてフランスの宮廷で流行したダンスについての参考文献として『栄華のバロックダンス』を挙げつつ、ボーシャン=フイエ・システムによるダンスの譜面が紹介されていたことだ。こんなもん、足の位置しかわからへんやないか! 自分が連想したのは、一九九〇年代に登場したアーケードゲームの華(と少なくとも一時期は言えた)『ダンスダンスレボリューション』だった。要するに、音楽に合わせてマシンの指示通りに、素早くペタペタと足の位置を移動していくというもので、ゲームのスコアと、プレイヤーのダンスの質は、必ずしも正比例しない。と言うより、実際のところまるで関係がなかった。ダンスの譜面もそれと同じことだろう。いずれにせよ踊りのエッセンスは、ゲーム機が指示するステップやヘンテコなノーテーションの埒外にある。
踊り全般を、<あるリズムに従って身体を動かし、視点を移動させる営み>とするなら、これらの足踏み体操にも、それなりの効果は期待できるだろう。動きを伴えば、網膜に映る光景も必然的に変化する。しかし、地に着く瞬間の足の位置以外問題にされないような動きなど、どうやって信頼すれば良いのか。
こうして、ノーテーション不能の<見えない>箇所すべて(つまり舞踏の動き)が、パーティとは別のレイヤーにおける自分の関心事であり続けたのだった。実際の話、決して分節できない一つながりの動きは、網膜に映る光景のみならず意識の状態をも変え得るのだから。ところで、「あるリズム」とは何か?
福岡界隈で舞踏を実践されているMHさんにお聞きしたところ、踊っている時は、いわゆる「変性意識」の状態にあり、「ある光景が見える」。また、ある状態を想像して踊る場合もある(不正確です)のだとか。
これらはいったい何の話か? ある/ない/見せる/隠す/確かめる/想像する…それらのすべてが体感と分かち難く結びついている、もしくは体感そのものである状態を、僕は思わずにはいられない。残念ながら自分のボキャブラリー=ノーテーションの限界を超える話になってきたようなので、このへんにしておく。
そんなわけで、今日の僕たちは決して飲み物をぶちまけるような真似はしなかったのだが、テーブルの上は、女の子たちの涙ですっかりびしょびしょになってしまった。
IO PAN!
※1 L.ヴィトゲンシュタイン,藤本/坂井訳『論理哲学論考』法政大学出版局,1968,p61
※2 菊地成孔+大谷能生『東京大学のアルバート・アイラー-東大ジャズ講義録・キーワード編』文春文庫,2009
<参考>
折口信夫『盆踊りと祭屋台と』(青空文庫)
https://www.aozora.gr.jp/cards/000933/files/46315_25541.html