満月の夜の脱皮または変態について
「人間の脳内でステープラーがワニに変換されるのは、まあ、結構あるあるやけど」
ちょっと変則的なイントロ付きで、ハナザカリくんはサキソフォンの生態について語りはじめました。
「ブラバン時代、最初ソプラノ担当やった話は、したよな?」
ああ、満月の夜に脱皮してアルトになったという。
「そうそう、それがサックスという生き物。ワニは人間の脳内でホッチキスやないステープラーになるけど、あれ?逆か」
一瞬、自分でも何が言いたかったのかわからなくなりかけたみたいですが、新しいセブンスターに火を点けて軽く吸い込むと、ハナザカリくんは落ち着きを取り戻して続けます。
「カニは現実世界で脱皮し、変態する」
おっきなるだけやん。それ、変態とは言わんやろ。
「そんなんどーでもええって。それ言い出したらサックスかてサキソフォンやなしにサクソフォーン言わんとあかんことになる」
話がヘンな方向に行きそうだったので、僕はそれ以上余計な茶々を慎むことにしました。
ごめんごめん。
「自分いつから京都人になったんや。ごめんは一回でええって」
京都人にはなってないけど、確か大きめのケースの中で育つんやんな?
「ケースは関係ない。楽器の話や!」
インプロヴィゼーションに一貫性を求めてしまったことを少しだけ反省しながら、僕は続きを促し、何とか話してもらうことに成功しました。
彼の話の概要は、こうです。ソプラノサックスはアルトサックスになり、アルトサックスはテナーサックスになる。満月の夜の月の光が、そうさせるのだそうです。
一つだけ、少し厄介な点がありました。朝顔です。ソプラノサックスがアルトに育つことを願うなら、朝顔を忘れてはいけない。朝顔の付いてないソプラノサックスは朝顔のないアルトにしかならないと言うのです。
余計な茶々を入れることを、極力がまんしていたその日の僕ですが、どうしても気になることがありました。ハナザカリくんの語るサックスの成長物語は、なぜかテナー止まりだったことです。
テナーサックスはバリトンサックスになれへんの?
「あれは違う種類の生き物やからな」
それを世間では変態と言う。
「違うな。世間で言う変態は、第一義的にセクシュアルマイノリティや」
朗読動画です。
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