富津市海良 歴史に埋もれたもう一つの石切場
古老から聞けたむかしむかしの上総湊の風景について。
売津と海良をつなぐ道。
材木加工場。奥に見覚えのある石切場がある。
壁面をよく見ると、水平な層と一定間隔のツルハシ跡が観察できる。
一度石切場として認識すると、湊川沿いの道の壁面がすべて石切場だったことがわかる。
坂の上から眺める。
対岸から眺める。二段になっている崖面はすべて石切場だった。この石は頑丈ではないが火に強いそう。
石切場の坂を登り切った先にある鳥居。
鳥居越しに海を眺めることができる。
石切場を抜けて海良の農村地帯へ。4月上旬だがすでに水入れが始まっていた。
機械が入れない棚田は休耕田になっていた。耕さなくても草刈りは続けているらしい。
のどかな田園の先にある物々しい廃墟。
心細い支柱でかろうじて原型を保っている。
向かいには大きな工場跡。
クレーンがそのまま残されている。
廃工場の近くにあるソーラーパネル。
地元の方によると、廃工場はコンクリート工場で、ソーラーパネルがある土地も工場と同じ会社が所有していたとのこと。今から15年前に工場が廃業して、工場はそのまま廃墟に、資材置き場にしていた空き地はこうしてソーラーパネルになったと話していた。
この辺で地元の古老と出会い、かつての石切場の歴史を聞くことができた。
富津警察署のすぐ南にある旧国道。面影はないが、マンションのあたりはかつて大きな病院があったらしい。
「ここに桜並木がぶわーっとあってよ」と話す古老とそれを聞く自分の影。
青年館近くの丁字路で湊川を眺めながらさまざまな話を伺った。かいつまんで書き残しておく。
・石切場から船で石材を運ぶためのスロープが現存している。
・宿場が3〜4軒あった。石切場の労働者は給料を持って芸者を呼ぶために宿へ向かったそうだ。
・富士登山(富士講)の前に山の頂上の平場にゴザを敷いて酒を飲んだ。会話の中で「上総富士」という単語がぽろっと出てきたが、この小さな山の名前かもしれない。
・目の前を流れる湊川は昔はもっと深くて青のりが採れるくらい豊かな汽水域だったが、関東大震災で川床が隆起してしまった。大型船は入れなくなり生き物も減ってしまった。
話にあったスロープへ。
おそらくこれのことだろう。
なだらかなカーブを描く急斜面。
くだったところから海側を眺める。
(1)で載せた銅葺きの立派な建物。もしかしたら宿場のひとつかもしれない。きいてみればよかった。
高梨商店で夕飯を済ませて海岸へ。ちょうど夕日が沈む頃だった。
海が夕日に染まっている。
富士山の向こうに日が沈む。
向こう側の太陽が富士山の影を作る。
夕闇に富士が溶けていく。
スマホのズーム機能でも見れる程度には撮れることがわかってよかった。
おわり
行った日 : 2023/04/09
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