匝瑳市野手 旧野栄町の中心街
海辺の観光地と合併前の町の中心地を歩いた記録。
市街地ゾーン
野手の中心地を東西に抜ける商店街がある。かつては料理屋が7〜8軒あったと地元の方は語っていた。街灯には「野栄町商工会」とあり、合併前の名残をとどめている。
街の東側から進入。
小久保薬舗・大天鮮魚店
木製の文字が取れ掛かっている小久保薬舗、そして海鮮食堂と同名の鮮魚店が並んでいる。食堂の方の大天はGoogleマップ上では閉業になっているが、ほんの数ヶ月前までは営業していたらしい。
ちなみに、鮮魚店の向こうは現在民家だが、2012年時点のストビューではここも店舗だったことがわかる。大木肉店という。
林時計店・灰吹屋
鮮魚店から見て野手十字路の向こう側にある店舗。
八雲神社
商店街沿いにある神社。
手水鉢には深い溝が刻まれていた。願掛けしながら石造物に穴を開ける盃状穴の一種と思われ、多くの参拝者が願いを込めたことが想像できる。
山崎酒店
アイス冷凍庫に惹かれて入ったもののアイスはなく、数種類の飲み物だけを扱っていた。
農村公園周辺
ちょっとした池に東屋付きの島が浮かんでいる。
円長寺
野手にある3つの大きなお寺の一つ。仁王門には立派な金剛力士像がある。海から引き上げたものと言い伝えられている。
強烈な風雨が明けると海岸に仁王像が打ち上げられており、ここまで運んだところで急に重くなったため門を造って祀ったというのが言い伝えのあらまし。北条氏が鎌倉の建長寺山門にあった仁王尊を海に流したものとも言われている。
六社神社
古峯神社
路地裏の祠。よくある石製のものではなく丸太を使った木祠だった。
宮崎本家
「富士乃友」という銘酒を作る酒蔵。
来訪者を想定してないのか?ってくらい主張がなく、入口で引き返した。
朗生寺
日蓮の直弟子である日朗が生誕した、いわば日蓮宗の聖地。
本堂内の賽銭箱には千葉氏の家紋のひとつ「月星紋」が描かれている。
境内の祠には「九曜紋」を刻んだものもあった。
割烹食堂幸楽跡
2階建のコンクリ造の建物がある。旅籠でもやっていそうな佇まいだが、ストビューに残る2012年時点では食堂としてのみ営業していたらしい。
唯一ここが食堂だったことを偲ばせる「生そば うどん処」の看板。
日の出屋本店
幸楽の隣にある旅館。営業しているかは外から見ただけではわからなかった。
龍蔵院
街の北にあるお寺。
境内の片隅にあった古い灯籠。火袋に鳥居、柱に梵字を刻んだ大変めずらしい逸品。似たような灯籠は旭市や銚子市でごく稀に見られる。
野手城址
この街全体がかつては野手氏の城館だった。野手胤茂は椎名胤光の次男で、椎名胤光の兄弟に千葉常胤がいる。円長寺仁王尊の言い伝えに北条氏が出てくるのはこの頃のつながりに由来するのかもしれない。
なお、周辺では椎名姓の表札をよく見かけた。
ビッグハヤシ跡
街の入り口にあったスーパーマーケット。現在はランドリー・精米所・自販機しか残っていない。
隣町にスーパービッグ・ハヤシというスーパーができており、移転したものと思われる。
沿岸部ゾーン
市街地で聞いた話によると、市街地は海へ行く人で賑わっていたと言う。沿岸部を歩いてみると、そんな往時の賑わいの名残があった。
分譲地・金比羅神社
ツタに覆われているが分譲地である。海沿いなので別荘地需要を見込んだのかもしれない。なお、完全放棄はされておらず住居が点在していた。
分譲地の一区画に祠と鳥居が建っていた。
放棄分譲地の有識者である吉川氏によるレポ。
魚知・磯料理なぎさ
看板が剥がれ落ちた店舗。民宿と海鮮食堂を兼ねていたようだ。
こちらは磯料理なぎさ。ストビューでは2012年時点で営業したことがわかる。
岩沢荘
こちらは現役。ここも宿泊施設兼飲食店となっている。かつては複数店舗があってようやく泊まりの観光客を捌ききれるほど賑わっていたのだろう。
民宿秋葉
こちらの民宿兼食堂も2014年時点までストビューで営業が確認できる。
Googleマップには2012年、2014年のストリートビューが残っており、この時期に閉店が相次いだことがわかる。
東日本大震災の自粛ムードに耐えきれなかったとか、余暇の過ごし方が変わったなどが推測できるが、分析したわけではないので適当なことは言わないようにする。
行った日:2024/09/08