質量を持ったドット絵
ドッターの苦悩、というほどでもないが
3Dモデリングに初めて触れたとき、私が最初に何を考えたかというと
「これで正確なデッサンが取れる」でした。
1990年代の頭、3Dプリレンダリングで横スクロールシューティングをやる、という企画が立ち上がったからです。ネオジオで。いや、後からプリレンダ導入が決まったのかな?メカデザとかしてた時ドットで試作してた気もするけど…。
プリレンダリング(Pre-Rendering)とは、あらかじめ生成しておくことを意味します。要するにまだ計算力の低いコンピューターで素敵な3DCGを動かしちゃうために事前に動画に描き出しておくと計算しないですむぜ、という話。
当時はゲームのキャラクターや背景を手描きのドット絵で制作していました。デザインは紙だったかもですが、おおよそチョクでドットに起こしていたのです。しかし、小さなものならともかく、大きな戦車やUFO、ロボットなどの複雑な形状のカタいものを、立体的な角度変化を整合性保って描くには膨大な労力がかかり、単純に難しいのでした。そんな中、3Dプリレンダを使えば、僅かな回転をさせたり、形状の整合性を保つことも容易で、レンダリング後に細部を修正したりもできるのです。やったぜ。
そうして私が携わったシューティングゲームでは、3Dモデリングを活用してプリレンダリングを行い、それを2Dドット絵に落とし込むという手法を採用しました。まだ画面の解像度が低く、画像処理チップも低能が低く、3Dもギザギザして悪目立ちする時代です。しかし、この技術によって、手描きでは難しい立体感や動きをキレイに楽ちんに再現できるようにもなったのです。プレステ1が1994年でしたっけ。2000年くらいまでの僅かな間、少し流行ったような気がしなくもないプリレンダ。違うか。あの会社だけか。そうか。それが私の3DCGとの出会いだったわけです。
3DCGの黎明期
1990年代後半にはアーケードゲーム基板も性能が急速に向上し、3DCGが直接扱えるようになり、解像度が倍増することで、手描きのドット絵では対応が追いつかなくなりました。ドッターが直接描いていた部分が、アニメーターや原画マンが原画を描き、それをトレスする形でキャラクターが作られるようになり、制作現場の風景も変化しました。荒いポリゴンで表現されたキャラクターもキャプチャされたリアルなモーションに取って代わり、そのアンマッチも観客を喜ばせ始めていました。ふと気づくとドッターは減っていました。そしてあっちこっちのプロジェクトでモデリングが始まったのです。
考えてみれば会社としてはプリレンダでも荒い3D、ローポリゴンでもなんでもいいから、とにかく3Dにしたかったんでしょう。それは時代の流れであり、経営的な意味でも価値のあることだったと思います。しかし私はどこかで「手から離れていく」のを感じていました。感傷的な意味でなく、技術には興味があり確かに効率を高めますが、単純にユーザーとして、おもちゃとしての個性や手触りが失われるように感じたのです。
ボクセル?
私が「ボクセル」を意識したのはいつだったのでしょうか。明確な記憶はありませんが、『マインクラフト』(2009年)以前に「ボクセル」という言葉を聞いた記憶はほとんどありません。私のボクセルの認識も曖昧で、「Volume(体積)」と「Pixel(画素)」を組み合わせた造語なのにしばらくボックスとの造語だと思ってたくらいです。そもそもPCのWindowsでGPUが生まれたのが2000年に入ってから。DirectXもまだ7くらい?普及したのはもう少し先ってことで、ビデオカードも描画速度や画面の解像度を競っていた頃、まだろくな3DはPCで動いていません。コンシューマではPS2が出たのにそのていたらくです。
振り返ると、『マインクラフト』の登場が、ボクセルを大衆に普及させた大きなターニングポイントだったことは間違いありません。しかし当時の私にとって『マインクラフト』の第一印象は、「ローポリゴンの極地をドット絵風テクスチャでマッチさせている」ように映りました。今にしてみれば「掘って資源取って建築して」とか、以後のゲームに大きく影響を与えたそのメカニクスだけでも、当時やろうと考えても誰もやれてなかったことなんだよね。
ボクセルの価値
『マインクラフト』以降、ボクセルアートは単なる技術ではなく、アートスタイルとしての価値を持つようになりました。その表現は、ドット絵と共通する情報量の制約、手作り感、抽象化といった要素が見る人の想像力を刺激し、温かみというナラティブ独特の魅力を感じさせます。また、立体的なドット絵としての親しみやすさが、ノスタルジーを呼び起こす要因とも言えるでしょう。私自身も、ボクセルアートを作るたびに、まるでミニチュア模型を作っているような楽しさを感じます。
私が触れてきた2DCG/3DCGの経験は、現在のボクセルアート制作にも通じるものがあると感じます。制約の中で表現を追求する精神は、当時のドット絵から受け継いだものです。一方で、近年のマシンパワーの進化は、3DCGによるフォトリアル表現が限界に近づいている現状を浮き彫りにしています。その結果、Atomontageのように物理演算を活用したマイクロボクセル技術が新たな可能性を示しています。これにより、単なる表面的なリアリズムではなく、より深い物理的シミュレーションが新たな表現方法として台頭してくるかもしれません。
未来のボクセル
現在、ボクセルアートはゲームだけでなく、アートや建築デザイン、さらには医療シミュレーションなどの分野でも活用されています。医療分野では、ボクセル技術がCTスキャンやMRIデータの3D可視化に用いられることで、診断や手術計画の精度向上に寄与しています。
一方で、アートスタイルとしてのボクセルの普遍的な可能性も注目されています。ボクセルはフォトリアルな表現が頭打ちになりつつある現代において、残り続ける普遍的なスタイルというだけでなく、物理演算やシミュレーションを活かしたデジタルツインメタバースの新しい表現方法として進化する可能性があるでしょう。
その進化を見守る中で私の中の根っこの価値観であるドット絵の、情報量の制約、手作り感、抽象化といった要素を再定義し続けています。それは、単なる技術ではなく、自分の手で作り上げる「創造の楽しさ」そのものです。
気づけばマイクラも15周年ですって。世代を超えたボクセルがもたらすのは、単なる見た目の変化ではありません。質量を持った表現は、私達の想像力を拡張し、未知なる可能性を切り拓く鍵となるでしょう。