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天球、彗星は約束を超えて

すいちゃんは今日も

「彗星のごとく現れたスターの原石、
  バーチャルアイドルの星街すいせいです」。
それはただの挨拶ではなく、まるで未来を予言するかのような言葉だった。

2025年2月1日、日本武道館。
彼女は確かにそこにいた。画面越しでも伝わる圧倒的な輝き。
彗星のように遠く、手を伸ばせば届きそうな距離で、でも確実に私たちの世界を照らしていた。

ライブタイトルである 超新星爆発SuperNovaは、星の最期ではなく、新たな星々を生み出す現象でもある。
彼女の歌声もまた、そういう爆発だった。
彼女の音楽はどこまでも遠くへ飛んでいく。
そして、その光に導かれた人たちが、今武道館に集まっている。

みちづれ

彼女には「みちづれ」という楽曲がある。
彼女の2ndアルバム「Specter」に収録されたこの曲は、まさに彼女の在り方を象徴している。

「これは愉快なパレードさ」と彼女は歌う。
旅路の果てには、荷物を放り投げて笑い合おう、とも。
私はこのフレーズが好きだ。

彗星は孤独な存在として描かれることがある。
寺尾紗穂のエッセイ集『彗星の孤独』の最後はこう始まる。
「私も父も彗星だったのかもしれない。暗い宇宙の中、それぞれの軌道を旅する涙もろい存在。ふたつの軌道はぐるっと回って、最後の最後でようやく少しだけ交わった。そんな気がした。」
孤独に宇宙を彷徨うわけではないのだ。

星街すいせいの音楽もまた、そんな旅のようなものだった。
彼女は一人でスタートを切った。個人勢として活動し、ホロライブに合流し、そして今、日本武道館のステージに立っている。
でも、その旅は決して彼女だけのものではなかった。
無数の彗星が長い尾を引きながら、それぞれの周回を進む。
時折少し交わる。惹かれれば同道することも吝かでない。
ファンがいて、仲間がいて、そして彼女を支える人たちがいた。
だからこそ、彼女は「みちづれ」を歌うのだろう。

青方偏移する歌姫

彗星は、周回軌道で地球に近づいてくる。そのとき、私たちの目には青く見える。天文学的には「青方偏移」という現象で、天体が観測者に近づくほど、光のドップラー効果で波長が短くなり青く見えるのだ。

青い髪をなびかせ、青を纏う彼女は、「青方偏移する星」だ。彼女は星を待つ人々のすぐそばに降ってくる。そして歌い、輝き、また新しい軌道へと飛び立つ。

武道館という夢のステージに立ったことは、ある意味で「彗星の最接近」だったのかもしれない。でも、それが彼女の旅の終わりを意味するわけではない。むしろ、新たな軌道への出発点だ。

この先、彼女はまた別の場所で輝くだろう。もしかすると、次に僕たちが彼女を見るときは「赤方偏移」しているのかもしれない。遠ざかるように見える瞬間もあるだろう。でも、それは決して消えてしまうわけではなく、新たなステージへ向かう証だ。

そして私たちの旅は続く

アンコール、彼女は「キラメキライダー☆」を歌った。
この曲はホロライブ全体の楽曲であり、彼女が孤高のシンガーではなく、ホロライブの一員であり、みちづれであることを強く印象付けた。

それにしても、これだけ「みちづれ」と言っておきながら、今回のセットリストには「みちづれ」がなかったんだよね(笑)。
まるで、次の旅のために取っておいたかのように。

彗星は、ただ一度きりの輝きではない。
長い軌道を描き、何度でも私たちの空に戻ってくる。
そして、超新星の爆発が新たな星を生み出すように、彼女の音楽は次の世代へと影響を与えていく。

旅はまだ続く。彗星は巡る。

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