何故 〜電車の君へ〜
なぜだ。
なぜ君はこっちを向いているのだ?
私も含め、君以外のみんなはあっちを向いているんだぞ。
なぜ君はこっちを向いて立っている?
パーソナルスペースはかなり狭い。
身動きがとれないほどぎゅうぎゅうではないが、それなりに混んでいる。
なぜだ。なぜ君は私の目の前でこっちを向いているのだ?
君は真剣な眼差しでこっちのドアの上に流れるニュース映像を見ている。
いや、そのニュースはあっちのドアの上でも流れているぞ。ましてやあっちのドアの方が近いから見やすいぞ。
電車が揺れる。
私は知っている。
この先もっと揺れるポイントが続くことを。
吊り革を掴みたい。
君の顔の左上に吊り革がある。
私が今掴める吊り革は、君の顔の左上にあるあの吊り革ただ一つ。
電車が揺れる。
足がトタ、トタトタとよろめく。
掴みたい。
でもあまりにも君の顔と吊り革が近すぎる。
しかしもし君があっちを向いてくれれば、吊り革は君の後頭部の上に変わる。
そうすれば私は躊躇なくこの吊り革を掴めるのに。
顔の近くと後頭部の近くでは掴む方も掴まれる方も感じ方は大違いだ。
無理だ。
君があっちを向く素振りは微塵も感じられない。
私は全身に力を込め、己の体幹を信じるしかなくなった。
なぜだ。なぜ君はこっちを向いている。
この電車は急行だ。
終点の駅までこの電車が止まることはない。
なぜだ。
なぜ君はこっちを向いているのだろう。
電車が揺れる。
なぜだ。
なぜなんだろう。