MtFと気づいたら

こんにちは、侑です。いよいよ本格的にMtFネタをスタートしようと思うのですが、細かい話とか生き抜くための小手先のテクニックについて考察する前に、まずMtFだと自覚したらどうするべきか、自分の体験と今までの過程を基にざっくりとした流れをまとめてみます。

私の場合、①ぼんやり自覚したのが小学生、②はっきり自覚したのが高校生、③ホルモン錠剤を個人輸入したのも高校生、④高校退学から無職期間~社会人の約3年、⑤通院して診断が降りるまでの約半年、⑥改名手続きとそれからの半年で概ね今に至ります。

①ぼんやり自覚した話

そのうち自分史編でもまとめるつもりですが、私の場合最初の性別違和は思い出せる限り小学校入学前のランドセル購入でした。なんか黒いのが嫌で駄々をこねた記憶があります。それ以降なんとか小学校生活は惰性で過ごし、中学入学の時の制服とプールで嫌悪感が増幅した以外はなんとか普通に通えました。今思えば一番幸せだったのかもしれない。あ、ちなみに9年皆勤でした。

②はっきり自覚した話

唯一まともだったのがお勉強しかなかったので進学は住んでた県で一番偏差値の高い(公立)高校を受験して無事通学することになりました。このあたりが人生で1,2の大きな失敗だったんじゃないかなって思います。というのも、その高校が男子高だったんですよね。自分にはこれしかないので仕方ないって思ってたし周囲からの要求も相当だったので避けては通れなかった道と言えばそうなんですけど、今の私が言いたいことは何かって言われたら「少しでも性別違和があるなら絶対に共学高校にしよう」ってことですね。

高校生活、出だしは順調でした。それなりに勉強はしましたが成績も学年1桁か2桁だったので特に困ることもなく、むしろ勉強だけしてれば済まされる環境が居心地よくてなんとか性別のことも押し込めてた感じでした、部活も楽しかったですしね(好きな先輩がいた)。

事態が急転したのが2年生になるかどうかくらいの時で、いろいろあって学校を休みがちになったのですがこれが自分でも予想しないトリガーを引くことになって、学校行かないということは体育の授業で着替えることも学ラン着て通学することも男子トイレに入ることもしなくていい、何より男子校という存在から逃げられるということに得も言われぬ安心感を得て、この時に自分は男じゃないんだ何か違うものなんだってはっきり自覚したのを今でも強烈に覚えています。

③ホルモン錠剤を輸入した話

とは言ってもとりあえず高校には通わなきゃいけない(この時はそのくらいの意識はあった)ので必死にインターネッツを徘徊するとホルモン剤なるものを見つけまして、これでとりあえず2次性徴から逃げられると2年生の7月くらいに人生で初めての個人輸入(ここからオオサカ堂ヘビーユーザになりました、ステマではないです)をしました。ここでどうやって親バレを回避するか(当時私はカムアしてなかったので)といった話ですが、学生の身分であれば学生証を使って局留めができるのでそれを上手く使ってやり過ごしてました。幸いにして電車通学だったので学校とか帰りの駅で箱とか包装を捨てるとかして錠剤だけ持ち帰る生活をしました。当時の小遣いが月5000円で、錠剤が5000円だったのでほぼ貯金切り崩し生活でした。あ、高校選びでもう一個アドバイスするとしたら「バイト可な高校を選ぶこと」ですね、必然的に進学校は選択肢から外れますが収入のすべてを錠剤に充てる苦痛と虚しさを考えたらランクを下げることも悪くはないんじゃないかと思います。進学校ゆえに得られたものももちろんあるのであまり無責任なことは言えませんが…

で、ホルモン剤を飲んだからと言って学校で男子と戯れて生活をしなきゃいけないのは何一つ変わらないのですが、とりあえず学校に通ってさえいれば個人輸入できる、そうしてる間に着々と身体は女になると呑気なことを考えてしばらくは通学してました。しかしながら恐れていた副作用がやってきました。最初のうちはおっかなびっくりで少量(プレモン1.25㎎1t/d+マレフェMtF0.5t/d)を飲んでたので何ともなかったのですが、2か月位経って慣れたのでそれぞれ2t/d、1t/dににしたあたりから胸のふくらみとともに副作用も激しくなり、まず強烈な胃もたれ胸やけで食欲がなくなってそれから吐き気も来るのでこれが一番しんどかったですね。こうなってしまうと通学どころではなくなり1日家で寝てる日も増えました。親には頭が痛いだとか気持ち悪いだとか(半分事実ですが)言ってごまかしましたが、いよいよ出席日数が危うくなり、挽回するにもそこから半年以上無欠席を強いられる状況にまで追い込まれていたのでこの時は一旦休学することにしました。休学に際して、私の高校では医者にかかれと言われたので、近所にある大学病院の精神科を受診してとりあえず適応障害の診断をもらって提出した覚えがあります。この時性別違和の話をするつもりで病院にかかったのですが、医者があまりにも強烈だったので話すことをためらってしまったのは後々損失になりました。医者選び(特に精神科)は慎重になろうね!合わなかったら別のところを受診しよう、お姉さんとの約束だぞw

④高校を辞めた話

休学して半年ちょい、特に何をするわけでもなく引きこもりただひたすら副作用と格闘する日々が続きました。家に籠ってると当然親からの圧力も増すばかりです(毒親の話はまた今度書きます)。あと、副作用のところで書き忘れてたのですが、めちゃくちゃ精神病みます要するにホルモンバランスが崩れるのでメンタルも逝くのですが、毒親と自分の性別のこととセットでかなり精神的に来ててこの半年間で2回くらい吊ろうとしました。普通に高校に通ってた方がよっぽど精神衛生よかったんじゃないかってくらいですが、着実に身体は2次性徴から離脱しようとしてたのだけは救いでした。

そんなこんなで年度明けの4月にとりあえず2回目の2年生が始まったのですが、今度こそ休むわけにはいかないのでとりあえずちゃんと登校しました。このころには副作用も落ち着いてたのでその点は助かりましたが、休学中に髪も短いながらレディースカットになってたり言動やしぐさも女性のそれになってしまったので案の定浮きました。1個下の学年というのもあって友達もいなかったので完全にぼっちですね、このときはさすがに着替えとかもしんどいのでお手洗いでしてました

着替えをお手洗いでする、MtFの皆さんが多分一度は経験する避けては通れない道かと思いますが思わぬ弊害を生むこともあって、私の場合これで主に体育の授業にしょっちゅう遅刻していました。こんな生活も長くは続かないもので、結局ぼっちでなんかトイレで着替えてる変なやつみたいな感じに思われてどんどん孤立していき、男子校なので当然教員にも性別の相談をすることもできずにまた休みがちになりました。さすがに2度目はないので自主退学となったのですが、ここが人生における2つ目の大きな失敗です。進学校だったので授業の進度は早く、ここで中退してもほとんどの試験を免除で高校卒業程度認定試験を受けられるということに目が眩み、高認試験を受けるという方に舵を切ってしまったのですが、個人的には転校扱いで適当な通信制高校に移籍しておくべきだったと後悔しています。やはり高卒と認定取得では差が大きく、また進路に関して何らかのアドバイスを受けることができるかどうかも今後の人生に大きく関わってきます。大学受験を見据えているならば通信制高校に所属して後は自学で補いましょう。私は完全に中卒ニートになってしばらくは家で勉強してましたが、家に引きこもってると確実に病みます、先の見えない状態で一日に10時間くらい勉強しても病むだけです、本当にやめましょう。

そんなこんなで高認を取得後も中退前の学年と同じ世代で大学受験しようとしばらくは引きこもって勉強をしていたのですが、ちょうど年度が変わるくらいで親が進学用の貯金を切り崩していた(!)ことが判明し、とりあえず大学受験を差し置いて労働をしなきゃいけない状況になりました。お金ばっかりは勉強しまくっても湧いてくるものではないので仕事するしかないですね。中卒でも何とか働ける夜勤とか事務とか転々としました。一度労働に手を染めると勉強する時間と体力は無くなるもので(甘えですねごめんなさい)、そのまま職を転々としながら2年ほど過ごすことになります(この辺りはトランスと仕事の話で詳しく書きます)。18歳半ばごろから錠剤もダイアン35を1t-2t/d飲むようになり、つるぺたを脱却しました(副作用が結構強いので一概におすすめはできませんが……この辺は後で錠剤に関してまとめて書きます)。あとこのころからのちに戸籍名となる通称名の使用を開始しました、身分証の要らないものから少しずつ増やしましょう。郵便の受け取りは転入届の提出で通称名を追加することができるので積極的に使いましょう。後私は通称名で国内線の飛行機に乗ったり宿に泊まったりしました、めちゃくちゃですね、冒険はほどほどにしましょう。

⑤通院と診断書取得

成人したその週のうちにジェンクリに通いました。関東圏在住だったのでとりあえず知り合いのトランス数名からおすすめされてたは〇まメンタルクリニックに行くことにしました。ちなみに今でも通ってます(まだマウントを取れるほど診察券の枚数は持ってませんがw)。

どうして成人を待ってジェンクリに通い始めたのかという話ですが、これは私の母親(ちなみに私の家庭は母子家庭です)が「成人したら特に干渉することはしないが、親として性別のことに関して支援はしない」という立場を明確にしていたことが主因です。多くのジェンクリの場合、未成年だと治療に際して保護者の同意書が必要だったり場合によっては保護者同伴で初回の診察を受けることを要求されたりと、特に毒親や家庭での理解が得られてない場合、さらにカムアが済んでいない場合などはこの辺りが大きな障壁になります。そのため私の場合は、個人輸入でとりあえず身体の女性化を先に勝手に進めてしまってそれから成人を待って診断RTAを目指そうという計画を立てたのでした。俗にフラホルともいわれるこの行為ですが、精神科によっても善し悪しの判断は分れるようで、聞いた話ですがこれで診断が降りにくくなるという噂もあります。幸いにして私の通院することになったクリニックでは、「先にホルモンやる人はMtFだと結構多いからね~」と軽くあしらわれただけだったので拍子抜けしました。この辺りは自分史とかこれまでの生活状況、見た目のパス度とかでも判断は割れると思うので、一概にフラホルしても診断はすぐ降りる、と私から申し上げるのは差し控えておきます。

さてそんなこんなでジェンクリ通院が始まったわけですが、診断取得までの流れとして、Ⅰ.初回のカウンセリング(1回)→Ⅰm.血液(染色体)検査→Ⅱ.自分史読み合わせ(3週間に1回、人によって回数はまちまちですが私は6回でした)→Ⅲ.生殖器検査→Ⅳ.判定会議→Ⅴ.診断といった感じで、そこまで来るとⅥ.注射でのホルモン投与,Ⅵm.性別適合手術が可能になります。

が、私の場合ちょっと事情が特殊でして、Ⅱまでの過程は同じなのですが、この段階でいきなりⅥ.ホルモン注射が始まりました。というのも、私のようなケースでは性同一性障害の診断自体は自分史の読み合わせが完了した時点で一応出せるらしく、またすでにフラホルをしてる場合は注射への「切りかえ」という形態になるためこれでも特に問題ないそうです(本当か?)。ちなみにこの場合に出る「診断書」はしょぼい方の診断書ともいうべきもので、これは精神科医1人の診断に基づくものなのでこの紙では性別適合手術を受けることができません。私の場合は強い方の診断書は手術するときにいつでも出せるから今出す必要はないと言われましたが正直ガイドラインから外れてるような気がしてもやもやする日々です…

ちなみにこうなるのは結構レアケースで(というかフラホルしてないとこうはならない)、私の友人のMtF数人は普通に一般的な流れで診断後に人生初ホルモンを味わったことは付け加えておきます。この場合強い方の診断書までもらえます。

⑥たかが診断書、されど診断書

いろいろ見切り発車感がすごいですがとりあえず注射が打てるようになったので喜々としてホルモン注射を受けることになりました。どれくらいの頻度で通院するかという話ですが、一般的には2-3週間に1度、一度に1本または2本分の薬剤を投与ということで、私は元飲んでた錠剤と同程度の効力が得られる2週間に2本分という選択をしました(ちなみに薬剤はプロギノンデポーというやつです。油に薬剤を溶かして作られるもので、基本的に臀部に注射し、薬液成分が少量ずつ体内に溶け出すので薬効が数週間持続します)。

ホルモン開始から1か月ちょっと経った頃の診察で、改名に関して聞いてみることにしました。すると、今の(しょぼい)診断書でもいけるとのことで早速改名用の診断書を発行してもらうことにしました。発行こそしてくれるのですが、手続きに関しては基本ノータッチ(精神科は基本的に診断をしてくれるだけで支援もアドバイスもくれません、そういうものです)なので、自分でやり方を調べて書類を裁判所に持っていきました。改名手続きに関しては非常に手続きが煩雑で長くなるので具体的にどういう流れで審判まで行くかは追って別の記事にしたいと思います。この記事で一つだけ言っておくとすれば、改名に関しては通称名の使用実績が問われますので、少しでも名前を変える意思があるなら思い立ったその日から使用実績を増やしましょう。先述しましたが郵便でも宿でも飛行機でも何でもいいのでとにかく年数を稼ぎましょう、最低1年は欲しいところです。

たかが診断書、されど診断書とはよく言ったもので、医者の一筆の効果はすさまじいですね、審判結果が送られてくるまで1か月ほど気を揉む日々でしたが無事改名が認められました、去年の夏のことです。改名を認める旨の書面が送られてきたときは相当嬉しかったのを覚えています、ときめいちゃったw。あ、あとこれだけは言っておきますが審判の結果はスキャンしましょう、20枚くらいコピーしましょう、原本は最初に役場に持っていくと回収されます

改名したことにより想像以上のメリットがありました。まず、身分証を出すのがしんどくない、これが一番大きいです。私の場合自動車免許を持っていたのでほぼ最強の身分証がこれで手に入ったことになります。余談ですが、身体的に特に制限がない場合は原付だけでもいいので免許を取りましょう。顔写真つきでかつ性別欄がないのでこれがあるとどこでもスムーズです。そして次のメリットとして身分証に関連してクレカが作れるということです。先述の通り免許証があれば1枚の提出で手続きができます。クレカしか決済を認められないところも多いので与信枠は持ってて損はないと思います。3つ目のメリットとしては、仕事をする際にもほぼ完全に女性として就労することができます。私の場合、改名前の職場でも女性名で働くことができていましたがそうもいかない職場も多いかと思います。仕事をする上でも改名は強い武器になるので是非おすすめしておきます。

改名をする前後で新しい職場が決まりました。先述の通り手続きもすべて女性名(当たり前ですが)で進むので非常に気が楽です。実際には戸籍上は男のままなので、経理とか一部の事務方と管理職、入社前の健康診断を受ける際の病院等には真実を話さなければいけませんが、守秘義務が遂行される職場では(ここ重要)とくに周りにアウティングされることはないと思います。そんなこんなで今の職場にたどり着いたわけでした。お世辞にもいい職場とは言えませんが……

まとめ

非常にざっくりとした流れで足らない情報も多かったかと思いますが、これが私の現状21年のトランス人生の流れです。RTAしてるとよく人から言われますが、性別移行において大事なのは、確固たる意志とそれからどういう手順がもっとも効率的で自分にとって障壁になるものを素早く取り除けるかを常に考えながら動くことかと私は思っています。精神科は何の助けにもなりませんがものは使いようです。確立された移行の意思があるだけで診断にかかる時間は短縮できるかと思います。

掻い摘んでまとめると、性別違和に気付くのが先なら高校は共学にしよう、高校がしんどくても中卒になるのはやめよう、フラホルは決して悪ではない、家庭の状況をよく見極めて最速で精神科を受診しよう、できれば早めに通称名の使用実績を作り始めよう、精神科は診断はくれるけど何の支援もしてくれない、改名手続きは面倒だけど大きなメリットがある、免許はあるといい。とこの辺りがとりあえず最初の記事で私が主張したいことです。

薬の話、家庭の話、高校の話、改名の話、仕事の話等まだまだ細かい話はあるのでこのあたりは追って単発で記事にできればと思っています。

最後になりますが、この記事はあくまで私の経験に基づいた個人的見解ですので、鵜呑みにするのはやめましょう。私の場合少し特殊な過程を経た部分もあるのであくまでこういうケースもあると認識していただければ幸いです。インターネッツの海にはそれこそ膨大な情報がありますのでいろいろな情報を取り入れて自分の最速RTAルートを構築するのをお勧めしておきます。言い忘れてましたが、情報の取捨選択も生き抜くために結構重要です。私も最初の頃はひたすらネットのMtFさんのブログを読み漁ってました(だからこそ自分の経験も誰かの役に立ってほしくてこのブログを始めたのですが)。

書きたいことが渋滞してまとまりのない文章でしたがここまでお読みくださってありがとうございました。ばいちゃ!!



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