トランスは仕事選びに苦労しがち

 こんにちは、侑です。最近仕事を辞めて無職になりました。
さて今日はトランスと仕事の話でもしようかと思います。とは言っても仕事ほど多種多様なものはありませんでして、具体的にどの仕事がどうこうといった話をできるほど私が職を経験したわけではありません。そこでこの記事では、自分が今まで経験した職場(+仕事探し)とそこであったことをざっくりまとめてみようと思います。


①急に仕事することになってとりあえず夜勤をした話

 自己紹介の記事でも触れましたが、高校を2回目の2年生で中退した私は高認試験を取得した後そのあと家で宅浪ライクな生活をしておりました。18歳になったくらいの頃に実家の金銭事情が急速に悪化しとりあえず何が何でも仕事をしなきゃいけないとなったわけですが、この時に選んだのが郵便局の夜勤の契約社員でした。高時給の割にそこまで身体的危険を伴う作業でもなく、かつ中卒でも入れそうと飛びついた仕事でしたが、結論から言うとこれはあまり良い選択ではありませんでした。というのも、夜勤に集まるような人と言えばどんな民度か想像に難くないわけで、私の周りでは休憩時間に未成年喫煙は当たり前、口も態度も悪いような人ばかりでお世辞にもいい環境とは言えませんでした。加えて採用時の業務説明では軽作業と言われていたのに、実際に現場に出てみれば重量物の運搬ばかりで普通に体力的にしんどかったです。1か月でリタイアしました。高校時代はバイトも禁止だったため、人生初の労働経験としては強烈すぎました。
 強いて良かった点を挙げるとすれば、髪型自由・私服勤務だったことでしょうか。これはトランスにとっては結構大きなことだと思います。当時すでに肩にかかるくらいまで伸ばしていた私は、普通の企業ならまず面接で落とされるでしょうが、内勤(顧客と直接対面しない業務)ゆえの緩さで普通に仕事することができました。また非正規の内勤だったため制服や作業着も存在せず、ジーンズにパーカーと言った感じの中性的な服装で仕事ができたのも良かったところかと思います。体力と根性、それから適応力さえあれば人によってはいい職場かもしれません。明らかに定年前の50前後のおじさんとか子供がいると話す30代の女性とか、一度も定職に就いたことがない20代も終わりのフリーターとか、とにかくいろんな人がいました。世間話程度ですがこれらの人と話す機会もあり社会勉強にはいい環境です。しかしながら(推測される要因は伏せますが)話が噛み合わない・通じないことも多いのは難しいところです……

②昼勤に移ったらまあまあ楽だった話

 そんなこんなで1か月くらいで辞めてしまった夜勤ですが、会社そのものを退職したわけではありませんでして、当時の上長と相談の上で昼勤の事務の職場に移動しました。電話応対や社内システムを使った簡単な作業で比較的楽な仕事でした。周りの同僚も主婦の人ばっかりだったので比較的やり易かったのを覚えています。問題と言えば年中無休のため休みが変則的になること、それからこの会社が抱える縦割り体制ゆえの融通の利かなさ等でしょうか。必要があって他の部署に書類を取りに行ったらいきなり怒鳴りつけられる等あったので会社としてはあまりよくないと感じました。3ヶ月半くらいは仕事してました。先述の通り私服でOKなのでそのあたりもあってだいぶ続いた方だと思います。
 ちなみにではどうして辞めたのかという話ですが、まあ2つくらい理由がありまして、1つは車の免許を取りに行こうとしたとき(後述)に休みと勤務時間の関係(早番遅番があった)で日程的に厳しかったこと、それから2つ目は同僚の主婦各位の派閥争いに巻き込まれて居場所が無くなってきたことです。2つ目、まあつまるところよくあるおばちゃんの噂話みたいなのが強烈になってきたわけですが、ある時トランスを否定するような発言をしていたのを聞いてしまい、それで自分が当事者だとバレたら終わりだなと思って退職を決めた経緯があります。しかしながら全体的な居心地としては悪くはないのでちょっとした隙間埋めの労働としてはだいぶいい仕事なんじゃないかと思っています、会社体質を除いてはねw

【番外編】ぶーぶの免許を取りに行った話

 そんなこんなで仕事を辞めて18歳の夏頃から教習所に通いました。仕事とは直接関係ないですが、後々仕事探しをする際に免許はあった方がいいので一応関連話として書いてみます。
 まず教習所に通うのには一般に30万くらいかかります。幸いにして私の生まれはだいぶ田舎でして、車がないとまずまともに買い物もできないような場所だったので母親との交渉で免許費用は出してもらえることになりました。
 続いて教習所ですが、頭髪とか容姿に関して特に深く聞かれることはありませんでした。向こうもサービス業でやってることですのでそう言ったことで厳しくしたところで客足が遠のくだけなのでメリットは薄いと思われます。仕事を辞めたタイミングで通い始めたことができたので、仕事をやめた理由として1つ言い訳を作ることができました。退職した後は何か理由づけになることをしておくといいかもしれません(ex.免許取得とか学校に通学とか引っ越しとか)。

③一度辞めるとなかなか見つからない

 そんなわけで無事免許も取得していよいよ労働といきたいところですが、当時の私がなかなかアレな状況でして、というのも名前は男性名、容姿は(ほぼ)女性、ついでにホルモンを入れて体調がよくないといった感じでお世辞にも企業的に欲しい状態の人材ではありませんでした。それになにより、男性名で女性の容姿をした状態で(しかも中途採用で)仕事を探さなければいけないことの苦痛は計り知れないもので、おそらく今までのトランス人生でこの辺りが一番精神的にはきつかったんじゃないかと思います。
 結局自分で仕事探しをしようにも停滞状態だったため、この時は当時の交際相手を頼ることにしました。恋人氏は機械関係の現場で働いてたので、その上司のつてで関連会社の事務や軽作業と言った私でも働けそうな会社を探してもらい、いわゆるコネでなんとか仕事を見つけようという算段でした。当初は数社から「人が足らないので是非来てほしい」という回答をもらってたので、それでは正式な面接とかに備えて一応トランスの話もそれとなく伝えたところ全滅になりまして、残当と言えばそうなのですが当時はだいぶ悔しかった思い出があります。この時得た教訓としては「トランスであることは入社するまで伝えない方がいい」ということでしょうかね。確かに男性として手続きが進むことに対して苦しさはありますが、仕事が見つからずに生活が立ち行かなくなることに比べればまだ小さいものです。
 そういうわけで仕事が見つからない期間が1年くらい続きました。彼氏にはあちこち旅行に連れてってもらったりものを買ってもらったりとだいぶ助けられました。最終的に向こうの人間性に耐えることができずそこから半年くらいで分かれてしまいましたがそれを差し引いてもだいぶお世話になったと思います。余談ですが恋人は作っておくといいと思います、金銭目当てを推奨するつもりはありませんが精神的にもだいぶ助けになります。
 本当の地獄は後半の半年でして、恋人と別れ仕事も無くただひたすら引きこもるような生活をしてました。実家暮らしなので最低限の衣食住は幸いにして確保されていたわけですが、この辺りで元父親からの養育費の支払いが止まり(裁判で成人まで支払うことに決まっていました)、実家も困窮状態だったので家での居場所も無くなかなかつらかったです。生活が立ち行かなくなる恐怖は後にも先にもこの時が一番大きかったかもしれません。

④友人の紹介で正社員の仕事を見つけた話

19歳の夏頃に、親しい友人から「勤め先で欠員が出たので仕事をしないか」と誘ってもらい、某電機メーカーのある事業所で品質管理関連の職場に勤めることになりました。長らく仕事が見つからずにいた私にとって、ボーナスありの正社員の仕事が決まったとあって当初は舞い上がっていましたが実際に働き出してみるといろいろと問題点が見えてきました。まず、製造業なので制服というか作業着があります。当然着替えは更衣室を使うのですが、もう当時見た目が完全に女性のそれだった私にとってはこれが大変な苦痛でした。入社翌日から始業30分以上早く会社に到着するようにして、お手洗いで着替えていました(お手洗いは幸い男女別の大きいものでなく普通の個室タイプのでした)。それから、当時まだ改名も通院もしてなかったので当然のように男性扱いです、髪型に関しては縛っていたので何も言われませんでしたが顔も見た目も女性のそれで君付けで呼ばれるのはなかなか精神的にきつかったのを覚えています。そして、これは製造業に特に多いと思われることですが、社員のなかで男性が圧倒的多数を占めるため言動や人との接し方もある種男性的なものが多く、馴染めないというものがありました。無理やりにでも話を合わせるというのは社会人において必要とされるスキルではありますが、性別のことが絡むとその精神的負担も大きいものです。

⑤会社でカムアウトしたらダイナミックアウティング

 9月に入社して年内はそのままおとなしく仕事をしていまして、無事試用期間も終わりいよいよ本採用となったタイミングで、今後のことも考えて所属部署の課長に性別のことをカムアウトすることにしました。当時残業の多さと前述の精神的負担で会社を何日か休んでしまったことがありまして、そのあたりの事情説明も兼ねて話しました。上司は人柄がいいように感じられ、話にも一応耳を傾けてくれたのでこれはうまくいくかもしれないとその時は思ったのでした。
 が、翌日会社に行ってみるとどういうわけか現場の上司から「君ってそうなの?」と聞かれる事案が発生、どこまで職場内で広まったかはわかりませんが少なくとも課長以外の現場の人間に知れ渡ってしまったことは確実です。こうなるといよいよ出勤どころではなくそこからしばらくは手持ちの有給を消化して出社拒否状態になりました。
 有給も尽きるころ、そろそろ(出社日数的に)まずいということで一度は出社しましたが、そこでもう退職してほしいと告げられそのまま促される形で退職となりました。なんだかんだ半年程度しか居なかったと思います。仕事を紹介してくれた友人には申し訳ないことをしたと思ってます。
 ここで得られた教訓は2つありました。1つは「入社後のカムアウトはアウティングによって居場所を失うリスクがある」、2つめは「男性名で就労してしまうと当然周囲の扱いも男性扱いとなるので(たとえ見た目がいくら女性のそれでも)あとから女性として扱ってもらおうとして障壁となることが多々ある」でした。

⑥精神科通院とまた就活

退職した翌月に成人を迎えたため、このタイミングで予定した通り精神科(ジェンクリ)に通院することにしました。この話については前の記事でいくつか書いてますのでそちらを読んでいただきたいです。
 同時期に何社か正社員の仕事の応募と面接に行きました。前の会社の取引先で名前を知っていた会社を中心に応募した記憶があります。今度は初手で男性扱いをされるのを回避するため、名前は諦めるしかなかったのですがレディースのスーツを着て面接に行きました。そうなると当然事情を聞かれるわけで、包み隠さず全部話しました。前の会社でアウティングされて退職されてきたことも伝えました。
 結果はまあお察しの通り不採用で、というのも社内にサポートできる環境が十分でないからということでした。まあほかにこんなことを考慮しなくていい人材なんて山ほどいるのでそうなりますよね…

⑦塾バイトで餓死を回避

 ここまで読んでいただいた方はすでにお気づきかと思いますが、入社前・後のカムア、それから完全に男性としていくか女性扱いをしてほしいと前面に押し出していくか、どちらも試行してどちらも失敗となりました。こうなってはもうどうしようもありません。本当に人生辞めようかと思ってました(何度か吊ろうとしました)。
 しかしながらどうも私の人生はただでは終わらないようで、このタイミングでMtF仲間に学習塾での雑務(?)バイトを紹介してもらい面接を受けに行きました。知り合いの紹介ということもあって事情を話すのも非常に楽で、また給与関係や契約書と言った有印私文書を除いては通称名を使用させてもらえるというとても寛大な対応をしていただきました。当時はこれにだいぶ救われました、本当にありがとうございました。こればっかりは人との縁なので難しいところですが、友達は大切にしましょう、ほんとに。
 勤務自体はまあ生徒とか保護者とかと接することが多かったのですが、レディーススーツを着てメイクもしっかりして仕事してたので周りからも女性として扱えてもらえてました。お手洗いも女性用を使わせてもらえてたので環境としては最高でした。
 ここで重要なことは、この仕事で通称名の使用実績と女性としての社会生活の実績を獲得することができたことです。これは大きなことで、前者はのちに改名手続きをするときに必要になり、また後者は精神科で性同一性障害の診断を受ける際に材料になります。一般的に正社員に比べて責任や業務内容が軽いアルバイトにおいては、戸籍上とは異なる性別で就労することに対して寛容だと個人的には感じています。実は件のメーカー勤務の直前に近所でコンビニのバイトを申し込んで面接をしてもらったことがあったのですが、この時も女性としてぜひ働いて欲しいと採用前提で話を進めてもらったことがありました(そのバイトはメーカー勤務が同時に決まってしまったので申し訳ないけど辞退させてもらいました)。下手に正社員(やそれに準ずるで入って辞めてを繰り返すよりも比較的長時間・長期で仕事できるアルバイトで通称名や女性としての社会生活実績を積むほうがいい場合もあると感じました。

⑧改名して正社員で仕事をした話

バイトに行く傍ら精神科に通院をして5か月くらいが経過したころ、ついに(しょぼい方の)診断書が出まして、これによって改名手続きに踏み切ることができました。あ、余談ですが精神科に近い場所でバイトをしておくと交通費を節約できておすすめです。だいぶ助かりました。
 改名についてはあとで詳しく1本の記事にまとめようと思ってますが、ざっくりいうと居住地域管轄の家庭裁判所に診断書と改名の申立書、それからこれまでの通称名(改名後に戸籍名として使いたい名前)の使用実績の複写を提出して審判をしてもらうというものです。私の場合診断書取得からトータルで1か月ほどで審判結果が郵送されてきました。これを役所に持っていくことによって改名手続きが完了します。
 改名手続きも無事完了し、とりあえず(性別適合手術まで)の間長期で働くことができるようになりました。そこで再び正社員の仕事を応募してみることができました。今度は名前も女性になっているため正々堂々と女性の顔をして応募しました。とは言っても学歴もなく退職歴も多い私が正社員の仕事を探すのは困難が予想されました。 そこで、以前から独学で習得し小遣い稼ぎをしていたCADのスキルを全面に押し出して設計関連の仕事を探すことにしました。
 結果的にこれは大成功で、スキルと知識を全面に押し出していくと面接でほかのこと(退職歴や学歴)に関して突っ込まれることが少なく、また私の場合高校が男子校だったため結果的に面接の中で性別に関しての事情を話すことになってしまいましたが、それでも会社の反応は非常にいいものでした。独学でも極めればプロになれるんだなぁと実感したのはこのときです。余談になりますが、トランスはなんでもいいので自分を売り出していけるスキルを身につけておくといいと思います。私が偉そうに言える立場ではありませんが、学歴や職歴を超えてまで欲しいと思えるものを持っていると本当に人生が詰みかけているときに助けになるんじゃないかと思っています。
 そんなこんなで射出成型品の設計部門で無事採用となり、今度は改名も済んでいるため面接に関わった役職3名を除き完全に女性として仕事をしました。改名の効果はとにかく大きいです、診断書と裁判所の判断にとやかく言える人はなかなかいないと思います(医療と司法は使い物だと思ってます)。職場内からはなんだかやけに背の高いでかい女が来たなと思われたかもしれませんが、まあ特に周りから何か言われることも無く順調に仕事をしていました。

⑨女って大変なんだなぁ…

見出しタイトルからすでに不穏な感じですが、別に女性として生活することが飽きたとかそういうわけではありませんw
 そんなこんなで数ヶ月ほど仕事をしまして、12月には少額ながら初ボーナスも出ました。正社員の仕事の一番おいしいところは多分賞与なんじゃないでしょうか、月給こそ低めですが固定残業代もあったので貯金もだいぶできました。今までの仕事で一番お金もらってたかもしれません。
 仕事自体はスキルが活かせて楽しかったのですが、次第に周りの環境が見えてくるにつれ、これはやばい会社に来てしまったと感じました。まず入社してから1か月で同じ部署から退職者が出ました。さらに仲の良かった社員と関わるにつれ私が入社する前年にも大量退職があったことを知ります。そしてついに年が明けたくらいで私の同期(かなり仲が良かった)がパワハラを受けて退職していきました。もうこの辺りで自決するべきなのですが、仕事面での評価はかなり良かった(これは自慢なのですが入社翌日の午後には製品の設計実務をこなしました)私はまだ会社に残る決断をしました。
 同期が消えて寂しく仕事をしていたころ、恐れていた事態が起こり始めました。女性ということ、また仕事面では評価が良かったこともあり、パワハラという形でこそ降ってきませんでしたがその悪しき風土は形を変えてセクハラとなって襲ってきました。仕事面で年配の社員にいろいろ教わることが多かったのですが、その人は人当たりこそ悪くないのですが性的な話がすごく多く、また女だから云々といったことを非常にたくさん言ってきました。その人そのものが悪い人だとは私は思っていませんが、そのようなことが平然と口から出てしまう社内風土が蔓延っていたのです。念願叶って女性として仕事できていたにも関わらず、人生というのはいつも上手くいかないものです。
 同時期に部署内で経営が怪しいという話も耳にしまして、実際それを裏付けるかのように自分が担当予定だった製品が次々と中止になっていきました。全体の会議で毎週毎週金儲けの話しかしないので何かおかしいかと思っていましたが読みは当たっていたようです。辞めようと思う要因が2つほど出そろったので試用期間満了前に退職しました。

まとめ

 そんなこんなで退職して一ヶ月、このブログを書いているわけですがトランスの本当に人生は厳しいです。若干辞めなければよかったと後悔している部分もありますが、まあ過去を悔いても仕方ないのでなんとか仕事探しに必死になっている現状です。誰かいい仕事教えてください。

 最初に仕事を初めてから3年、職歴はめちゃくちゃですが何社か経験していろいろと得るものがありました。ざっくりとまとめると

・私服勤務の職場を選ぶと着替え面で苦痛を感じにくい
・ホルモン入れてると体力が落ちるのでデスクワークが望ましい
・田舎だと自動車免許はあったほうがよい
・カムアのタイミング、基本は入社後の方がいいが一度男性扱いを受けると
 印象を変えるのは簡単ではない
・職場内でのカムアウトはバレて退職に追い込まれるリスクが非常に高い
・女性としての生活実績を確保するためにしばらくバイトをするのも悪くな
 い、正社員に比べてそのあたりが寛容である
・性別面や学歴を超越して自分を売り出せるスキルを身につけておく
・改名するとだいぶスムーズに職探しが進む、医者は使いよう
女として仕事したからと言って上手くいくとは限らない(重要)

とまあこんな感じです。私のように高校中退でいきなり夜勤から社会に飛び込むトランスの方がどれだけいるかは分かりませんが、少なくともまずバイトでも何でもいいので通称名とカムアウトに寛容な職場で資金を確保しつつ早々に改名に持っていく、それと同時に何かスキルを獲得しつつ改名が済んだら正社員で仕事をする、というのが自分の経験上一番最適解なのかなと考えています。順番を間違えると退職歴ばかり増えてまた時間的経過もあるので若いうちに片付けるに越したことはないと思います。
 それから、女として仕事したからといってすべて上手くいくとは限らないというのも私から繰り返しお伝えしたいことです。私が社会不適合だった可能性は非常に高いですがそれを抜きにしても職場選びは難しいものです。人生は往々にしてしんどいものです、、、、

 今回はあまり中身のない文章になってしまった気がしますが9000字も近いのでこの辺で終わりにしようと思います。ここまでお付き合いいただきましてありがとうございました。読者の皆様の中にはしんどい方もいるかと思います(私もしんどいです)、どうか強く生きてください……
 ではまた次の記事でお会いしましょう、、




仕事くれええええええええええええ!!!!

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