「大丈夫」という武器 note 83
ここんところ、連れ合いがはまっているのが、バイキングというNetflexのドラマ。これが生々しくて、あー、この時代に生まれてこなくてよかったとしみじみ思ってしまうような蛮族ぶり。
一族の決まりで、主人が亡くなれば、使えていたメイドも一緒に死んだり、自分の身内や優秀な戦士でさえも、その掟によって、生贄の対象になることもある。それを何の疑いも持たずに受け入れる生贄たち。
ひとりの戦士が、生贄として首を切られる前に、残った家族や仲間に目を向ける。迷いのない目。むしろ誇りさえ感じさせる。彼は、一族のために死ぬ。その目が「大丈夫」と言ってるように見えた。
パリがテロリストに襲撃された時、現場を目撃した人が「彼らは冷静に任務を遂行していた」といった言葉で、その様子が目に浮かんだ。バイキングの生贄とこのテロリストたちが重なる。銃弾を放ちながら、彼らもまた「大丈夫」と心の中でつぶやいていたのではないかと思う。
翌日のアメリカの特番で、ある評論家のような女性が、「彼らは、commitしているのではない。 determineしているのだ」と言っていたのも、この「大丈夫」につながる。
彼らの中に、どれだけ神の存在が影響しているかはわからないが、決意している人間の、その存在まるごとで表現される意志には、何の曇りもない。
テロリストの襲撃で、明らかに多くの人々は、「大丈夫」からは遠い心境になっている。それがテロリストの目的でもあるのだから、彼らの「大丈夫」は、世の中のリアクションによって証明されつつある。
自分の中には、この「大丈夫」と言える何かがあるだろうか?
今日も、冬らしくないロサンゼルスで、いつもと変わらない一日が始まる。「大丈夫」を持つ理由は、この平和な日々の中にあるのは確かだ。
パリに住むアジア系のフランス人のお父さんが、まだ幼い息子に、現場に飾られた花やキャンドルのともし火は、みんなを守るためにあるのだと伝えた。
大丈夫、私が守ってあげるから。
子供を持つ親なら、誰もがそう言える自分でありたいと思うだろう。
妻を殺された、やはり幼い息子を持つ父は、「君たちは、私の憎しみを勝ち得ることはない」と綴った。これも、「大丈夫」だ。
大丈夫。私たちは、守るべきものを知っているから。