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犬よ4
犬のいるところは大体温かい。床暖房がリビング全体に張られている訳ではなかったから、犬は実に賢くちょうどその上で横たわっていた。ストーブのスイッチを入れた瞬間から真ん前を陣取る。起動するまで数秒あるが、その隙にさっと人間の足をかいくぐりどっかり座り込む。暖房の風が出てくる真ん前にいられると後ろの人間は何も恩恵に預かれない。学生時代は朝の6時に家を出ていたから真冬の夜明け前に制服に着替えるのがまぁ辛く、ストーブでブラウスを温めてから袖を通したいのにせっかく温めていたその上に犬が座る。どいてどいてと犬を押しやり、ついでに首輪の金具が後ろに来るようにくるっと回してやる。金具がカンカンに熱くなってしまうのも気にせず居座るからだ。フンッッと鼻を鳴らして文句を言われるがお前は毛皮着てるんだから人間にちょっとの間譲れと喧嘩するのが毎冬の恒例だった。第一ストーブに近すぎてヒゲを焦がしている。適度な距離まで遠ざけるのを定期的にやらないと全部のヒゲがチリチリになってしまう。
昼間は床暖だけつけてこたつに潜るのも好きだったようで人間が足を入れると大抵ぐにゃり、たまに鼻先が触れひやりとする。そしてフンッッッと文句を言われる。うちの犬はインターフォンくらいしか吠えなかったから文句を言う時は鼻水を飛ばす勢いで鼻を鳴らす。我が強いのが柴犬の性なのかうちの犬の性格かは微妙なところだがそういえば若い時からよく文句を言う犬だった。ずっとこたつに入ると暑くなるのは犬も同じらしく、時折ハアハア息を荒げて出てくる。ドアの前のちょっと隙間風が通る床に横たわり、そしてまたしばらくしたらこたつに潜るのを繰り返していた。犬も整うのだろうか。まさしくサウナの正しい使い方だった、こたつだけども。
私は実家を出て、そして実家も引っ越して、犬は老いた。引っ越した先ではリビングに全面床暖房を張ったそうで、それとたまにエアコンで冬を過ごすようになった。犬の大好きなストーブとこたつは屋根裏収納に押し込まれたままだ。使わないなら処分したらとの私の提案は黙殺されたので、あるにはある。上げ下ろしするにはかさばるし危ないので親や祖父母にはやらせられないから無用の長物。本当に処分すればよいのに。
老いて目は見えなくなったし筋肉量も落ちて犬は痩せた。冬の温かい室内でも震えているから、それまでは散歩の時だけだったが常に服を着せられるようになった。服が嫌いで嫌いで散歩の度に固まって遺憾の意を示していたものだが、慣れたらしい、もはやそれすらわからなくなっている可能性もある。今は散歩の時はさらにもう一枚着せる。柴犬にしては小柄だからサイズ調整が難しくて手持ちの服は大抵ブカブカかピチピチだったのがどれも余るようになった。(写真のオレンジTシャツは元から大きかったのが度重なる洗濯でだるだるになってしまったのもある)老いてからカリカリではなくちょっとリッチなやわらかいごはんに変えて、なんだかよく食べるようになったので首周りとかはみちっとしているが。盛られた1食を夜中から昼間までかけてちょっと食べては継ぎ足していたのが、2回にわけてだけどもちゃんとその時に完食するようになるなんてこんな日が来るとは。犬は人間の食べているものは全部自分のものだと思っているからねだりに来るし、犬かわいさに負けて衣をはがした揚げ物の中身とかを親が与えてしまっていたりしたので。祖父母と暮らすようになって大病をする前は今度は犬好きの祖父がそれをしていた。カツ丼の肉を全部あげてしまった!と動物病院の先生に言いつけたらむしろ八十も半ばを過ぎた祖父がカツ丼をモリモリ食べているのにも呆れたように感嘆されたというのは母の鉄板ネタである。この時の祖父はタレでベチャッとなったごはんと玉ねぎしか食べていないが。(玉ねぎを除けても同じ鍋で煮ているのだから犬には与えてはいけないとそこもきつく叱られている。絶対にあげてはいけない)
人間の布団ともこもこのひざ掛けや毛布にくるまれて犬はほとんどを寝て過ごす。散歩とごはんと散歩後や夜中のくるくる徘徊タイム以外はほとんどそこにいる。ストーブに焦がされて赤茶がなんだか焦げパン色になって来たような…と疑念も抱かなければ、ほら散歩行くんだってば!!とこたつから引きずり出す必要もなくなった。肉球の感覚はまだ残っているか、まぁ選ばなくても今度のおうちはリビングならば床全部温かい。先日云年ぶりにお風呂に入れた時は足が濡れるのを嫌がって片足ずつあげる仕草は相変わらずしていたから多分多少は。毎度散歩後に足を拭かれるのは鳴き声をあげて嫌がるし。
犬よ、犬よ、今年も寒いね。私はと言えばエアコンが壊れて自室の暖を失ったので急遽買ったヒーターの前から動けないが、犬をどかしたあれをなんだか思い出した。犬をどかさなくていい、でも一緒に炙られて温まったどころか熱された犬の頭を撫でくりまわして怒られたりできない。老いた犬は確実に火傷をしてしまうしこたつから自力で出られなくて鳴き荒ぶから犬の大好きだった暖はもう使えない。あとは部屋のスペース的にも。
今日も実家でぬくぬく毛布にくるまれている犬は年が明けて節分が来たら17歳になる。