犬よ18
犬が思い出になっていく。そんな自覚がある。寂しいような時間の流れのような、ただ犬のいない生活ってどこかつまらなくて完全ではない。犬と暮らしたい。できることならうちのかわいい老犬と、ずっと一緒に暮らしたいものだと、犬がいなくなった今でもそう思っている。
月命日に花を買うのは初月でやめた。だんだん萎れていく花を見るのもとうとうゴミ箱に捨てるのも嫌だなと思った。切り花って好きじゃないんだなって大人になって初めて知った。自分のことなのにそんなことも知らなかった。
喪に服すって難しい。日常は流れていくしその流れに乗って生活は回さないといけないし犬の不在がだんだん確実に根付いていくし慣れてしまう。
そもそもこのnoteって、いつか私が犬の細々した思い出を忘れてしまうのが寂しくて悲しく思って始めたのだったなぁ。現に犬よ1から読み返すとそういえばそんなことあったねえと笑えたり犬の急変の記事に思い出しヒヤリしたり、すでにちょっと遠い。犬がいなくなってまだ半年も経ってないのに、もうすでにちょっとずつ忘れている。
表紙の犬の寝顔写真、いつの写真かよくわからないのだが、10歳とかそれより前か、こんな顔していたかしらと思った。柴犬の象徴的なマロ眉、うちの犬ってあんまりマロじゃないよなぁっていつも思っていた。こうして見るとちゃんとかわいいマロしてる。昔のコロコロした犬がムッスリ機嫌悪そうな顔をしていたり寝ている写真を見るとこんなだったっけと思う。どうしても積み上げた思い出は上から印象が強い。私の中の犬って老いて赤ちゃんみたく抱っこが好きになったかわいい犬のイメージが先行する。若かりし頃私はいつも犬とケンカしていたし、多分犬からは嫌われている方だったと思うので。
老いて目も耳も利かない犬の中で私がどうであっただろうか。家を出てたまに帰ってくるやつ、絶対におやつをくれないケチなやつ、別に行きたくもない散歩に無理くり連れ出しておしっこノルマがって叱るやつ。抱っこ抱っこ抱っこ!!って鳴いたら極力抱っこして、でも人間のトイレとかですぐ寝床に戻すやつ。色んなごはんをいっぱい買って床ずれとか暴れてできちゃったハゲにワセリンべたべた塗りたくってくるやつ。べたべた塗りたくってくるやつの認識は事実であれちょっと嫌だな、そういう妖怪みたいだ。うちの犬は子犬の頃に虫刺されを舐めまくって前足の指の間がはげていたのだけどワセリンであんなにきれいに治るなら塗ってあげればよかったかな。いやワセリンごと舐めまくって結局はげてはいたかも、肉球の保湿クリームはおろか人間のハンドクリームとかも塗った先から舐めていたから。人間のクリームは舐めとらないでほしかった。何本リップクリームを盗まれてだめにされたか。チュッパチャプスじゃないんだよな。
ハンドクリームを塗る度にこの思い出は再生されるし、ヨーグルトを食べる度に机の下で待機している犬に蓋をあげようかと思う。持てるだけの思い出が私の中にあって、たまに写真や犬の記事や記録を見返して、母と思い出話をして取り戻す。いやしかし若かりし頃の犬、ほんとに愛想がない。写真嫌いだったしかわいい表情全然ない。
面白い犬だよ。かわいい犬だよ。大事なうちの犬だよ。
犬がいなくなって、3か月が流れて過ぎた。