見出し画像

ちゃこよ

うちの犬の名前はちゃちゃと言う。本当はちゃちゃまるがいいと主張したのだが長いと却下されてまるをとった。ちゃちゃですらほとんど呼んだことない。ちゃー、ちゃーこ、ちゃこ、ちゃこちゃん。どこに出しても恥ずかしくない柴犬だから、自分の名前を認識していようが誰にどう呼ばれようが気が向かなければ一生振り向かない。耳だけぴんと聞いているくせに完全無視を貫く。いっそかっこいいほどだ。
ちゃこが旅立った。8月17日の朝のこと。18歳6ヶ月と2週間。私はもともと夜勤明けで帰る予定で、ちょうど朝方のバタつく時間で廊下を駆けずり回っていた。定時上がりをちょっとすぎてでも上々、お疲れさまです!!とダッシュでタイムカードを切って、知った。ちょうど私が休憩を早めに明けて朝の怒涛の業務ラッシュに備えていたから、連絡をオンタイムで見ることができなかった。あああーと思った。いやでもそういう犬だよ。こうと決めたら絶対に譲らない。何度散歩道で拒否柴されて大喧嘩したことか。大体私が負ける。怒っても怒っても犬はそっぽ向いて踏ん張るからだ。そういう犬だよ。今だと思ったんでしょう。そうでしょう。そういう犬だよ、お前は。
職場でべちょっと泣いて、帰路でうるめそして、母が最寄り駅まで迎えに来てくれて泣いた。家についたら犬が寝ていた。母が手ずから育てた庭の花々がてんこ盛りに盛られていなければこの前までの顔と一緒じゃんと思った。さすがにお母さん盛すぎでは。ちゃーこ、ハイビスカス似合わないなと思った。めちゃくちゃ華やかでかわいいけども。
最近一日のほとんどを寝て過ごしていた。正直この数週間は新たなステージに進んだなと思って、ちょっとずつ、ちょっとずつ準備をした。そのうち来たるその日からは泣くのは我慢しないで思いっきり鼻水垂らして泣こうとか、それまでできるだけ抱っこして一緒に寝ようとか、老いて抱っこもなでなでも好きになったからいっぱいやってやろうとか、どうせこれを書くことになるから色々ネタを考えておこうとか。多分書かないと潰れちゃうから泣いても吐いてもnoteは書こうとか。そういう準備をしていた。
ちゃこは脳梗塞をやって何年も苦いお薬を飲みながら何度もけいれん発作を起こしてその度に舞い戻って来た。母はけいれん発作で死なせるのだけは嫌だと何度も言っていたけど、正直私はけいれんがコントロールできなくて大発作が起きて犬を亡くすのだと覚悟していた。二度ほど大発作が重なって危篤状態になったし。そういう準備をずっとずっと前からしていた。
数日前から1日中半目で覚醒して囁くようにクゥンクゥンムームー鳴いていた。母がずっと抱っこしながらそういう連絡をくれた。約束していた予定をずらしてもらって、じゃあ17日に帰るねと言った。

確実にちゃこの入れ物が耐用年数を超えている。そしてこのとんでもない生命力で何度も危篤を乗り越えて、もりもりごはんやちゅーるを食べて足りないとおかわりを鳴き叫び抱っこしてと甘えたになった、いっそ生き汚いほどの犬は、本当に本当に最後のひとしずくまで自分の命を使い尽くす気だ。生きることに対する執着というか意地汚さというか、悪口みたいだけどうちの犬は本当に本当にしぶといし諦めない。だからこれは人間の唐揚げで犬にはしょっぱいから食べられないんだってば。
もしかしてと思ったけど、本当にお前は決めたら譲らないんだから、そういう犬だよ。いやでも、うちのちゃこは人間の言うことは全然聞かない犬なんだけど、体調を崩すタイミングが本当に本当に神がかって良くて、日取りを選ぶセンスが絶妙だった。母のお盆休みが職場の都合で例年より長くて、しかもバイトの合間のお休みで、ちゃこは連日大好きな母にずっとずっと抱っこしてもらってムームーおしゃべりして、母が寝ている夜中でもなくて、お布団じゃなくてやっぱり母に抱っこされた腕の中で、かつ私が帰って来られるのは連勤と休日出勤が重なるからここ7日間は今日が最後で、多分7日は保たないと思ったから、本当に今日が最後だった。台風も去っていいお天気で、明日だと母はバイトでいない日で、かつ仕事があるからちょっと涙の小休止ができて。
本当にいい日を選びましたなぁーーー!!と声をかけた。本当にいい日、良き幕引きを選んだ。
うちの犬を老衰で亡くすとは思ってもみなかった。けいれんで亡くすと思っていたから、ちゃこが怖くも苦しくもなく犬生を全うというか、満了できたのはこの上ない幸せだった。ちゃこを老衰で亡くすなんて、そんな素晴らしく幸運で幸せなことがあった。そう思うだけで涙が止まらなかった。なんて幸運で強運で最高にハッピーな犬なんだろう。うちのちゃこです。かわいいかわいい、うちのちゃこちゃんです。

18歳はシニア犬の中でもかなりの長寿だ。それも18歳6ヶ月と2週間。すごいでしょう。本当に最後までやり尽くしたでしょう。うちのちゃこは。頑張った。えらかった。お利口さんだった。
でも、たった18年だ。もっともっともっと一緒にいたかった。嬉しそうにごはんを食べさせてもらって、口元がべちょべちょになるのを人間の服で拭かれたかった。歩く歩く歩く!!と鳴き叫ぶのをハイハイと立たせて歩かせてあげたかった。歩けたーと満足そうな顔をもっと見たかった。抱っこを所望されて、とんとんしてあげながら一緒にお昼寝したかった。抱っこでお外の空気に当たって満足して寝るのも、もっともっと見たかった。たった18年。多分私のこれから先の人生はちゃこがいなくなった時間の方がずっと長い。どんなに長生きでも、ちゃこが全力投球ですっからかんになるまで、元を取り尽くした時間がこの18年だったのだとしても。
母ももっと一緒にいたかったと言っていた。それはそう!!全力で頷く。だって私たちはできるならちゃこの介護がずっと続けばいいって思っていた。夜中に新生児かというくらい細切れに起こされても、おむつが漏れてもろともうんちまみれになろうとも、お薬やごはんや牛乳代がどんなに高くつこうとも。老いて赤ちゃんになったのだから、そのぶんまた一緒に成長しようぜと願っていた。

楽しかったねえ。ちゃこもそうでしょう。絶対にそうでしょう。撫でながら涙が止まらなかった。こんなにかわいい犬の形がなくなってしまうのがやるせなくて許せなかった。なんだか余計に固くなってしまう気がして本当は保冷剤なんか乗せたくなかった。いつもみたいにずっと抱っこして、クーラーの効いた部屋で冷えないようにたくさん買い込んだブランケットで包んであげたかった。でもちゃこが選んだ今日この日は台風一過のハチャメチャに暑い日で、私の抱っこの熱が移るのすら恐ろしく、明日に持ち越したくもなかった。今日中にお願いしたいといくつも電話をかけてやっと葬儀屋さんが見つかった。てっきり会場に連れて行くのかと、そのお迎えの車を出してくれて人間も同乗して立ち会わせてもらうのかと思ったら、自宅で燃してくれるんだって。そういうのなんだ。立ち会ってお骨上げもさせてほしい、お骨も全部返してほしいというプランだと大体どこの葬儀屋さんもそうらしい、少なくとも私が急いで検索した限りだと。うちは駐車場が猫の額よりも狭い謎の三角形をしているので、ちょっと先のスペースに停めてもらってお見送りをした。午後6時。思いっきり往来の、でも今日はハチャメチャに暑いからまだよそのわんこのお散歩タイムにはちょっと早くて、空はきれいに夕焼けと楕円の月がよく見えた。満月だと仕事がもっともっと忙しくなって(そういうジンクスがある)余計に帰って来るのが遅くなっただろうからそれもナイスな日取り。すごいでしょう、うちのちゃこは。
綿100%の服じゃないと黒くなってしまうらしいから犬のワードローブをひっくり返してみたのだが、全部ポリだった。そして買ったのはほとんど私だけど、ちゃこちゃんすごく衣装持ちだった。その時着ていたのは私がこの前買った新しいべべだったのだが、やっぱり綿ではなかったから縫い目のところでハサミを入れた。若い頃は服が嫌いで冬のお散歩とかで着せられると抗議の散歩拒否を見せていたので、まあいいか。本当は服着た犬かわいいから着せてあげたかったけど、犬用の服で綿100%ってあるのかな、ベビー服でもあるまいし。あとお花とペットフードは入れていいですよって言ってもらったので、さっきまでもりもりてんこ盛りにされていた庭の花を入れた。
あと唐揚げ。これはちゃこのお供えとして私がスーパーで買ってきた。もうかみかみできるでしょう、一番好きなのは人間のおかず。唐揚げカツ煮焼き鮭生クリームカスタード。ちゅーる出してもいいよって言ってくれたからしれっと唐揚げも並べてちゅーるをかけてあげた。ちゃこが一番好きなお弁当を持たせてあげたかったので、唐揚げだめですって言われなくてよかった。

今の実家は元は祖父母の家で私たちが育った家から引っ越してリフォームしたおうちなので、母に車で送ってもらいがてら、ちゃこを抱っこしてドライブした。祖父母の家からうちに帰る道、塾や学校帰りに夜道だからと迎えに来てもらった道、前住んでいたおうち、幼馴染に放課後ちゃこの散歩に付き合ってもらった道、幼馴染のおうちも見せて、かわいがってもらったねえー、懐かしいねえーとドライブした。ちゃこは車の窓に手をかけて立ち上がり、風を感じるのが大好きだった。人間に支えてもらって、たまに風に負けてくしゃみして鼻水がこちらに飛んで来る。暑いから窓を閉めてクーラーをかけると大層ご不満で、閉まっていようがひとり立ち上がって要求した。窓を開けて気持ちいいねえ、ここでいつもおしっこしてたねえ、と母とちゃことおしゃべりしながらドライブした。ああここでハーネスすっぽ抜けて小一時間捕まらなかった道路、ここで脱走していたのを近所の人に見つけてもらって保護してもらったところ、ここってうちから1キロくらい離れているかつて私が通った小学校近くの道路なんですが。本当に…ちゃこちゃんはよくぞここまで一度も車に轢かれず悪い人間にさらわれずに来たもんだ…。ここに来てわんぱく伝説の詳細を知って肝を冷やした。こら、ちゃこ!!なにしてんの!!
子供時代を過ごした前のおうちの辺りはとても懐かしく楽しかった。鈍行しか止まらない地元の駅前はがらりと様相を変えて拓けていた。でもあるのはコンビニ、駐車場広め。それでこそだと思う。あっここのおうちがなくなって……なんだこのおしゃれなアパート!?みたいなことをきゃあきゃあやって駅まで送ってもらった。私が降りたらちゃこはシートベルトでしっかりと固定してもらった。ちゃこは運転している母の膝の上に乗るのが好きだった。真面目に危ないからおやめなさいって言って聞く子ではない。言うこと聞かないときはあからさまにそっぽ向いて目が合わないし常にも増してムッスリしている。本当に本当に危ないから真似しないでほしい。よくないことだった。
ばいばいして電車に乗る前にお店でトイレを借りた。鈍行で座って帰ろうと思っていたし早足で駅構内を抜ける。用を済ませて鏡を見てびっくりした。かぶっていたスヌーピーのキャップのてっぺん、見覚えのないぽんぽんがついている。幼稚園生の帽子みたいだ。なんだこれ!?めちゃくちゃダサい!!
綿埃をつまむ。待って待って待って、綿埃じゃない。犬の毛玉。うちの犬が、ちゃこがついてきてる!!!!!!
大ウケしてしまった。お前という犬は。こんなときに笑かすな。全部取りこぼさずなくさないように厳重にパスケースのコイン収納部分に収めた。
全くお前という犬は。やりおるわ、お前のおかげで人間はめちゃダサい格好になってました。結構早足だったのによくぞ振り落とされなかったね。そういうところだぞ。やりおるわ。
お前お前お前ーーーーーー🤣🤣🤣とツイッターにありのままの気持ちを呟いたとき、帰路で思い出しながらニヤニヤしているとき。写真撮ればよかったな、超ダサい格好だったのに、いやでもそんなのしててちゃこに逃げられたら事だし。そんなことを考えながら、おうちに着いたら絶対に写真撮って母にLINEしよう絶対にしようと思ったとき。きっと大丈夫だと思った。大丈夫かもと思った。

ちゃこが亡くなった。うちのかわいい犬があざやかに旅立った。覚悟して準備して、割と介護も頑張って悔いはとりわけてない。でももっともっとずっと一緒にいたかった。たった18年だ。寂しい。ごはんをもりもり食べさせてあげるのもなでなでして抱っこして一緒に眠るのももうできない。寂しくて悲しくて、うちのかわいい犬を返してほしいと思っているし、泣きすぎて顔面から頭から全部痛い。不意に涙がドバっと出て急に止まって息切れしている。息切れしながらこれを書いている。なんだか微熱が出ているような気もする。でもこれで大丈夫だと思った。ちゃこを見送るのにこれで大丈夫だと思った。
うちの犬はかわいい。ちゃこよ、ちゃこよ。かわいくてかわいくてお利口さんで幸運で生命力の権化の犬よ。楽しかったね。
寂しくて悲しくて、きっと行ったり来たりを繰り返すし、まぁそういうものだって私たちは知識として知っている。そういうものだ、というのとこれで大丈夫だ、というのとがつながった。キャップぽんぽんの毛玉のちゃこがついてきてくれて、つながった。
ちゃこを老衰で亡くすことができると思っていなかったよ。正真正銘のすっからかんになるまで使い尽くして私たちと一緒にいてくれて本当に幸せだと思うよ。ちゃこよ、かわいいうちの犬よ。本当に楽しかったね。ばいばいまたね、毛皮着替えてまたおいでーーーーーー。


いいなと思ったら応援しよう!