文化の日・京アニお別れ会

今日は祝日、文化の日なわけですが、京都アニメーションの「お別れ そして志を繋ぐ式」が開催され、参列して来ました。

僕は絵は描きませんが、アニメファンとして京アニ作品はほぼ全て観て親しんできたし、音楽の領域でのクリエイターの端くれなので、他人事ではないんです。

でね、やっぱりね、京アニさんの「仕事」は凄かったと思うのですよ。クオリティの高いアニメーションを作ることは大変な仕事だと思うんですけど、とかくブラックと言われがちなこの業界において、アニメーターさん達の福利厚生的な面も含めて志の高さが伝わってくる、そんな会社だと常々認識してきたわけです。

作ってる人も観る人も皆が幸せになる、そういうところを目指している。
と言ったら美化しすぎと思われるかもだけど、僕は社会も表現の世界もそのベクトルを持つべきと思ってます。

だから、そこを目指す京アニさんは一本の柱のような存在でもあるんです。その京アニさんが「志を繋ぐ」と言っている。
やっぱり心が震えるわけですよ。

失われた命は戻って来ないし、その悲しみは鉛のように重く腹の底に溜まり続けます。
とはいえ、被害に遭われた方々のご家族や関係者のお気持ちは安易に想像できないですし、僕が直接何かするのも筋違いかなと。

けど「志を繋ぐ」というのは、「創作表現の志」のことだと僕は思いました。

京アニさんのこれまでの素晴らしい「仕事」のことを思うと、僕の音楽は何だよと。ぬるいことやってんじゃねーよと。やりたい表現において苦手な要素から逃げてきたんじゃないかと。お前の音楽はそれでいいのかよ、できること全部やり抜けよと。(健康と命を損なうような無理をしろという意味ではないです)
勝手な解釈ですが、突きつけられていると思ったのです。

いやもう、あの事件以来、僕の中にずっとそういう気持ちがあって、自分の表現と向き合うことが課題にはなってたのです。そしてはっきりと「志を繋ぐ」と示されたわけです。

なので、今日のお別れ会では祭壇の前で、単にアニメファンとしての「ありがとう」だけじゃなくて、クリエイターとして「やるから!」という思いで祈りました。映画やアニメを見てすぐに泣いてしまう僕ですが、そこでは我慢しました。よく分からないけど、泣くわけにはいかないと思ったんです。

ペイフォワードなんですよ、きっと。第一線でクリエイターとして活躍されていた亡くなった方々の足跡が沢山の誰かの力になる。僕もその沢山の誰かのうちの一人なんです。
そうでなくては、ただ悲しいだけになってしまう。

というわけで、スーツ来て一人で行って来ました。
参列者は黒い服が多かったけれど、普通のデニムみたいな人もいました。運営側からは「平服で」とのことだったので、それぞれの思いで良いんだと思います。
泣き崩れている人もいたし、絵を描いている人達や、ファンの人達、いろんな人がいていろんな思いがあるんだろうなぁと想像しました。

帰りに立ち寄った篠田屋の中華そばの味は一生忘れない気がします。

以上

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