※本文中の引用文は記載のあるもの以外は、
『シルバーバーチの霊訓(一)』潮文社刊
アン・ドゥーリー編
近藤千雄訳
よりの引用です。
潜在意識的状態にある人は、無意識に自分が作り出した欲望のエレメンタルの支配を受けています。傲慢、貪欲、邪淫、憤怒、貪食、嫉妬、怠惰…。
これらに支配されて理性的に生きられていないが為に、本当の自己からの声も届かず自らが作り出した苦しみの中でとどまる事になってしまいます。
正しく考えること。理性的に生きること。これが欲望のエレメンタルの影響から逃れる為の手段です。
真我である永遠のパーソナリティはトロウンズの階級から一緒に地上へ降りて来たメタトロンという大天使と共に、一時的なパーソナリティである私たちの人生の青写真を作ります。
目標は霊的な成長、つまり私たちの中のキリストを顕現させる事です。そのために最適な環境を選んで、自らの自由意志によって地上へ降りて来たのです。
輪廻転生は、全く同じ人格が何度も生まれ変わるのではありません。永遠のパーソナリティが投影した一時的なパーソナリティとして、ひとつの人生を送って、そして再び永遠のパーソナリティへと地上での経験を手土産に戻ります。
そしてそのエッセンスは永遠の原子に記憶され、そこから基本元素の大天使であるミカエル、ラファエル、ガブリエル、天使シャマエルによって作られた新しい肉体を携えて、同じ個性を備えてはいるが違う人格として地上へ戻るのです。
そして、カルマの清算を果たしてもう地上への転生の必要がなくなった時、私たちは次の世界へと旅立つのです。
以前に『いと小さきものへ』というタイトルで記事を紹介しました。
オーエンの『ベールの彼方の生活』からの抜粋ですが、このエピソードは稀な話ではなく実は身の回りによくある話のようです。
キリストは『地上においては卑しきものも、天においては偉大なものが多い。あなたたちはその事を今のうちに知っておいた方が良い』と、仰っています。
私たちは自分勝手な判断で愛を出し控える事がないでしょうか。どのような人に対しても親切でいられるでしょうか。神がその罪を許されているのに、私たちが勝手に人を裁く権利などあるのでしょうか。
『人から裁かれたくなければ、自分が人を裁かぬ事である。他人の目のおがくずを取る前に、まずは自分の目の中にある丸太を取り除くが良い。そうすれば他人の目のおがくずの取り方もよく分かるであろう。』
人間には人間を裁く事はできないのです。自分が何者で、何をやっているのかも分かっていないのですから。罪を犯した人に石を投げる権利など誰にもないのです。罪を犯したことのない人などこの世には存在しないのですから。
Capella✝️