見出し画像

【ゆっくり学ぶシルバーバーチの霊訓】17

こんばんは。

シルバーバーチの霊訓をお読みになった方も、そうでない方も、どうぞご参加ください。生きる目的と人生に起こる様々な出来事の意味を知って、あなたがより幸福に生きられる事を目的とします。

テキストは必要ありません。
シルバーバーチの霊訓から、少しずつ引用させて頂いて皆で一緒に考えていきたいと言うのが、本文の趣旨です。

それでは始めましょう。

 絶対に誤まることのない霊的真理が幾つかありますが、その内から二つだけ紹介してみましょう。一つは、動機が純粋であれば、どんなことをしても決して被害をこうむることはないということ。

もう一つは、人のためという熱意に燃える者には必ずそのチャンスが与えられるということ。この二つです。焦ってはいけません。何事も気長に構えることです。

何しろこの地上に意識をもった生命が誕生するのに何百万年もの歳月を要したのです。さらに人間という形態が今日のごとき組織体を具えるに至るのに何百万年もかかりました。

その中からあなた方のように霊的真理を理解する人が出るのにどれほどの年数がかかったことでしょう。その力、宇宙を動かすその無窮の力に身を任せましょう。誤まることのないその力を信じることです。    

 解決しなければならない問題もなく、挑むべき闘争もなく、征服すべき困難もない生活には、魂の奥に秘められた神性が開発されるチャンスはありません。

悲しみも苦しみも、神性の開発のためにこそあるのです。「あなたにはもう縁のない話だからそう簡単に言えるのだ」──こうおっしゃる方があるかもしれません。

しかし私は実際にそれを体験してきたのです。何百年でなく何千年という歳月を生きてきたのです。その長い旅路を振り返った時、私はただただ、宇宙を支配する神の摂理の見事さに感嘆するばかりです。

一つとして偶然というものがないのです。偶発事故というものが無いのです。全てが不変絶対の法則によって統制されているのです。霊的な意識が芽生え、真の自我に目覚めた時、何もかも一目瞭然と分かるようになります。私は宇宙を創造した力に満腔の信頼を置きます。

 あなた方は一体何を恐れ、また何故に神の力を信じようとしないのです。宇宙を支配する全能なる神になぜ身を委ねないのです。あらゆる恐怖心、あらゆる心配の念を捨て去って神の御胸に飛び込むのです。神の心をわが心とするのです。

心の奥を平静に、そして穏やかに保ち、しかも自信を持って生きることです。そうすれば自然に神の心があなたを通して発揮されます。

愛の心と叡知をもって臨めば、何事もきっと成就します。聞く耳をもつ者のみが神の御声を聞くことができるのです。愛が全ての根源です。愛──人間的愛──はそのほんのささやかな表現にすぎませんが、愛こそ神の摂理の遂行者です。

 霊的真理を知った者は一片の恐怖心もなく毎日を送り、いかなる悲しみ、いかなる苦難にも必ずや神の御加護があることを一片の疑いも無く信じることができなければいけません。苦難にも悲しみにも挫けてはなりません。なぜなら霊的な力はいかなる物的な力にも勝るからです。

 恐怖心こそ人類最大の敵です。恐怖心は人の心を蝕みます。恐怖心は理性を挫き、枯渇させ、マヒさせます。あらゆる苦難を克服させるはずの力を打ちひしぎ、寄せつけません。心を乱し、調和を破壊し、動揺と疑念を呼び起こします。

 つとめて恐れの念を打ち消すことです。真理を知った者は常に冷静に、晴れやかに、平静に、自信に溢れ、決して取り乱すことがあってはなりません。霊の力はすなわち神の力であり、宇宙を絶対的に支配しています。ただ単に力が絶対というだけではありません。

絶対的な叡知であり、絶対的な愛でもあります。生命の全存在の背後に神の絶対的影響力が控えているのです。

 はがねは火によってこそ鍛えられます。魂が鍛えられ、内在する無限の神性に目覚めて悟りを開くのは、苦難の中においてこそです。苦難の時こそあなたが真に生きている貴重な証です。夜明け前に暗黒があるように、魂が輝くには暗闇の体験がなくてはなりません。

そんな時、大切なのはあくまでも自分の責務を忠実に、そして最善を尽くし、自分を見守ってくれる神の力に全幅の信頼を置くことです。


 霊的知識を手にした者は挫折も失敗も神の計画の一部であることを悟らなくてはいけません。陰と陽、作用と反作用は正反対であると同時に一体不離のもの、言わば硬貨の表と裏のようなものです。表裏一体なのですから、片方は欲しいがもう一方は要らない、というわけにはいかないのです。

人間の進化のために、そうした表と裏の体験、つまり成功と挫折の双方を体験するように仕組まれた法則があるのです。神性の開発を促すために仕組まれた複雑で入り組んだ法則の一部、いわばワンセット(一組)なのです。

そうした法則の全てに通暁することは人間には不可能です。どうしても知り得ないことは信仰によって補うほかはありません。盲目的な軽信ではなく、知識を土台とした信仰です。

 知識こそ不動の基盤であり、不変の土台です。宇宙の根源である霊についての永遠の真理は、当然、その霊の力に対する不動の信念を産み出さなくてはいけません。そういう義務があるのです。それも一つの法則です。

恐怖心、信念の欠如、懐疑の念は、せっかくの霊的雰囲気をかき乱します。私たち霊は信念と平静の雰囲気の中において初めて人間と接触できるのです。恐れ、疑惑、心配、不安、こうした邪念は私ども霊界の者が人間に近づく唯一の道を閉ざしてしまいます。

 太陽が燦々と輝き、全てが順調で、銀行にたっぷり預金があるような時に神に感謝するのは容易でしょう。しかし真の意味で神に感謝すべき時は、辺りが真っ暗闇の時であり、その時こそ内なる力を発揮すべき絶好のチャンスです。

然るべき教訓を学び、魂が成長し、意識が広がりかつ高まる時であり、その時こそ神に感謝すべき時です。霊的マストに帆をかかげる時です。

シルバーバーチの霊訓(一)潮文社刊
アン・ドゥーリー編
近藤千雄訳

信仰とは何でしょう。

それは、今この時までに与えられた知識を土台として、見えざる部分にまで信頼を寄せることを意味します。つまり、深く知り、意識的に信じる決意を持つことと言えます。

私たちの限られた認識能力では到底神の御心の深さを理解することなどできるはずがありません。今この時の苦難に対して、文句を言うのではなく感謝を持って受け入れることです。神は常に私たちに最良のものを与えてくださっているのだという信頼を寄せることです。

この事が深く理解できるようになると、生きていく上で大きなストレスが無くなります。思い煩う事が無くなり、全ては良きに計らわれているのだという大きな安心感に包まれて生きる事ができるようになります。

神と手を繋いでさえいれば、怖いものなど何一つとして無くなってしまいます。

知識という岩の上に築かれた苗木は、信仰によって支えてあげなければいけません。ただ信じるというだけの盲目的な信仰では何の役にも立ちません。事実に基づいた確固不動たる信念を堅持できる科学的な知識が必要です。

そのための材料はすでに150年以上前から用意されています。名だたる世界的な科学者達によって、死後の世界の実在は徹底的に証明し尽くされております。その気になればいくらでも調べることはできるのです。例えば、ウィリアム・クルックス博士。オリバー・ロッジ。シャルル・リシェー。カミーユ・フラマリオン。アルフレッド・ウォーレス…。数え上げればきりがありません。

せっかく根付いた苗木も根が張る前に枯れてしまわぬように、こういった知識を摂取する必要があります。真理の言葉は遵守しなければ、それは私たちから取り上げられてしまうのです。

信仰は育てるものです。情熱を持って真理を求める心だけが、永遠の安らぎと平安を手にする事ができるのです。

今日はここまでとします。

どうか私たちが理性的に考える事ができますように。溢れんばかりの情報を鵜呑みにするのではなく、理性によって知識を知恵に変えていけますように。

Capella✝️


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?