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【ゆっくり学ぶシルバーバーチの霊訓】14

こんばんは。

シルバーバーチの霊訓をお読みになった方も、そうでない方も、どうぞご参加ください。生きる目的と人生に起こる様々な出来事の意味を知って、あなたがより幸福に生きられる事を目的とします。

テキストは必要ありません。
シルバーバーチの霊訓から、少しずつ引用させて頂いて皆で一緒に考えていきたいと言うのが、本文の趣旨です。

それでは始めましょう。

 地上の人生はしょせんは一つの長い闘いであり試練です。魂に秘められた可能性を試される戦場に身を置いていると言ってもよいでしょう。魂にはありとあらゆる種類の長所と欠点が秘められております。

 すなわち動物的進化の段階の名残りである下等な欲望や感情もあれば、あなた方の個的存在の源泉である神的属性も秘められております。そのどちらが勝つか、その闘いが人生です。

 地上に生まれてくるのはその試練に身をさらすためなのです。人間は完全なる神の分霊を享けて生まれてはいますが、それは魂の奥に潜在しているのであって、それを引き出して磨きをかけるためには、是非とも厳しい試練が必要なのです。    

 運命の十字路にさしかかるごとに右か左かの選択を迫られます。つまり苦難に厳然と立ち向かうか、それとも回避するかの選択を迫られるわけですが、その判断はあなたの自由意志に任されています。もっとも、自由といっても完全なる自由ではありません。

 その時点において取りまかれている環境による制約があり、これに反応する個性と気質の違いによっても違ってくるでしょう。

 地上生活という巡礼の旅において、内在する神性を開発するためのチャンスはあらかじめ用意されております。そのチャンスを前にして積極姿勢を取るか消極姿勢をとるか、滅私の態度に出るか自己中心の態度に出るかは、あなた自身の判断によって決まるということです。

 地上生活はその選択の連続と言ってもよいでしょう。選択とその結果、つまり作用と反作用が人生を織りなしていくのであり、同時にまた、寿命つきて霊界へ来た時に待ち受けている生活、新しい仕事に対する準備が十分に出来ているか否か、能力的に十分か不十分か、霊的に成熟しているか否か、といったこともそれによって決まります。単純なようで実に複雑なのです。

 そのことに関連して忘れてならないのは、持てる能力や才能が多ければ多いほど、それだけ責任も大きくなるということです。地上へ再生するに際して各自は、地上で使用する才能についてあらかじめ認識しております。才能がありながらそれを使用しない者は、才能の無い人より大きい責任を取らされます。当然のことでしょう。 

シルバーバーチの霊訓(一)潮文社刊
アン・ドゥーリー編
近藤千雄訳

私たちには一人ひとり、必ず何かの〝とりえ〟があります。何もないと言う人は、ただそれを見つけられていないだけです。

確かに得意なことはあるけれど、こんなこと何の役にも立たない、などと思っている特技はありませんか?

役にたつ、たたないと判断しているのは誰ですか? それは本当にあなたの声なのですか?

この短い地上人生を全てだと思えば、確かに役に立たないと思えるかもしれませんが、人生は永遠の尺度から見なければ真実を見誤ります。

才能とは、神が与えてくださったものです。神がくださった才能は、磨けば必ず素晴らしい光を放つものです。この広大な宇宙にたったひとつしかない光です。同じものはふたつとありません。

その才能を発揮するために、私たちは人生で様々な経験を積んでいます。

全ての選択があなたという人間を作り上げています。今この瞬間にも、あなたは自分自身を創造しているのです。

誰かを憎んだり、妬んだりすれば、そのような性格を自分の中に形成しているという事を自覚して下さい。

逆に、誰かのために苦労を惜しまず、愛を待って生きるならばあなたの中に光が輝きます。これこそがキリストです。キリストを輝かせることこそが、私たちの本当の目的なのです。

それぞれが才能を開花させ、神のために、人のために尽くすことが、私たちが進むべき本来の道なのです。

愛神愛隣の精神は、キリストが教えてくれた根本原理です。果たして、この精神を私たちは実践できているでしょうか?

今日はここまでとします。

皆さんがご自分のアイデンティティを見つけて、キリストを輝かせる事ができますように。

Capella✝️


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