ぐすべりのジャム
幼い頃暮らしていた家の横には、ぐすべりの茂みがありました。
ぐすべりの実がなると、収穫して母がジャムを作ってくれました。
それが、甘酸っぱくて美味しかったのです。
忘れられない味です。
その田舎の家を離れてから、母の手作りのジャムを食べることはありませんでした。
だからなのか、ぐすべりのジャムはしあわせな母の味として記憶に残っていました。
夏になると、「もう一度食べたいなぁー」と思いだしていた味です。
記憶の海に沈んでいた思い出は、何かの拍子に浮かび上がってきます。
今年は、そんな巡り合わせだったみたいです。
とても懐かしくなり、ぐすべりのフリー画像を探してきて、FBに投稿しました。
グスベリって知っていますか?
すっぱい実のなる低木です。
昔住んでいた田舎の家の横に、この木がありました。
実がなるとつんで、母がジャムを作ってくれました。
お店が近くにあるわけでもなく、お菓子を頻繁に買ってもらえるわけでなかった時代、甘酸っぱいジャムはごちそうでした。
とはいえ、もうね、どんな味だったかなんて覚えてはいないのですよ。
甘酸っぱくて美味しかった。
それだけが母の手作りのおやつとして、深く記憶に残っているのです。
忙しい母が作ってくれたジャム。
もう2度と同じものを食べることはできないだろうと思います。
何年か前に、どこかで見かけて懐かしさに買ったグズベリのジャムも、味には懐かしさは感じられなかった。
母が、わたしたち姉妹のために作ってくれたジャムだから、美味しかったんだろうな。
みんなでワイワイ言いながら、小さな手でつんだグスベリだったから、美味しかったんだろうな。
グスベリのジャムは、母の愛のかたち。
記憶も甘酸っぱいのです。
そうすると、自分で思っていた以上にコメントが付きました。
そのほとんどが「懐かしい」「わたしも食べました」というものでした。
共感してくれる人が多くて、そして「最近は見かけないですね」という感じ。
そんな中、町内の夫の同級生が
「僕の家にあるので取りに来ていいですよ。今が盛りですよ。」
とコメントをくれました。
お言葉に甘えて、ぐすべりをわけていただきました。
収穫しながら、そうそうこんな風にトゲトゲした木だったなぁーと思い出したり。
50年ぶりくらいにみたぐすべりの、思っていたより小さか感じました。(未就学児でもつめたんだから、よく考えると当たり前)
早速、ジャムを作りました。
キレイに洗って
甘くて酸っぱいジャムをができあがりました。
食べてみると、母のジャムみたいな味がしました。
懐かしい味。
今までぐすべりのジャムは母との思い出だったけど、SNSを通して画面の向こうの人と交流して、想いを共有し優しさがジャムに姿を変えたエピソードもセットになりました。
この世界は優しさで満ちているなと嬉しくなりました。
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