しあわせは森の中で待っていてくれた。
実は、山育ちのわたしです。
家の前にも裏にも林が広がっていて、毎日駆け回っていました。
家の前に、ちょうどいい枝ぶりのおんこの木があって、木のぼりもよくしてました。
探検ごっこが大好きで、お気に入りの木を見回っていました。
そんなに広くはないけど、未就学児には途方もなく広く感じて、毎日が新発見に溢れていました。
幼い日を過ごしたのは、そんな場所でした。
地元の小学校に入学後まもなく、釧路市内へ引っ越してしまったので、あの林とも離れてしまいました。
でも、自然は大好きで足腰が丈夫なら山歩きをしたいなと思うほどです。
今は、足腰が問題ありなのでアップダウンや長い距離を歩くのは難しいなと感じています。
そんなわたしでも、森の中を歩く機会がありました。
ここへは小学生の頃、家族や遠足で何度も来たことがあります。
その度に、散策路を歩き、開けたところにピクニックシートを敷いてお握り食べたり走り回った記憶があります。
45年も前の話なので、記憶はあやふやなのですが、とても楽しかったその気持ちだけは覚えているのです。
ボッケにはしあわせな思い出しかありません。
大人になってからは、何度も阿寒湖に行っているけど、ボッケを訪れる機会はありませんでした。
それでも、ずっと忘れられなくて、いつか行ってみたいなと思っていました。
その願いが、先日叶えられました。
大人になってから訪れたボッケは、優しかったです。
「おかえり」
そんな風に言ってもらえた気がしました。
森の中の空気が優しくて、身体も心も元気になっていくのを感じました。
この時、案内してくれた方が
「ひろみんは森から元気をもらうタイプなんだね。」
と言ってくれたけど、本当にその通りなのです。
中標津町でも、ゆめの森公園の散策路や森林公園、丸山公園とか大好きです。
幼い頃のわたしをしあわせに育ててくれた森は、やっぱり魂の栄養だと感じます。
今回も、ボッケ の散策路を歩いていくうちに、どんどん元気になっていくのがわかりました。
森だけじゃなくて、阿寒湖の湖面にも癒されます。
波音と青のグラデーションがいい感じ。
ボッケに近づくと硫黄の独特な香りがしてきます。
それも懐かしい。
ボッケ自体は、とっても地味です。
安全のために、柵が設置されていてそばに行けません。
でも、なんだか飽きずに眺めてしまうんですよね。
でも、やっぱり散策路の木々が気になります。
案内してくれた方も大好きというこの倒木。
わたしも大好きになりました。
そばに行くとね、そこだけ空気が違うのがわかるんです。
スピリチュアル方面にはニブイわたしでもわかりました。
そばに行くとね、空気が柔らかいの。
ひかりが優しくて、びっくりしました。
写真に入りきらない。
他にも
たくさんのお気に入りの木ができました。
どうして、今までここに来なくても平気だったのかな?
そんなことを思ってしまうほど、楽しい時間でした。
もっともっと自然にふれたい。
そんな風にも思いました。
わたしには必要な時間です。
たった1時間ほどの散策でしたが、森からたくさんのエネルギーをもらって、しあわせな気持ちになることができました。
いきいきとした森の中にしあわせを感じます。
何度でもしあわせを見つけに行ってみようと思います。
ステキな旅でした。